10月は冷たい雨降り

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冷たい雨。秋の長雨と言うにはまだ2日しか経っていないし、それに、こんな冷たい雨が幾日も続いかれては困るけど、秋の長雨と言うとぴたりときそうな感じの雨だ。静かに、黙々と降る雨。雨が上がったように見えるが、窓辺に立って外をじっと見つめるとまだ降っているのが分かるような、細く長く忍耐強い雨。それにしても、この冷え込みぶりはどうだろう。昼間も15度を超えぬ日が続くと、先が思いやられるというものだ。ボローニャの10月は時々こんなことがあると知ってはいるけれど。こんな10月は決して初めてのことではないけれど。

10月を迎えて、感慨深い。10月になると焼き栗屋さんが街に出没すると決まっていて、私は10月を迎えるたびに、ボローニャに暮らし始めた頃の10月を思い出すのだ。ボローニャに暮らすようになって4か月を過ぎたばかりの私は、とても焦っていたと思う。それは4か月経っても何も新しい展開が無い焦り。それは人間関係が一向に広がらない焦り。アメリカからボローニャに戻って来た相棒の考え方が日に日にボローニャ風に変わっていくことの焦り。今思えば馬鹿なことだと笑えるけれど、あの頃の私は大きな森にぽーんと放り込まれてしまったかのように、自分が行くべき道がどれかわからず、いや、何処に道があるのかもわからなくて、もがいたり焦ったりするしか無かったのだ。どっしりと腰を据えて見極める、などという方法があるなんて知らなかった。周囲のイタリア人たちが、ゆっくり、ゆっくり、と私のことを宥めれば宥めるほど、何かしなくては、と思った。そんな頃に見つけた焼き栗屋さんが、どんなに私を喜ばせたか。私はその香ばしい匂いを堪能しながら、子供の頃のことを思い出していた。
私は東京の小さな町に生まれた。両親と姉と私の4人家族。とても良く覚えているくせに、肝心なところが抜けている私の記憶は、まるで沢山のページが脱落してしまった日記帳のようだ。兎に角そんな具合で、子供の頃の記憶のところどころが抜けているが、こればかりはよく覚えている。時々家族で親戚の家を訪れた。親戚は目黒線沿線に住んで居て、私達は幾つもの電車を乗り換えて行った。今思えば面倒くさい日帰り旅行だったのに、そんな乗り換えすらも私にはとても楽しかった。親戚の家に行くときは、いつも姉と揃いのワンピースを着た。母がミシンを踏んで縫ってくれたワンピース。大変だとか何とか言いながらも、母は私達に揃いの服を着せるためにミシンを踏むことが、生地を選ぶことが、型紙を作ることが好きだったに違いない。何故なら何時も嬉しそうに笑っていたからだ。そして出掛ける朝、姉と私が其れを着ると、ぴったりだと言って更に嬉しそうに微笑んだ。揃いの服を着せた理由は、もうひとつあったのではないだろうか。多分、私が迷子になった時に探しやすいからだったに違いない。自分で言うのもなんだけど、私は子供の頃からふらふらしていて目を離せない子供だったからだ。昼をめがけて親戚の家に行った。皆で一緒に食事をするために。お喋りをして、皆で散歩をして、買い物をして帰ると夕食の時間だった。この家の夕食は驚くほど早くて夕方6時には夕食だった。何故なら夜の10時を待たずに消灯だからだ。そう言う訳で私達家族は夕食を共にして、7時になる頃に重い腰を上げた。小さな子供だった私は遊び過ぎたのと満腹感で既に眠くて仕方なく、父や母の手を焼いた。電車の中から見る夜景を見るのが好きだなどと言うと、必ず誰かにからかわれた。いつも眠っているくせに、と。そんな眠くて仕方がない私が、はっと目を覚ます場所がひとつあった。乗り換えのために駅を出て、少し歩いた先の駅前にある小さなスタンド。甘栗太郎だった。香ばしい匂いが溜らなかった。この匂いが鼻をつくと、ぱっと目が覚めた。此れもまた、家族の皆の笑いを誘うことのひとつであるが、本当なので仕方がない。私たち家族はこれが好物だったから、素通り出来る筈もなく、必ず足を止めて一番大きい袋に炒りたての熱々を沢山いれてもらった。家に帰っても焼き栗は温かくて、あれほど眠かったと言うのに焼き栗だ焼き栗だと騒ぐ私を先頭に、皆でテーブルを囲んで堪能した。それは私たち家族の幸せな思い出のひとつ。焼き栗の皮を剝いて指先が黒くなったことすらも。
ボローニャで焼き栗屋さんは私の思い出のスタンドとは似ていない。でも、遠くに暮らす私の家族が近くにいるように思えて、ほっとした。

この冷え込みは危険だ。しっかり着て体を冷やさないようにしなければ。10月早々風邪を引いて寝込んではいられないのだ。


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コメント

こんにちは、yspringmindさん。
前のお話ありがとう。
自分の気持ちを忘れてしまった。
一人なら、いくらでもわがまま(われのまま)で動くのですが。

栗が食べたくなりました。
焼き栗もとてもとても食べたいですが、ないので甘栗あったら食べてみよう。
わたしの栗の思い出は、栗拾い。
車で行けるところに栗拾いのできる農園が昔あって、そこに父と妹と行きました。
靴でイガをむいて、出てきた栗を拾います。
キツツキが大きな木にいて感動したのを思い出しました。午後のまだ暑い日差しの中を枯れ葉をザクッザクッと歩くのが楽しかった。

2015/10/03 (Sat) 15:57 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私は栗が大好きなのです。甘栗太郎も、イタリアの焼き栗も大好きだけど、本当に好きなのは日本の、あの大粒で蜜が入った栗。
秋になると栗を茹でて、家族みんなで食べました。あの大粒の栗を二つに割って小さなスプーンですくって食べる、あれが大好きでした。父だけ何故か小さなナイフで皮を剝いて、皮を剝いて綺麗になった丸ごとの栗をぽいっと口に入れていました。あの食べ方は時間が掛かる、といつも思っていましたが、父の拘りだったようです。
つばめさんの栗拾いの思い出。いいですね。キツツキが大きな木にいて感動・・・それは確かに感動しますね。私はまだ、キツツキを見たことはありません。ところで、日本の栗は本当にですね。イタリア人が見たらきっとびっくりすると思いますよ。

2015/10/03 (Sat) 22:01 | yspringmind #- | URL | 編集

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