古い習慣

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今日は祝日。聖母受胎祭である。火曜日の祝日とあって無理やり連休にして遠出をしている人が案外多いらしく、周囲がとても静かである。私は静かに暮らすのが好きなので有難いことこの上ない。天気が良いので旧市街へとも考えたが、先週からの風邪をしっかり治そうと思って、家の中に閉じこもりを決めた。閉じこもりを決めたと言っても具合が悪くて体を横たえていなければならぬと言う訳でもない。いつも気になっていたが時間がないと言いながら放うっておいたものを整理することにした。

部屋の片隅に置かれた古い家具。1800年代にはチーズを保管する棚として使われていたものだ。通気性の良い金網みたいなものに覆われていた扉は、今は木の板に替えられていて、小さな取っ手で開け閉めする。この扉の奥には私の大切なもの、私とずっと付き合ってきた私の分身みたいなものたちがたくさん詰まっている。放置されているものは透明の袋に詰めこめられて、長いこと手つかずになっていた。ピアノーロの家を売ってボローニャに仮のアパートメントを得て、其の数か月後に別の、もう少し風通しの良い仮のアパートメントに移り、今の家に納まるまでの数年間、私の生活はまるでジプシーのようだった。何時も仮の住まい。だから整理整頓もできない。自分たちに丁度良い家が見つかれば、すぐにでも購入して、早く仮の生活を辞めたいと思っていたから、もしかしたら来週、もしかしたら来月、そんなことを考えては積み上がった箱をかたずける気にはならなかった。其れに相棒の方も、僕は荷を解く気はないよ、仮の生活なのだから、とそんな感じだったから。そのうち定住すべき家が見つかり、腰を据えて居間の家に暮らし始めて既に1年半が経つ。其れなりに片付き、其れなりに生活しやすくなっているが、この古い家具の扉の奥には、何時も手つかずのものが入っていた。
午後遅くになってようやく腰を下ろして作業を始めた。透明の袋に入っているもの。それは請求書の束であり、既に支払いが完了しているものであった。昔だったら、数か月もすると破棄してしまっただろう。私にとっては既に過去のもの。支払い完了のものであり、問題が起きる筈もないものだからだ。それがイタリアに暮らすようになってからは事情が変わった。此処では書類は10年保管するもの、と言われている。もう支払い済みで安心などと思って捨ててしまってから、ああだ、こうだと言われることもなくもない、と言ううのがイタリアである。10年分もとっておくのはあまりにも苦痛。でも、何かあった時のことを思って、私はガスの請求書、電気の請求書、水の請求書、電話の請求書と輪ゴムでくくって保管していると言う訳だ。今年あたりから5年分だけにしようかと思い、袋を開けたのだ。きっちり5年分さかのぼってみる。ところがさかのぼっているうちに心配になり、やはり10年間分とっておこうと思い始めた。残念。今年も決断できなかった、と思いながら袋を元のところに戻して扉を閉めた。ああ、嫌だ、一体何時からこんなに慎重な性格になってしまったのか、と悪態をつきながら。

夕方遅く、クリスマスツリーを飾った。12月8日の恒例行事である。イタリアでは昔からクリスマスツリーは12月8日に出すものと決まっている、と古い風習に拘るのだ。そして片付けるのは1月7日でなくてはならぬ。これは例えば、12月25日はトルテッリーニじゃなくてはね、と言うのとよく似ていて、古い習慣や古いものが大好きな相棒の影響なのである。猫は目を輝かせていたが、昨年とは身体の重さが違うことを自ら悟ったらしく、クリスマス・ツリーによじ登る気はないようだ。
それともこれはカモフラージュで、明日、家に誰もいない頃を見計らって、のそり、のそりと登るのを堪能するのだろうか。


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コメント

私も書類 フランスに来たときからのものを保存しています。何回も引越ししたので どこにどうしまってあるのか不明なのが不安ですが。。。。
すべてのものが電子情報化されているはずなのに 紙の量は減らないで 増えていく感じがしているのは私の錯覚かしら?

それにしても 猫 のそり のそり と 表現されるところをみると ずいぶん 成長されたようですね

2015/12/10 (Thu) 09:50 | kimilon #aKMr6UbQ | URL | 編集

こんにちは、yspringmindさん。
ねこちゃん、ツリーに登りませんでしたか。また、のぼりますかね。
もう、クリスマスですね。
どんなに年末いそがしくても、大切なことは見うしないたくないもの。今年は、ふつうの何でもない日も矢のように過ぎて行きました。いつも気持ちがざわざわしていました。
そういうときに、気持ちの立ち位置を戻すのにふと、読ませてもらっていました。

なぜそういう気持ちになるかというと、どうしてもゆずれないことが私の中にいつも2つか3つあって、あきらめきれないのでした。これではない、このままではいけないと。宝物はあっちに行けばあるのがわかっているのに、周りから行ってはいけないと止められます。受け入れなさいと。それでもまだあきらめていません。

支払いが済んでも、請求が突然来ることがあるんですね。そういえば、イタリアに行ったとき、ローマの日本人ガイドさんが「制度がころころ変わるのがイタリアです。今年、こう言っていても来年はどうなるかわかりません。」と少しあきれたように言っていたのを思い出しました。切実そうだったので、そうなのかと思いました。そして、日本人みたいに何でも国の言うことをはいはい聞いていては、イタリアでは生きていけないのだろうなとも感じましたね。
いまでは、日本の政府も、右だよと言ったかと思うと左だよと間逆なことをいうくらい制度が変わり、相当ですけどね。
どうも、それさえも違うと声をあげるほどの考える時間がないくらいいそがしい世の中になりました。



2015/12/10 (Thu) 14:48 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

kimilonさん、こんにちは。全く同感ですよ。電子化したこの世の中で、何故私の手元にはこんなに沢山の紙が存在するのかしらと。未だに開けることすら、いや、存在していることすら忘れられた箱が倉庫の奥に眠っているのかと思うと、気が遠くなります。
猫は一年前の2倍の重さになりました。大きな体になったくせに心は子猫のままで、遊んでもらいたくて仕方がないようです。

2015/12/12 (Sat) 18:16 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。猫、ツリーに登りました。どうやら、ライトが点いている時は登らず、消している日中は登り放題らしいです。まだ大きなダメージは在りませんが、ツリーの枝が微妙に下がっているのが気になります。何しろ体重3キロですからね。
ところで私は思うのですが、人間皆、多分誰もが、どうしてもこれだけは守りたい、譲れない、と思うことのひとつやふたつはあるのですよ。人に合わせる必要はないし、人に言われるままにする必要もないと思うのです。私は最近、柔軟に順応しようとしていて、例えば海底に生えている海藻なような感じです。ゆらゆら揺れるんです、水の流れで。でもね、流されているのとは違って、自分の値はしっかり張っていて、世間の波にうまく乗って生きると言った感じ。だから自分、という物は飼えていないんですが、自己を主張する必要はないと言うことです。うーん、上手く説明できないけど、分かりますか。それはつまり、反対から言えば、自分の考えを人に押し付けないと言うことでもあります。皆、違う考えを持ち、違う人生がある。そういうことにひとりひとりが気が付けば、もう少し気持ちよく生きることが出来るのに、この世の中は。

2015/12/12 (Sat) 18:24 | yspringmind #- | URL | 編集

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