話をしよう

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眩しいほど空が明るい一日。こんな快晴は滅多にないと窓を大きく開け放ったら、驚くほどの冷え込みだった。外の気温はたったの2度。午前も既に11時を過ぎていると言うのに。天気が良くて寒いのと、鼠色の分厚い雲が空を覆っていて暖かいのと、どちらかを選べと言われたら、私は前者を選びたい。首に襟巻をぐるぐる巻きつけて、帽子を被り、手袋をして温かいオーバーコートに身を包めば、寒さはしのげるというものだ。しかし空だけはどうしようもない。やはり空は晴れているに限る。それも季節が夏ならば、話しは少々違ってくる。夏の、嵐の前の、黒い雲が風に乗ってぐんぐん空を走っていくあの様子は、なにやら胸騒ぎがして案外好きだ。でも、あれは夏だからよいのだ。火照った肌を冷ますような涼しい風が吹くことも含めて。

私の冬休みは13日間。どこかに旅行しようと思えばできたけれど、家に居ることに決めたのには大した理由はない。周囲を見回せば、遠くに足を延ばす人が沢山いて多少なりとも刺激を感じるが、こんな風にゆるい毎日も良いものだ。
数日前、旧市街の小さな下着屋さんに行った。旧市街のバスの停留所のすぐ近くで、置いているものも良いうえに大変便利な場所にある。そして店に感じの良い娘さんが居るとあって、此処で買い物をするようになって何年も経つ。近所にあったもう一つの店は昨年の不景気で畳んでしまい、こちらの店ひとつになった。あちらの店に居た母親とこちらの店の娘さんが交代で働くようになったので、多分娘さんは喜んでいるに違いなかった。今年は何度か店に行ったが、いつも娘さんは居なかった。恋でもして忙しいのかもしれない。私は勝手にそんなことを考えていた。さて、数日前店に行くと久しぶりに娘さんが店番をしていた。彼女は私の顔を見ると、まあ、シニョーラ! と嬉しそうな声を上げた。彼女はいつもそんな具合だ。とても感じが良いのだ。私が彼女と知り合ったのは5年くらい前だっただろうか。いや、もう少し前だったかもしれない。とても線の細い色白の彼女は、とても控えめで恥ずかしがり屋さんで、こんな女の子がひとりで商売できるのかしらと他人ながら心配したものだ。幾度か店に行くようになると割引をしてくれるようになったのだけど、割引率が大きくて、ちょっとちょっと、それはちょっと割り引き過ぎよ、と客の私が心配するほどだった。後で彼女が母親に叱られては大変と。彼女が少しづつ大人の女性に変身していく過程を見るのは楽しかった。他人の私がそう感じるのだから彼女の母親はさぞかし嬉しかっただろう。そうして久しぶりに会った彼女は、驚くほど変化していた。何があったのだろう。誰の影響だろう。ちょっとヒッピー風になって、身に着けるものもまた今までとは随分違っていて私を大変驚かせてくれた。それから話し方。決して失礼な感じはないが、あの恥ずかしそうな彼女は無く、自信をもってばんばん話す。その変身ぶりに目を丸くしているうちに、昔の私とあい重なることに気が付いた。
私は無口な子供だった。無口と言うか、自分から話すような子供ではなかった。黙って絵を描いたり、文章を書くのが好きで、それは20歳を過ぎたころまで続いた。アメリカに暮らし始めた頃もそうだった。言葉の壁もあったから、黙っていることが特に多い時期だっただろう。数か月経って、そうだ、話しをしよう、と決めた日から私は大きく変わったと思う。周囲の友人知人が驚くほどの変化で、私自身は何か気が晴れたと言うか、解き放たれたような感じで気分爽快だった。気分爽快。そうだ、実にぴったりくる言葉だ。私はあの時から人と話をする楽しさを知ったのだ。数年後、アメリカを去り、ボローニャに来ると再び言葉の壁があった。壁はもうひとつあって文化、習慣、様式の壁だった。周囲にじろじろ見られる居心地の悪さ。東洋人があまりに少なかったから仕方がなかった。片言でも話をしようと試みるが、周囲の話す速さと言葉の量に負けて、私の口から出た言葉はいつも宙に浮かんでいるうちに蒸発して消えた。困ったなあ、と思っていたところに、舅の嫌な言葉の雨が降った。君は自分の意見が無い馬鹿者なのか。言葉は出ないが理解はできるから、全く悔しくも悲しい思いをした。周囲は舅の暴言を非難し、私を慰めたが、私の心のスイッチはこのひと言で入ったのだ。そのうち私は自分の努力が実って、周囲と対等のリズムで話が出来るようになった。それは言葉の数が増えたと言うよりは、自分の中にあった壁を乗り越えたと言ったほうが正しい。此処でこの街の人達と対等にやっていく自信が芽生えたと言うべきだろう。晩年の舅は、よく言ったものだ。誰が想像しただろうか、こんなに弁のたつ奴は、今まで会ったことが無いぞ。その度、私はにやりと笑い、相棒は声を殺して笑った。嫌な言葉だったけど、あれが無かったら今でも私は壁を乗り越えなかっただろう。取り敢えず舅に感謝しておこうか。
さて、彼女にどんなことがあったのか知らないが、ヒッピー風装いの彼女は自信に満ちていた。屈託のない表情でコロコロとよく笑い、会わなかった間にどんな楽しいことがあったかを次から次へと話してくれた。私が欲しかったものは残念ながら入荷待ちで、入荷したら電話をしてくれることになった。客が店に入って来たので、入れ替わりに外に出た。腕時計を見たら40分も経っていた。凄いなあ、彼女。随分お喋りになったものだ。彼女の母親は困ったものだと思っているだろうか。私は、こんな感じの彼女が好きだけど。うん、今の彼女はとてもいい。

