虫の声が聞こえる

P1010884 small


夏場のボローニャは留守の家が多くて、それを狙った空き巣事件が近年多くなっている。うっかりすればアパートメントの皆が同時期に休暇に出掛けてしまうなんてこともあるらしく、そんな建物を狙って空き巣が荒らしていくのである。でも、うちのアパートメントでは上階の夫婦がいつも目を光らせているから大丈夫。別に暇な人達ではない。空き巣が心底怖いのだろう、と想像する。確かに上階の家族は豊かなので、守るべきものが沢山あるに違いない。だから、不審者が庭を取り囲む柵に近づこうものならば、上の階の窓から声を掛ける。何か用かい。そんな感じに。幾度かそういうことがあったらしいから、悪いことを考える連中は本当に存在するようだ。そんな彼らも家族みんなで来週から休暇らしい。大丈夫、私達が居るから。そう言って胸を張る私に、上階の彼は笑いながら人差し指を立てて、こう言うのだ。よし、後は君たちに任せたぞ。しっかり見張りを頼むよ。と言う訳で私と相棒は、来週から暫く見張りの番人なのである。病気の息子を抱えたこの家族が、皆で安心して休暇を楽しめるように。不審者が近づこうものならば、テラスの先からこう言うのだ。君、君、何か用かな。

日が暮れるのは早くなった。20時にもならないのに空が陰りはじめる。そうだ、もう8月20日だもの。カレンダーを眺めながら、時間が経つ速さに感嘆する。そのうち空には小さな蝙蝠が舞い始めて、更にさらに暗くなっていくのだろう。
私がアメリカへと発ったのは丁度この時期だった。昼間はまだ焦げるような暑さでやり切れなかったが、夜になると虫が鳴いて夜風が気持ちが良かった。あちらこちらで打ち上げ花火が催されて、東京の何処かの川辺に花火を見に行こうと誘われたけれど、翌朝、アメリカへと発つからと、誘いを断ったことを今でも覚えている。もう準備は出来ていたから、特にすることなどなかった。でも、私なりに緊張していた晩だった。そして親孝行を暫く出来なくなるからと思って、家で夕食を共にしたいと思った晩だった。それが本当に親孝行だったかどうかは分からないけれど、そうであることを望みながら。それでいて遠くの方に打ち上げられた町内の花火を窓辺から眺めながら、友人の誘いを断ったことを残念にも思っていた。どれもこれも手に入れることは出来ないと知っているのに。
全て自分が望んだことだった。母が最寄りの駅まで送ってくれた時、体に気を付けるようにと言われて、うん、と元気に頷いて別れたくせに、電車に乗った途端に心細くなった。これからは自分ひとりが頼り。頼る人は居ないのだ、と。私はいつも一人前の大人の気でいたけれど、まだ、本当の意味で一人では何もできない未熟者だった。それはアメリカでなかなか職が見つからず、食べるのにも不自由してしまうようになった時も、結婚をしてボローニャに来て、自分が異国人であることを身に沁みて感じて八方塞がりになった時も、相棒と酷い喧嘩をして離婚したいと思った時も、此処から出ていきたいと思った時も、結局厳しい言葉で私を戒めて、ああ、私には味方がひとりもいないと嘆きながらも、しかしその言葉で私は一瞬立ち止まって、考えて、考えて、乗り越えることが出来た。私ひとりではどうしようもなかった。いつも私の見えないところで応援してくれる家族がいた。それらの言葉は私を一瞬傷つけたり悲しませたりしたにしても。負けるものか、絶対負けるものかと私を奮い立たせたのだのだから。さもなければ、私はすぐに諦めたり、放棄してしまったに違いなく、今頃ボローニャで日が暮れるのが早くなったものだなどと言っていないのだから。
24年の歳月が過ぎて、しかし実を言うとまだ一人前の大人にはなっていない。一人前の大人風。一見そんな風に見えるだけだ。こんなに歳月が過ぎても、私は24年前の私と一寸も変わらない。夢ばかり見ていて、何とかなるさ、などと気楽なことを言っておきながら、困ったことが起きると泣きべそをかいて逃げたくなる。多分これからもずっと同じ。人間とはそういうものだ。

外では虫がしきりに鳴いている。不思議なくらい外が静か。だから虫の声がよく聞こえる。其れに耳を傾けている人がどれ程いるのだろう。どれ程の人が虫の声に安堵を覚えるのだろう。安堵、それは喜びと平和な空気、そして少しばかり人をノスタルジーな気分にさせる。


人気ブログランキングへ 

コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

2015/08/21 (Fri) 12:38 | # | | 編集
Re: タイトルなし

鍵コメさん、こんにちは。そうですね、人には長い道のりがあって、放棄するのも続けるのも自分次第なんですよね。私は続けることが一番良いとは決して思っていません。時には、ええい、と延々と続く鉄道の旅から飛び降りるのも良いと思うのです。でも、そうするのは多分何時でも出来ることだから、ここまでやってみようか、とあまり遠すぎない目標を作っていくんです。それに到達できたら、もう少し向こうの方に目標を作って。何をやってもうまく行かない時って誰にでもあるのだと思います。そう言う時は頑張るのを一瞬辞めて、自分がしたい事をするといいんです。しなくてはいけない最低限のことをしておけば、周囲だって文句を言いません。そうして自分がしたい事をする。自分に甘くする、優しくするのは悪いことではありませんから。自分で自分に優しくしなかったら、誰がしてくれるの?と思うのですが。まあ、これは私が作り上げた哲学なので、世間がどう思うかは分かりませんけど。
そうしているうちに、ぱっと前が開ける時が来ます。こんな私にすら、そういうことがあったのだから、他の人にない筈がありません。そんな時、チャンスを迷わず掴み取る勇気と元気を備えておいてくださいね。偉そうなことを書きましたが、多分、鍵コメさんより随分年上の、少しばかり人生長く生きている、失敗続きの人生だけど、それでも何とかうまくやっているお節介な女性の言葉だと思って、とりあえず聞いておいてください。
必ずいつか、ああ、楽しい、嬉しい、幸せだと思う日が来ます。

2015/08/21 (Fri) 16:43 | yspringmind #- | URL | 編集

こんにちは、yspringmindさん。
すらすらっと書かれているので、心強いと同時に、いろんなことを言い当てられてる気がしてなにも言えなくなってしまいました。
でも、とっても心強いと思います。
いろんなことがこわくなったとき、ほんとに心を開放して泣きたくなります。でも、泣けない。

2015/08/22 (Sat) 06:10 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、私は自分を強いなあ、と感心する時もあれば、どうしようもなく弱いなあ、とがっかりする時もあります。でも、どちらにしても試行錯誤しながら頑張り続けるか、やーめた、と止めてしまうかの二つしか方法が無いので、あまり悩むことは無いのです。昔、私は辛いと泣きました。自分でも驚くほど泣きましたが、最近は水不足で涙のひとつも零れません。涙は嬉しい時と悲しい時にとっておきたいと思います。

2015/08/22 (Sat) 22:40 | yspringmind #- | URL | 編集

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する