緑色

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予定よりも少し早く雨が上がった。地面はまだ湿っているにしても、雨の降らぬ復活祭は嬉しいものだ。私の復活祭は相棒や友達とピクニックなどという快活なものではなく、姑と一緒の昼食会。様々な愉しい誘いがあるけれど、姑を独りぼっちにすることは出来ぬ。私と相棒の、もう随分前からの一種の義務。時々腹立たしく感じることもあるけれど、でも、姑が私達を必要としてくれているのは嬉しいことでもある。だから姑がこの世に存在する限り、私達の復活祭はこんな風に過ぎていく。遠くに暮らしていて一緒に昼食会を楽しめぬ私の母の分まで親孝行するのが、私と相棒の復活祭だ。

先週は春のように暖かくて、誰もが冬のコートを脱いでしまった。寒がりの私だけがまだ薄手のカシミヤのセーター姿で、周囲の人たちは、コットンシャツや、シャツに薄いカーディガンと言った、見るからに春らしい姿だった。仕事帰りに旧市街を歩いていたら、どのショーウィンドウも春物で華やいでいた。
私はシンプルなものが好きだ。何時の頃からかそんな風になった。若い頃は華やかな色合いのものをより好んでいたのに比べて、近年の私はかなり控えめと言えるだろう。それでも夏場になれば明るい色のものを身に着けるが、秋になればまたいつもの色に戻っていく。其処に居るのか居ないのか、あまり存在感を感じない色のものが多いけれど、それが自分らしくて良いと思っていた。かと言って拘りが無いと言うのでもない。同じ紺でも、この紺色でなくては駄目だとごねることもある。特にグレーに対するこだわりは大きく、自分の好みと若干違うだけでも許せない。店の人は、でもこれもグレーなのよ、と言うけれど、妥協できないのだから仕方がない。そう言えば、緑色の拘りもある。緑なら何でもよいと言う訳ではない。緑は難しい色だから、何系の緑であるかでに似合ったり似合わなかったりするし、それを身に付ける人の気分を盛り上げたり、和らげたり、反対に苛立たせたりするのだ。そう言えば、少し前に爪を私好みの緑色に塗った友人に会った。その緑色は、昔私がまだ絵を描いていた頃に好んで作り出した緑色に似ていて、話しをしながら幾度も彼女の爪を眺めた。あれ程好きだったのに、ずっと忘れていたそんなトーンの緑色。あの日から何日もその緑色を思い出して、色んなことを思い出した。絵の具の匂い。筆を洗うのに時間を沢山費やしたこと。画材店に足繁く通ったこと。それから、それから。私のひとつの夢が終わった時点で、あの緑色も思い出の小箱に葬ってしまっていたのかもしれない。不意に私の目の前に現れた緑色が、あなたは今まで何をしていたの? と問いかけているように思えた。そうだ、私は今まで何をしていたのだろう。

暖かくなったら、服を新調しようと思う。何か明るい色の、気分は軽くなるような色の。ちょっと気分転換に。


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コメント

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2015/04/07 (Tue) 16:34 | # | | 編集
Re: タイトルなし

鍵コメさん、こんにちは。他の人から見れば単なる紺やグレーでも、拘る本人には一寸とも譲れない色合いってありますね。選択の余地があるからこそ、譲れないのかもしれません。しかし私がそうして拘るのを、不思議に思う人は案外沢山いるようです。日本の色の呼び方は、本当に美しいと、大人になってから気が付きました。若い頃は外国での呼び名が耳に心地よかったのに。
私はアメリカに居た頃はそれはそれで気楽で自由で好きだったのですが、ファッションに関して言うならばイタリアが好きです。其れは多分材質のせいです。形こそスタンダードで変哲が無いものが多いのに、素材がいい。そして発色がいい。若い頃から良いものを見て目を養ってきた人達は、良いものを見抜きますね。そういう人たちに限って、派手なものや変わった外観の物は選ばないようです。ごくシンプルなものばかり。そういうのを私はイタリアに来て初めて発見したんです。大収穫でした。

2015/04/08 (Wed) 21:58 | yspringmind #- | URL | 編集

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