海を見に行こう

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数日前の事。海を見に行こう、と車を南西に走らせた。目指すはティレニア海の海。ボローニャからフィレンツェ、そしてリヴォルノへと続く道だった。早朝の出発との約束だったが、ボローニャを発ったのはもう10時を回ってからのことだった。8月にしては涼しい朝で、アペニン山脈を越える辺りは窓を閉めたくなるほどの冷えだったが、トスカーナ地方に足を踏み入れるなり気温が何度も上がったようだった。そうだ、隣り合わせになっているがエミリア・ロマーニャとトスカーナは本当に違う。気候にしても好みにしても、空気の色や壁の色にしても。リヴォルノへと続く高速道路を走りながら、相棒と溜息をつく。この道に車を走らせたのは20年前の夏だった。

アメリカから送った、私達の引っ越し荷物を詰め込んだ20ftのコンテナがリヴォルノに着いたはいいけれど、国の役人がイタリア国内で販売するための商品とみなして莫大な税金を課せられた。リヴォルノの港の役人から電話を貰った相棒がいくら説明しても聞く耳が無い。最後には、これは自分たちの生活用品なのだと説明するために夫婦で出頭することを命じられて、リヴォルノ港へ行くことになったのだ。相棒は胃が痛い思いだっただろう。私はと言えば、初めてのリヴォルノで、半分は遠足気分だった。上手くすれば、用事を済ました後に街を歩けるかもしれない、と。勿論言葉にはせずに、こっそり思っていただけだけど。港の役人たちは、私達を充分待たせてから、そして随分沢山の質問をして、ようやくこれらが自分たちの引っ越し荷物であることを信用してくれたようだった。それでも随分の税金を払うことになったのは、私達の荷物の半分がアメリカのアンテークラジオ、蓄音器、古いレコードと言ったものだったからだ。これらは相棒の生涯のコレクションで、ボローニャに引っ越すと決まった時に誰が何と説得しようと、絶対に手放さないと言ってきかなかった、その為にコンテナなんてものを借りることになった問題の根源だった。しかし、人にはそうした物のひとつやふたつはある、ということで希望を聴きいれたのだけど、まさかこんなことになるとは思っていなかった。役人たちから解放されて、私達は疲れ切っていた。密かに企んでいたリヴォルノの散策どころではなく、気の利いた魚料理にも関心が持てず、私達はバールで冷たいものを飲んだだけで、ボローニャへと車を走らせた。トンボ返りと言った感じで、しかしそれが得策に思えた。あれは特に暑い日で、まっすぐのびる高速道路が憎いほどだった。片手に見えた向日葵の群れ。向日葵すら暑さで頭をもたげていて、暑さしか感じられなかった。

20年前に走った道だという私に、あの日は本当に暑かったと答えた相棒。リヴォルノの旧市街を歩きたかったのにと言う私に、そんな気分じゃなかったな、と言って相棒が笑った。そうしているうちに車はリヴォルノを通過して海岸線を南へ南へと向かう。私達の目的は海に入ることでも肌を火に焼くことでもいない。海を見ることだった。どこか、人があまりいない海を見たかった。でも、何処も彼処も人で一杯だった。もう静かな海は無いのかもしれないと諦め始めた頃、あった。

こんな海が見たかった。うん、こんな海の色を見たかったよ。


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コメント

こんにちは、yspringmindさん。

yspringmindさんのおかげで
わたしもティレニア海やひまわり畑の横を走った気分になりました。
あー、気持ちよかった。
おもしろいなと思ったのが、海っていったら水平線を、空と海を表す人が多いと思うのですが、石段と海を撮られたのが、たまたまなのか、やっぱり昔絵をされていただけあるなと思ったのです。パッとシャッターを押されますか、じっくり考えられますか。
ほんとに海の写真でも普通の人が撮ったら、真正面の海ですよね。
この海にそんな思い出があるのですね。

2015/08/16 (Sun) 16:31 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私は海と縁の薄い人で、さあ、と思い立った時に腰を上げないと海を見ることなく何年も経ってしまうのです。アドリア海よりもティレニア海のほうが悠々して見えて好きです。イオニア海はもっと好きです。
私の写真の構図は少々人と違うようです。だから時々これじゃあ駄目だよと批判されることがあるのですが、私は屋は礼こういう視線で行きたい。ルールはあって無いもの、と思っているのですよ、創作の世界には。なーんて、偉そうなことを言ってみました。

2015/08/17 (Mon) 20:12 | yspringmind #- | URL | 編集
Quadrilateroのこと

yspringmindさん こんにちは。ちょっとご無沙汰のあいだに連日の投稿ですね。なにか創作意欲を突き動かすようなことでもあったのでしょうか。いずれの文章も、それぞれに雰囲気のある上等の文章で、ひととき楽しませていただきました。
ボローニャから戻ってまだ一か月半というのに、もう旅の記憶が薄れ始めています。それでも某旅行サイトに拙い「旅行記」をアップするために写真を整理したり、領収書やマップをてがかりに記憶を呼び起こしたりしている束の間、旅の余韻が蘇ることがあります。それに加えてyspringmindさんの記事が、経験できなかったボローニャの別の断面を掬い上げてくれるのが、大変嬉しいです。
特に旧市街のお店のお話がいいですね。マジョーレ通りに宿をとったので、ほとんど連日、マジョーレ広場の隣の一角にでかけました(Quadrilatero という名前なんですね)が、さすがに(言葉の問題もあり)お店の方と少し長いやりとりをするまでには至らず、あの場所がどうして、あのような形で残ってきたのかという疑問はまだ解明できていませんが、いくつかの手がかりがyspringmindさんの文章の中に潜んでいるような気がして、少し過去の分まで「探索」させていただこうかなと思っています。
日本ではとっくにすたれてしまった、街の中心にあった商店「街」が、なぜボローニャ(だけでなくイタリアの中小都市ではほぼ例外なく)死滅を免れたのか。とっても興味があります。

