普段のパリの顔

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同じ階の誰かが朝早く扉を閉めて出て行ったのが聞こえた。仕事だろうか、学校だろうか。まだ、この建物の住人とは会ったことがないけれど、確かに人が住んでいるようである。時計を見るとまだ7時だった。いつもの私なら既に朝食を終えて、猫の世話をしている時間だ。月曜日のそんな時間に、私はまだ掛け布団の中に潜ぐっていて、近所の人の物音に耳を傾けてはまだ朝早いのになどと思っている。月曜日だというのに、まったく。それもこれもパリの日の出は遅いからだ。8時だ。ボローニャと比べたら30分ほど遅い。朝日が昇らないと頭と体のエンジンが掛からないなどと言ったらば、相棒はきっと笑うだろう。朝日が昇ってもエンジンの掛かりが悪いくせにと。

今朝は酷く寒かった。10時になっても8度だった。メトロの駅を出たところで、はーっと息を吐いてみたら白い煙のように空に上っていった。今日の目的地はオランジュリー美術館。パリに着いてからと言うもの、私はこの広さに加えて土地勘も掴めなくて歩く方向を間違えてばかりいる。こんな寒い日に方向を間違えてはならぬ、と、その辺に歩いている人に訊ねる。あっちのほうだと指で示す。私の想像どうりだった。少し慣れてきたのかもしれない。まだ早い時間とあって人は少なかった。此処に来たのはモネの睡蓮の連作があるからだった。昨晩、ふと思いついたのだ、観に行ってみようかと。本物のこの絵を初めて観たのは私がまだ10代の半ばだった頃のことだ。当時の私は絵に夢中で、月に幾度も美術館に足を運んだ。私が両親から月に貰う小遣いは恐ろしく少なかったが、美術館へ行く為ならば、両親は喜んでお金を与えてくれた。私の両親は、それほど私が美術に夢中なことを喜んでいたのかもしれない。それでモネの連作だが、前に見たのはもう随分前のことなのに、その時の喜びは記憶に新しく、何がそれほど私を喜ばせたのかを確かめたくての訪問だった。部屋に入るといきなり4つの連作があった。絵の前に長々と並ぶ長椅子に座った。私はこんな風に絵の前に座ってゆっくり鑑賞するのが好きなのだ。館内の全ての絵を観る必要は無い。好きな絵を幾枚か時間を惜しまずに眺めることが出来たら、それで充分なのだ。私の隣にはまだ高校を出たばかりのような瑞々しさを持った学生。モネの連作を模写していた。それをこっそり覗き込みながら、私もそんな学生のひとりだったことを思い出して、胸が一杯になった。私はやめてしまったけれど、君はやめないで夢を追いかけてね。そんなことを無言で語りかけてみたけれど、それが伝わる筈もない。次の部屋にも連作があった。絵でも音楽でも、人には好みと言うものがある。だから絵を鑑賞した感想も、人と同じである必要は無い。100人居たら100通りあって、それで良いと思う。それで私にとってモネの睡蓮は、好みとか何とかを超えた、私の心をかきたてる、夢のようで、くすぐったくて、懐かしくて、恋焦がれるようなもの、それでいて穏やかな感じ。もし私がパリに暮らしていたら、時々此れだけを観る為に此処に足を運ぶだろう。それは多分10代の半ばの頃とは違った気持ち。安堵を求めるような気持ち。美術館の傍にある丸い池。その周囲に若草色の椅子が不規則に置かれていて、ここを訪れる人達が思い思いに腰を下ろすらしい。そういう感覚がこの街らしいと思い、それがこの街の良いところなのだと思った。

19時半を過ぎた頃、急に人の声が聞こえなくなった。サン・ルイ島のこの辺りは、土、日曜日と大変な賑わいで遅くまで人が街を徘徊していて声が聞こえたと言うのに。平日のパリは、案外こんな風に静かなのかもしれない。これが普段のパリの顔だとしたら、私はパリと上手くやっていけるような気がする。


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コメント

ysmind様、
パリに滞在されているのですね。随分前に、家族旅行で、平日のパリに滞在しました。それも、初夏だったと思います。私達は、8区の素敵なホテルに宿泊して観光と美術館巡りを楽しみました。平日のパリは、とても居心地が良かった。でも、お店の人たち、観光地で働くスタッフの態度が横柄で、不愉快な気分にさせられました。エッフェルタワーのエレヴェーターガールまで、観光客を怒鳴りつけて(パリを楽しみにしていた、おそらく東欧からの観光客の家族が、はしゃいでいた時に)驚いていました。私は、その時に、若い頃に叔母夫婦がパリに住んでいたので、ウイーンから、叔母夫婦を頼って、夜行列車に乗ってパリを訪ねたことを思い出しました。
あの時のパリの印象と、数年前に、家族旅行をしたパリとは、まったく印象が変わっていなく、それが、かえって嬉しく、懐かしく、パリを愛しいと思う気持ちになりました。
オルセー美術館のレストランは、NYのモダンアートミュージーアムのレストランと同じくらい、気に入っています。どうか、パリをエンジョイされてください。
そして、お体に気おつけて。

2015/10/13 (Tue) 01:25 | キャットラヴァー #mQop/nM. | URL | 編集

こんにちは、yspringmindさん。
とってもいい並びの椅子ですね。
これを見ただけで気に入りました。

こんな感じでいていいと言われてるようで、とってもいい感じです。

2015/10/13 (Tue) 14:15 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

キャットラヴァーさん、こんにちは。初めてパリに来ました。始めの二日間は週末とあって恐ろしく人が多かったのですが、平日になると平常のパリに戻ったのか、旅行者が沢山いるにしても目が回るような混雑はなくなってほっとしています。
今のところ私はパリでいやな人に会っていないようです。パリの人達は英語は少ししか分かりませんと言いながら、ちゃんと理解して説明してくれるのですから、何だか日本人みたいに案外謙遜する人が多いのかしら、と思っているところです。私がボローニャに暮らした頃に感じた外国人嫌いとか差別のようなものは今のところ全く受けていませんから、大変幸運と言うべきでしょう。オルセー美術館に関心があるものの、最後の一日の明日は写真美術館へ行くことにします。

2015/10/13 (Tue) 20:55 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。椅子がばらばら、勝手な方向を向いていて、楽しくなりました。誰がそれを直すでもない。そういう感覚が私は好きで、この写真をどうしてもとらなくちゃいけないような気がしたのです。まるで私みたいな椅子たち。好きなようにしている。同志って言うのでしょうか。それとも似たもの同士かな。

2015/10/13 (Tue) 20:58 | yspringmind #- | URL | 編集

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