夢を見た

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窓の外の新緑。マロニエの花はもう半分以上が散ってしまった。春というには気温が高く、しかし初夏というには至らない。遅く目を覚ました朝、窓ガラスの向こう側に茂る美しい緑を眺めながらゆっくりと朝食をとった。毎日時間との競争で、朝食を楽しむなんてことが無いから。朝食の内容こそいつもと何の変りもないが、傍らの椅子に座って私の様子を眺めている猫を時々確認しながら外を眺めて朝食をとれば、何か特別に感じるものだ。いつもより美味しいカフェラッテに感じたりして。それにしても昨日からの頭痛が治らない。折角の土曜日だというのに。

夢を見た。最近同じような夢を数回見ている。夢の中の私は、昔暮らしていたアメリカの海のある町を歩いていた。それはしかし、其処に暮らして住んでいるのではなく、ボローニャから久しぶりに訪れた私だった。いったいどれくらいの滞在予定なのか知らないが、私はあの道も歩きたいのに、それからあの道にも行きたいのに、とあれこれ考えている様子だった。面白いのは、どの店や、どの美術館に行きたいというのではなく、あの道、と道に拘っていることだった。面白い、と思いながら、しかしやはりそうなのだと思う。私はいつも自分の足で歩いていたから、目的地よりもその途中の風景が記憶の大部分を占めているに違いないのだ。
湾へと続く大通りを歩きたい、と夢の中の私が思っていることに私は感嘆していた。その道は、情緒も何もない単なる大通りで、車の往来が激しく、これと言って特別な思いでもないと思っていたけれど、本当はそうではなかった。バスを使えば5分と掛からずに行ける学校へ、私はいつも歩いて通った。其れはバス代金を節約するというよりは、土地勘を養うためだった。土地勘を養うには歩くのが一番。そんな考えを持つ人が他にも居て、それはたいがい北ヨーロッパから来た人達だった。知り合いではなかったが、毎日顔を合わすうちに言葉を交わすようになって、そのうち共通の知り合いがいると分かると、夕方に一緒にカフェに行くようになった。帰り道も同じ通りを歩いた。大通りの途中で右に曲がって数ブロック行くと自分のアパートメントだったけれど、時々そうせずに湾まで歩いた。湾はそう近くはなく、他の人ならバスに乗ってしまうような距離だというのに。これは土地勘を養いうというよりは、用事の無い午後を楽しむためだった。急ぐ必要のない午後。太陽の下を歩く喜びを拒むなんてできなかった。周囲の人たちはそんな私を、よく歩くなあ、と半分呆れていたようだけど、全然かまわなかった。自分が暮らしたいと望んできた町だったから、隅から隅まで自分の足を使ってみて歩きたくて仕方がなかったのだろう。自分の為にたっぷり時間を使えたあの頃が懐かしい。もしかしたら、そんな気持ちが私に同じような夢を見せたのかもしれない。夢の中で私はとても懐かしい場所を見た。でもそれが何処なのか、いくら考えても思い出せない。何という名の通りなのか。此れほど懐かしいと感じているのに。そう言えば、あの町に長いこと足を運んでいない。多分13年くらい。頻繁に夢を見るのは、恋しいからなのか。うん、そうに違いない。私が深く愛した町。

人生は何度も転がるものだ。今までを振り返ってみるとよく分かる。一体幾度転がったものか。だから例えばいつか私が今の生活に息苦しさを感じたら、息を殺して我慢せずに、別の方向に転がってみればいいだけのことなのだ。自分の人生なのだから。自分が決めたらいい。何がよいかは自分が決めればいい。ほんの小さな勇気が必要なだけだ。 ・・・・・頭痛だというのに、あれもこれも考えてしまう。


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コメント

こんにちは、yspringmindさん。
何度も同じ夢を見るのはつよく願ってるんでしょうね。
願っていたら叶うと思うんです。
自分の人生ですものね。

2015/05/10 (Sun) 16:02 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、多分私はあの町を離れてからずっと、願っているのではないかと思います。やはり、自分で望んで住んだ町というのは、そうそう忘れられるものではありません。

2015/05/10 (Sun) 17:38 | yspringmind #- | URL | 編集

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