河の流れ

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気象庁の言うことが本当ならば、明日は雨になるらしい。予報はあくまでも予報。そう、思っている私であるが、それにしたって夜風の気持ちの良いことと言ったら。近くの山か丘で一足先に雨が降っているような、そんなひんやりした風に喜びの吐息をついているのは私だけではないにだろう。昨夜は12時を過ぎても31度から下がらず、横たわってみたものの眠りに落ちずに時間ばかりが経った。今夜は良い眠りに就けるだろう、そう思えるような夜風だ。そして明日、纏まった雨が降ったならば、街の熱気が少しは落ち着くに違いない。雨が嫌いな私とて、涼しくなるための雨ならば目を瞑ろうというものだ。

ふと、ローマに暮らしていた時のをことを思い出した。19年前のことで、ちょうど今頃の季節のこと。私は4人の若いイタリア人たちと共同生活をしていた。私を含めて5人の生活は思い通りに行かぬことも少なからずあって簡単ではなかったけれど、しかし数か月前までのひと月の間、80歳を過ぎた老女のところに住み込んでいたことを思えば、自由で全く気が軽かった。老女のところは夜9時が門限だったし、キッチンを自由に使えると言う触込みは全くの嘘だったし、プライヴァシーの欠片もなかったから、ひと月暮らすのが精いっぱいだった。その昔は豊かな人達しか暮らせなかったに違いない歴史ある建物に暮らせたのだ、と思えば良い思い出になるというものだけど。その前は、相棒の友人のところに数週間居候したが、これもなかなか肩身が狭かった。何しろ恋人との2人暮らしのところに転がり込んでしまったから、当然と言えば当然だった。だから5人の共同生活が自由で気楽だったと言う訳だ。この時期になると、ひとりふたりと休暇に入って家を留守にすることが多くなった。ある日仕事を終えて家に帰るとGCしかいなかった。彼はローマ大学で建築学を学ぶ学生だったが、兵役などが途中に入ったために既に25歳を超えていた。長身で巻き毛に洒落た眼鏡を掛けた彼は、姿が良いばかりでなく性格も悪くなかったために、人気者だった。私はイタリア語が下手だったし、他の住人たちが彼に夢中だったし、何の共通の話題も持っていなかったから、彼と話をしたことは殆ど無かった。ああ、一度だけ具合が悪くて寝込んだ時に、薬局に薬を買ってきてもらえないかと頼んだことがあったけれど。それでアパートメントに私とGCしかいないので、黙りこくっているのも失礼かと話しかけてみた。すると、なんだ、別に嫌われていた訳じゃないんだね、と喜んで話に乗ってきた。冷蔵庫の中にある材料をかき集めて、夕食を準備してくれたのは彼だった。それが、ちょいちょいと、面白いくらい手早かったので、私は酷く感激したものだ。住人のひとりが置いていったグレーの猫がちょっと目を離すと脱走しようとするので手を焼いた。そして大きく開け放った窓から落ちてしまいやしないかと、心配ばかりした。その晩遅く、気持ちの良い風が吹いた。テレビをつけたら音楽ビデオが流れていて、それは私がその一年前まで暮らしていたアメリカの様子だった。何てことの無い情景だったけれど、私は懐かしさで一杯で、思いのほかテレビの画面にくらいついていたのだろう。もうどこかに出掛けたと思っていたGCが、懐かしいのか、みたいなことを聞いたので、思わず言葉が零れた。どうして私はイタリアに来てしまったのだろう。その一言は単にイタリアに来た事実だけでなく、例えばアメリカに暮らそうと思って行ったのにイタリア人と出会ってしまったことや、その人と離れ難い仲になってしまったことや、そして、そして。GCは何処までそんな私の気持ちを読み取ったか知らないが、君は自由にいろんなところに行けて幸せだな、みたいなことを言った。自由。幸せ。当時の私にはそのどちらも思いがけない言葉だったから、えっ? と言っているうちに、GCは今度は本当にどこかへ出掛けてしまった。今夜の夜風が、そんなことを思い出させた。

長い年月を経て、私はどうしてイタリアに来てしまったのだろう、の答えを見つけ出した。それは河の流れのような物。私が其れに逆らわなかったからだ。でも河の流れはいつも同じではないだろう。その時その時ちょっと足を止めて、考えながら前に進んでいけばいいさ。


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コメント

こんにちは、yspringmindさん。
夜風がほんとに気持ちよさそうですね。こちらは、相変わらず梅雨で夜風はじめっとしていますよ。
かわいたさらっした大陸の風をわけてもらったようです。
GCさんは、いまどこでなにをしているんでしょうね。yspringmindさんにはその時々のいろんな友達がいていいですね。
なんとはなしにGCさんが言った言葉でしょうけど、そんな風にとれるんですかねえ。

2015/07/10 (Fri) 16:20 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。
GCとはあれっきりで、誰に訊いても何処で何をしているのか分かりません。多分彼は私がボローニャに帰ってから大学を終えて、アパートメントを出たはずなのです。私は結婚していたから、恋愛対象にならなくて気軽に話が出来て良かったに違いないです。何しろ彼は人気者で女の子の誰もが彼を好いていて、焼きもちなどが渦巻いていて大変でしたからね。そんな彼があの後どうしたのか、私も気になるところです。自由に、何処かへ行ったのかしら、と。

2015/07/10 (Fri) 21:40 | yspringmind #- | URL | 編集

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