2015/08/18 (Tue) 08:24 | Yutaka Hoshino #rmkBes5Y | URL | 編集

yspringmindさんの目線がいいです。
創作にルールはない!
そうそう。
ほんとに言葉で表せないですよね。
ありきたりでない。
芸術というと型にはまった置物みたいだし、創作というと生きた今あるものみたいですね。

2015/08/18 (Tue) 16:15 | つばめ #- | URL | 編集
Re: Quadrilateroのこと

Hoshinoさん、こんにちは。連日の投稿には理由あり、です。それは夏休みで家に居るから以外の何でもありません。創作意欲がわいて、と書けばかっこいいのですが、正直に言ってしまいましょう。
今、ボローニャ旧市街は砂漠化」しています。何処も彼処も閉まっていて、開いているところが妙に繁盛している。消費者の私達からすれば選択の余地なしで、少々困ったことなのです。とはいえ、この時期街に残っている人の方が珍しい、今はそういう時期なのです。マッジョーレ広場の近くの食料品市場界隈が今も残っているのは、実にイタリアらしいことだと思います。イタリア人は兎に角話をするのが好きなのです。ですから話をしながら買い物ができる個人商店が大好きで、ついでに言うと行きつけの店に通うのが大好きなので、此処と決めると何年も何十年も通うんですよ。例えば日本であるならば、あの新しい店へ、あっちの店の方が安い、こっちの店がお洒落、と案外簡単に店を替えますが、イタリア人は頑固なのです。そして顔を覚えて貰うと、待遇も良くなって、美味しいのを選んでくれるというメリットもあります。昔はそれが面倒くさいと思った私も、5年くらい暮らすと、成程、と納得して、小売店を好み、そして同じ店に足を運ぶようになりました。基本的にイタリアは、古くなったからと言ってそれを取り壊すことはありません。古いものを直しながら、昔の風習を継続するのがイタリア流と言ったらよいかもしれません。それでは発展が無いではないかと思うかもしれませんが、日本やアメリカと言った国が最新を取り入れて改善や開発を受け持ってくれているので、イタリアのような国があっても良いと思うのです。皆が皆、新しいものを求めていたら、ツマラナイのではないかと。古くて昔ながらのやり方。それがイタリアの良いところだと私は信じています。

2015/08/19 (Wed) 17:46 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、ありがとうございます。創作という言葉は自由な匂いがしていいと思いませんか。こうじゃなくてはいけないと人間は決めつけたがるのですが、そんな枠の中にいるのは息苦しいし、折角作り上げたものもみんな同じに見えるのではないかと思うのですよ。もっと自由にいこうよ。と、私は思うのです。

2015/08/19 (Wed) 17:56 | yspringmind #- | URL | 編集
イタリアのお店

yspringmindさん こんにちは。今朝の函館は先週から続いていた雨もあがり爽やかな涼風。秋の訪れが感じられます。(この時期、函館に住むことの幸福を満喫できます)
イタリアで古い町並みと商店がしっかり持続していること、丁寧な解説ありがとうございます。たしかに私の泊まったAirbnbも躯体は多分100年以上、年代物のエレベータが懐かしい雰囲気を醸していました。でも多分内部は何度も改装しているようで、それなりに近代化もされています。
なにかの本で、イタリアはスーパーと小規模小売店の割合がヨーロッパの中でも飛び抜けて後者が多数派と出ていたのを覚えています。低価格とワンストップショッピングで一気にスーパーなどの大規模店に席巻されてしまった日本とは消費者の姿勢に大きな違いがあることは確かのようです。そういえば対面販売での店の人とのやりとりということから遠ざかって長いですね。ヨーロッパに行って、あちこちの街の市場で懐かしがっているという情けない現状ですが、私たちの世代について言えばまだ僅かながら「スーパー以前」の雰囲気がかろうじて記憶に残っています。yspringmindの記事にも、ボローニャでのそうhしたやり取りがときおり出てきて嬉しいです。

Quadrilateroでは、チーズ+サラミのお店、路地の果物屋さん、多種類のパスタとお惣菜を扱う店、そして美味しいクロワッサンの店をみつけました。いずれも店員さんたちのキビキビした動作と笑顔が印象に残ります。次回はもうすこしイタリア語を勉強して、カタコトでも会話ができればと思います。

2015/08/20 (Thu) 01:50 | Yutaka Hoshino #rmkBes5Y | URL | 編集
Re: イタリアのお店

Hoshinoさん、こんにちは。そうですか、この時期は戸建てはそんなに素敵なのですか。それでは夏に帰省するときは、函館旅行も考えましょう。私、函館には一度行ったことがあるのです。家族一緒の最期の旅行でした。旅館の窓からイカを釣る小舟が海に浮かんでいるのを眺めながら、皆で夕食をしたのを覚えています。船が波で揺れるたびに、小さな灯りがゆらゆらして。
旧市街の建物は皆古いです。外壁は色を変えることすら許されていません。建て増しも不可です。取り壊しも不可。だから内側を改装するんですよ。外は大変古めかしいのに、内側はすごく機能的でモダン、と言ったギャップがイタリアの建物です。
次回はもうすこしイタリア語を勉強して、カタコトでも会話ができれば・・・。是非それが良いです。イタリア人は片言でも、下手でもイタリア語を話そうとしている人に大変好感を持ってくれます。市場などでそんなことをしたら、店の人は大喜びですよ。これはボローニャに限らず、イタリア北から南の何処へ行っても共通ですからね。

2015/08/20 (Thu) 22:39 | yspringmind #- | URL | 編集

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