昼下がり

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朝から暑い。テラスの日除け屋根を開いて家の中にまで入り込まないようにするが、その隙間を縫って忍び込んでくる夏の光。まるで私の目を盗むようにして。それにしても、日差しの具合が少し前と違うことを感じる。射るような強さには変わらないが、一瞬疲れた色を感じる。太陽の角度にしても、朝日が昇る時間も日が暮れる時間も、少し前と違っても仕方あるまい。もう、8月中旬なのだから。家人、又は家猫が外で激しく鳴く蝉の声を気にすることもなく昼寝をする昼下がり。時々吹く午後の風の中で私は想う。昔読んだ本の中に出てくる二コラの家の花壇には彼の母親が大切に育てたベゴニアやゼラニウムの花が植えられていて、時々二コラが遊びに夢中でサッカーボールがうっかり花壇の中に飛び込んでしまうものならば、母親に怒られた、いや、母親が悲しんだ ・・・さて、どちらだったかな。10代の初めに読んだあの本は、私にゼラニウムやベゴニアの花壇を想像させて、心躍らせたものだ。うちの庭にはトマトやナス、枝豆やさやいんげんが鈴なりだった。両親が春から心を込めて育てた野菜たち。でも、少女だった私には本に出てくる外国の名前の花に酷く惹かれて、どうしてうちはそれらの花を植えないのかと訊いて父と母を困らせた。父も母も姉と私に、農薬を使わない、太陽の陽をたっぷり浴びた美味しい野菜を食べさせたいと思っていたに違いないのに。

ある夏の風がふわふわとそよぐ午後だった。夏はまだ続きそうなふりをしていて、でも確実に終わりに向かっていた頃だった。私はテーブルに着いて何か書き物をしていたのではないだろうか。夏の間中、私はそんな風にして午後を過ごすのが好きだったから。小さなヴォリュームで聴いていたラジオから、歌が流れてきた。歌の中にはこんな言葉があった。憧れには、いつも希望がある。10代後半の私にはとても新鮮で、強烈だった。心が震えたと言ったら良かったかもしれない。
憧れには、いつも希望がある。あれから何年も経った今日、その言葉を思い出して、声に出して言ってみたら、体の芯が熱くなった。大人になる過程で、若しくは様々な経験を通過する間に、私はそんな素敵なことを忘れてしまっていたらしい。先ほどまで聞こえていた遠くの道路を走る車の音も、蝉の声も、消えてしまった。声に出して言った言葉が、私の思考と心を占領してしまったらしい。

私は本が大好きだった。と言っても文学少女だったわけではなく、そしてそれによって博識になったとかでもない。ただ、本が好きだった。文字を読むこと、文字をなぞるようにして読むこと、そしてその言葉から様々なことを想像するのが好きだった。父から引き継いだ血だ。人はそれを遺伝などと言うのかもしれないが、私と父の場合、そんな大げさなものではあるまい。ただ、父から受け継いだ血なのだ。父が普通の人だったように私も普通の人。これもまた父から受け継いだものである。父にはどんな憧れがあっただろう。そうだ、いつか小説を書くという夢、憧れ。誰にだってそういうもののひとつやふたつがあるように。ならば私の憧れはなんだろう。自問せずとも知っているのに、それを言葉にしてしまうのが怖いような。しかし、憧れにいつも希望があるならば。

夏の昼下がりの風が、私の心をふわふわ揺らす。


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コメント

こんにちは、yspringmindさん。
わたしが、yspringmindさんの雑記帳が大好きなのは、いさぎよさを感じるから。

2015/08/15 (Sat) 14:37 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。そうですか。私の雑記帳は潔さを感じますか。それは最大の褒め言葉です。有難う!

2015/08/15 (Sat) 20:02 | yspringmind #- | URL | 編集

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