ポルティコの下を歩きながら

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12月。夕方暗くなるのがとても早く、仕事を終えて外に出ると既に闇。其の上、霧と来ているから視界の悪いこと夥しい。霧。久しぶりだ。視界が悪くて、などと文句を言いながらも心の底では少し懐かしがっている節がある。

私がピアノーロの家に暮らし始めた頃、知人は旧市街を隔てて反対側の郊外の町に暮らしていた。その辺りは土地柄、そして用水路などがあることから、湿度が高く、冬場の霧が濃いことで有名だった。ある冬の晩、相棒と私は知人の家の夕食会に招かれた。知人の家を目指す道は確かに霧が出ていて視界が悪く、成程、此れがこの辺りで有名な濃霧なのだな、と思った。この分では帰り道は大変なことになるだろうと、早めに切り上げるのが良いだろうなどと思っていたのに、お喋りが楽しくてうっかり遅くなってしまった。濃霧で運転できるだろうかと思って外に出てみると、驚くことに霧が引いて視界が良い。驚くほど気温は低く、湿度が高くて肌を尽くさすようだけど、あの有名な濃霧は何処にもなかった。これは驚き。と、ピアノーロへと車を走らせていると、ボローニャ市内を出て、いよいよピアノーロへと差し掛かり標高が上がり始めると言うところに来て、霧の壁に遭遇した。これをイタリアの人はbanco di nebbiaと呼んでいて、直訳すれば霧提とでもいうのか。兎に角一寸先が見えない。霧だと重々承知なくせに、分厚い壁に衝突しそうな錯覚に陥って、足がつい急ブレーキをかけてしまうから、こんな晩には追突事故が絶えない。そればかりではない。例えば誰かが道に飛び出してきても見えない。こんな夜中だ、人が飛び出してくることは滅多にないにしても、例えば人が寝静まった頃を見計らって活動し始める野生の鹿などが飛び出してくるなんてことはよくある話しだ。私達は目を凝らしながら、これ以上遅く走ることは出来ないレベルまで速度を落として、ようやく家に辿り着いた時には心身ともにくたくただった。ピアノーロにこんな濃い霧。昔はそんなことは無かったのに。ピアノーロの丘の上で生まれ育った相棒は、不思議でならぬと言うように幾度も首を傾げていた。あの年からピアノーロは冬になると酷い濃霧になった。その濃霧が嫌だったからボローニャに戻ってきたわけではないけれど、確かにあの濃霧のある冬は、少々陰気で、沈鬱で、沢山の溜息が出た。ピアノーロを離れて3年目の冬。霧が出て、久しぶりにピアノーロに居た頃のことを思い出した。案外楽しかった。丘を走る鹿の姿は美しかった。初夏の緑の美しかったこと、金色の麦が風に揺れて感動したこと。それから、あの町に住んだからこそ、自分にはボローニャの暮らしが合っていることが分かった。僅か5年間だったけれど、だから案外良い経験だった。

ポルティコの下を歩きながら、12月を思う。楽しい12月にするために、早く風邪を治してしまおう。


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コメント

こんにちは、yspringmindさん。

オレンジ色の照明。

霧が増えたんですね。

2015/12/05 (Sat) 03:07 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。ボローニャの霧は案外有名ですが、すっかり忘れてしまうくらいご無沙汰でした。これからは毎日霧かもしれません。ボローニャは盆地のような地形の街ですから、夏は暑く冬は寒く、湿度が高いので霧が出やすく、一旦出るとなかなか晴れないのです。

2015/12/05 (Sat) 19:07 | yspringmind #- | URL | 編集

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