ゆるい冬休みのある日、縁があって人と知り合った。初めての人と言葉を交わすのはどきどきするものだけど、私はそれを喜びとする。こんな風にして人と繋がっていくのだ。新しい人との接触は、私の刺激。はっと目を覚ましてくれることもある、生活のエッセンスと言ってもいい。気が合うかどうかは後から考えればいい。細く長く付き合うのも良いと思う。自分に囲いを作らないこと。自由で柔らかでいること。此れが私の目標なのだ。


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コメント

イタリア人の早口、おしゃべり好き、動作とおしゃべりが一緒で、車の運転を友人のイタリア人がしているときなど、『前を見て、お願い。』って叫ぶくらい、前方に注意が全くない(笑)時には、ハンドルを握っていない(汗)これらを、習得された?ypmindさまは、女神様です(笑)

大人になってからの異国生活が、どれだけの苦労か。これは、異国生活をしたものでしかわからないことだと思います。ご主人のお父様、なかなか、厳しい発言をされましたね。
私も、同じような経験をしてきました(笑)そして、ypmind様と同じで、屈しませんでした。だから、今の自分がここに存在しています。
初対面の人と話す時って、本当にドキドキします。特に、私の場合は、今の日本人の若い方と会った時に、何を話していいのかわからなくって、困惑してしまいます。米国人やインド人、他の国の方々と話す時には、こんな気持ちにはなったことがないのに、、、。不思議ですね。
辛いことを言われても、後で、感謝することもある。それが、理解できる様な年齢になったんですよねえ(笑)

私、クリスマスブレイク中に、ypmind様のブログを、古いブログから読み直しています。私が、このブログを発見したのは2011年くらいだったので。
色々と楽しんで、ゆっくりと読み直しています。
今は、2008年のブログを読んでいます。お写真をどれも気に入っています。



2015/12/30 (Wed) 04:49 | キャットラヴァー #mQop/nM. | URL | 編集
Re: タイトルなし

キャットラヴァーさん、こんにちは。イタリア人は本当にお喋りが大好き。時々無口な人が入ると、本当にイタリア人かしら、などと思う程。車の運転中のお喋りは見ていてはらはらしますね。私も相棒に、兎に角前を見て運転してください、と言うことがしばしばあります。私なんてお喋りしながら運転するのは良いとしても、前を見ずには怖くてハンドルを握ることもできません。それからイタリア人はハンドルから両手を放すことがありますね。ほら、イタリア人は手で話をしますから。腕を骨折してギブスをしているから話しが出来ない、などという昔のコメディ映画があったほどです。
大人になってからの異国生活・・・そうですね、もし私が18才だったら、これほど苦労はしなかったでしょう。でも、大人になってから来て苦労した分だけ、喜びは大きく感慨深かったのだと思います。舅は本当に憎たらしかったけれど、そして私達は水と油のような関係だったけれど、最終的に一番私の見方になって良くしてくれたのは舅でした。多分彼が一番私を理解してくれていたと思います。お互い歳を重ねた分だけ、色んなことが理解出来たり感じ取れるようになりましたね。素晴らしいことだと思いますよ。
さて、古いブログから読み直してくださっているのですか? 有難うございます。そんな奇特な方が存在するとは。読んでくださる方がいる限り、続けていきたいと思いますので、これからもお付き合いお願いいたします。

2015/12/31 (Thu) 19:36 | yspringmind #- | URL | 編集

こんにちは、yspringmindさん。
言葉が出てこないというのは、よくわかりますね。人の話を聞くのはできても、とくに自分の中に考えがないわけでも、言いたくないでもなく、その会話の余韻を楽しんでいる分があります、わたしの場合は。

でも、人は変われるんですね。

2016/01/01 (Fri) 11:22 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私の場合は言葉が出てこないのは、単に英語や、イタリア語で話をする術が無かったからだと思います。つまりどんな風に組み立てたらいいのかなんて考えていたら、周囲の話について行けないと言うことなのですよ。話しって、やはり瞬時に言葉が出てこないと。テニスやピンポンをするみたいなリズムで。あの当時の私にはそれが難しかったです。でも、昔無口だったのは、人の話を聞くのが好きだったと言うのもあります。つばめさんの様に会話の余韻を楽しんでいる事もあったかもしれません。

人は変われるんですよ。

2016/01/01 (Fri) 21:01 | yspringmind #- | URL | 編集

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