魅力

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私が借りているアパートメントがあるサン・ルイ島はセーヌ川の真ん中に存在するからなのか、朝晩冷たい風が吹く。昔ながらの窓枠は趣があり、鍵のメカニズムや取っ手にしても大変私好みであるが、最新のガラスではないから風でかたかた鳴る。私はそれが好きで、風で揺れてガラスが鳴ると、一瞬耳を澄まして聴き入る。ああ、風が吹いている。そんなことを思いながら、白いシーツの上に横たわり、知らぬ間に深い眠りに陥るのだ。

マレ界隈、と言う名をパリに来る前に知人たちから何度も聞いた。それから借りたアパートメントの持ち主も、マレ界隈には沢山の路地が在って面白いからと勧めた。それではと足を運んでみたのはサン・ルイ島から歩いてすぐ其処だと思ったからだ。パリの地図は危険だ。何処も近くそうに見える。地図をポケットに突っ込んで歩き始めたは良いが、どうも分かりにくい。道が酷く入り組んでいる。そのうち自分が何処に居るのか判らなくなってしまった。パリに来てからいつもこんな風だ。街歩きは大の得意。地図を読むのも大の得意。方向感覚があるから、知らない街だって全然問題ない。私は今までずっとそう思っていたのに、全く自信が無くなってしまった。その反面、私はこの界隈が酷く気に入って、毎日のように足を運ぶ。この辺りにはアトリエあり、ギャラリーあり、衣類を売る店あり、雑貨店あり、カフェあり、食料品店あり、手早く言えば何でもありだ。それがどれも小洒落ているので、ここを訪れる人は後を絶たない。ひと頃の私ならば、それらをひとつひとつ覘いてみたくなっただろう。ところが最近嗜好が変わり、本当に関心のある店にしか入らなくなった。おかげで散在することも無く、店のウィンドウのセンスを堪能したり、店の窓枠や壁、扉の色を楽しんだりするだけだ。色。そうだ、この街の色には本当に脱帽だ。ボローニャの何処を探したってこんな色合いは存在しない。そもそも街が許可しないだろうから、存在しないのも不思議ではないけれど。街の調和と言うか、何と言うか。ピアノーロに住居を購入した時、アパートメントの住人たちと相談して外壁を塗ることになった。それで何色にするかと言う段になったら、まずは市に許可を得なければならないと知った。市に指定されたのは橙色、もしくはそれに近い色。それで柔らかい橙色を選んだが、塗ってみたら酷く赤くて頭を抱えた。まさか、市から塗りなおしの通告がでるのではないだろうかと。結局そのままで良いと言うことになったけれど、周囲との調和の欠片もなくて、近所の話題の種だった。パリではそんなものは関係ないらしい。濃い若草色に塗られた店もあれば、紺色の店もある。そうした自由な空気が、芸術家をこの街に集めたのかもしれないと思った。パリの魅力に嵌った人々。パリに集まった芸術家。名を上げた人だけでなく、まだ磨く前のダイヤモンドのような人達も含めて。ただの石ころやガラス玉の人だっているかもしれないけれど、私はそんな人達でさえ眩しく見える。自分の才能を信じて今日を生きる人、明日へと歩む人は、それだけで美しく、それだけで価値があるのだと思うから。明日のことなど誰にも分からない。今日まで価値を認められなかったものが、明日は素晴らしいと、新しいと言って褒め称えられることだってある。だから前に進む力を捨てないで欲しい。私はいつも彼らにそう願うのだ。道を歩いていたら仕立て屋さんを見つけた。小さな店で酷く地味だった。外から中を覘いてみたら、奥で女性が縫い物をしていた。そういえば私には昔から小さな夢があった。自分で、ひと針ひと針、心をこめて、いや、愛情をこめて、上質のカシミアで自分用の冬のコートを縫いたいと。自分にぴったりの、シンプルでクラシックな形の、一生着続けることが出来るようなコート。厚みのあまり無い、軽くて暖かいカシミアコート。襟に手縫いのステッチが見えるような。奥にいる女性を眺めながら、そんなことを思い出した。そして気の向くまま歩き始めたら、案の定何処に居るのか判らなくなった。街角に記されている道の名前と地図を照らし合わせるが、分からない。結局また、通りかかった人に助けて貰った。親切な人が多い。それがパリの印象のひとつだ。

アパートメントのすぐ隣の建物に、レバノン料理の店がある。割と高い店だ。夕食をとれば軽く50ユーロは飛びそうなほどの。前を通るといつもいい匂いがして、私の鼻を刺激する。今夜は思い切って立ち寄ってみた。小さなひとり分の持ち帰りを頼んだら、快く引き受けてくれた。料理が出来る間、店の中で待った。店の中にはひとり髪の長い若い女性がいた。アメリカ人らしかった。彼女は私に不意に話しかけて、今日はインド製のスカーフを3枚も購入してご機嫌なこと、彼女は週末だけこの店でダンスをしていること、今夜は気が向いて立ち寄ったこと、パリの南に住んでいて、この寒い中、自転車で突っ走ってきたことを、訊ねてもいないのに次から次へと話してくれた。私の言えることといったら、まあ、そうなの、くらいなものだった。それにしても、彼女はどうしてパリに住んでいるのだろう。きっと、彼女も、パリの魅力にとりつかれて此処を離れられなくなったひとりなのかもしれない。


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コメント

こんにちは、yspringmindさん。
パリにあまり興味がなかったのですか、yspringmindさんの感じられたことに、ああそういう見方もあるんだなと思い、歴史があり人の行き来が旺盛なパリを見たくなりました。
芸術家の生まれる自由な雰囲気。
そんなところで、生活してみたい。

2015/10/14 (Wed) 02:36 | つばめ #- | URL | 編集

パリ生活 楽しんでいらっしゃるよYですね。私も初めて一人でパリに行ったとき、親切な人が多くて驚きました.きいていないのに 地図を見ていると教えてくれる人とか、、パリにはなにか 大きな力がありますよね。風邪ひかないで散策 満喫してくださいね。

2015/10/14 (Wed) 16:36 | kimilon #2Z6s4wa. | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私もパリにあまり関心が無かったのですが、でも私の場合は関心がないと思い込んでいただけのようです。パリに来てみたら、どうしてもっと早く来なかったのだろうと思いました。ボローニャばかり見過ぎていたみたいです。もっと違う空気に触れなくてはと思いました。案外、そういうことを通じて、ボローニャを更に好きになるのかもしれないとも思いました。パリの色は美しいです。ボローニャのそれとは根本的に違うと思いました。

2015/10/14 (Wed) 20:38 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

kimilonさん、こんにちは。楽しいパリの小滞在、明日の朝には終わりです。周囲の人達には本当によくしてもらいました。久しぶりに見るものすべてが美しく感じ、全てが楽しく感じました。私には必要だったなあ、こういうのが、と喜んでいるところです。此れでまたボローニャで頑張れそうですよ。パリ。不思議な力のあるパリでした。

2015/10/14 (Wed) 20:44 | yspringmind #- | URL | 編集

パリで目に入ってくる色。
たとえば、何色がありますか。

2015/10/15 (Thu) 15:27 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、パリで私の目に入ってくる色は例えば薄いグレーに近い藤色、濃いグレーに近い藍色、トーンを一瞬落した若草色。真っ白でない、柔らかい白。他にもあると思うのですが、私にはこれらの色が大変印象的でした。

2015/10/17 (Sat) 00:31 | yspringmind #- | URL | 編集

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