冬眠と猫

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冬眠がちである。丘の町ピアノーロに暮らしていた頃5年間は、冬が始まるとすぐにそんな具合になった。何しろ家が風の通り道にあったので、とても寒かったのだ。テラスに出ようものなら北風に一蹴されて風邪を引くのがオチだった。それがどんな快晴の日であっても。夏場は涼しくてご機嫌だったが、真夏でも夜には窓を閉め切らないと扁桃腺を腫らす羽目になった。あの家を手に入れようと決めたのはこの私ではあったけれど、しかし一年の3分の2は寒いとか、扁桃腺が痛いとか、あまり好ましくないことを訴えていたのだから、満喫したとはいいがたかった。そんな寒さとか、ボローニャ市との行き来が苦だとか、やはり私は街中の生活の方があっているとか、あれもこれも含めて私と相棒はボローニャ市内に戻ってきた。もう2年前のことだ。ピアノーロが悪かったわけではない。私があの土地や家と上手くやっていけなかっただけだ。それから私のような人間は、自由自在に公共のバスを操って身動きできなければストレスが積もってしまう、それだけのことだ。ボローニャの冬はピアノーロに比べたら寒さの度合いが違う。断然過ごしやすいはずなのに、最近私は冬眠の心地よさに夢中なのだ。猫のせいかもしれない。家に居ると猫がとても喜ぶから。私は家に居る理由ばかり見つけている。

1月の最後の日は快晴。そう予報では言っていたのに、午後になると空が暗くなってしまった。冷たい北風が吹き、オーバーコートの襟を立てて歩きたくなるような、帽子を目深に被りたくなるような寒さになった。たとえポルティコが北風や寒さから私達を守ってくれるにしても、しかしあまりの寒さに身を縮めたくなる、そんな午後になった。私は春色を探しながら街を歩いていた。話によれば一部の店ではすでに春物を置いているらしいけれど、私が見る限りでは春物はまだ何処にもなかった。店はまだ、秋冬物のサルディに一生懸命で、人々もまた、秋冬物に夢中らしい。私にしても、春物が店先に並んでいるからと言ったって、あら、素敵、と買い求める筈もないのだから。私の春物探しは、そうだ、ゲームのようなものだ。まだ早すぎる春物を何処かで見つけるゲーム。例えば、1月に履く筈もない、素足で履く用のモカシンシューズ。例えば、冬の北風には薄すぎる絹のスカーフ。そう言うものを見つけて、もうじき春が来ることを確認するゲームなのだ。旧市街のある小さな店の前を通った。女性の衣服を置いている、短い坂道の途中にある。店は小さいが、上手くやっているようだ。その証拠に何年も続いている。幾つもの店が消えていったこの時代に。理由はいくつかあるだろう。センスの良さとか店員の感じのよさとか。それから、顔を覚えて貰えると、サルディでもない時期でも、割引をして貰える。だから客はまたこの店に戻るといった具合なのだろう。此処に長く勤める巻き毛の感じの良い店員が丁度外を見ていて、私に気が付いたらしく手を振ってくれた。常連ではないが、ちょっと見せてくださいね、と言って年に何度か店に入るから覚えていたに違いなかった。私の行き先は其の店の数軒先にある動物の餌や遊び道具を売る酷く狭い店だった。10日程前にここに来て子猫用の餌、俗に言う鶏肉のパテを買ったところ、猫が大変喜んで食べたので、それを10個ほど購入しようと思ったからだった。店には店主がひとり。年齢不詳の大男が居て、客商売はあまり上手くない。客にはあまり関心がなく、客が世話をしている動物にしか関心がないと言った口調である。10日ほど前にここに来て、子猫用の鶏肉のパテで良いのはないかと訊ねたところ、子猫には此れが良いと言って見せてくれた。其れは鶏のささみを解したものだった。ああ、これはねえ、と前置きをして、試してみたけれど噛み砕くのが大変らしくて猫があまり喜ばないからパテがいいのだと答えると、店主が急に怒った。良くない! 奥さん、あんたは猫を甘やかし過ぎだ。猫は小さいうちからこういうものを食べて顎を鍛えなければいけないんだ。猫を甘やかしてはいけなーい。怒られた私は、まさか店主に怒られるとは夢にも思っていなかったものだから、驚いてすみませんと誤ってしまい、しかし冷静に考えてみれば納得のいかぬもので、だからと言って口答えをしようものならもう一喝されそうな気がしたので、近い将来この鶏のささみ缶を購入するとして、今日のところはパテで何かいいのを薦めて貰えないかと頼んだ。そうして手に入れたのが鶏肉のパテ。先ほどの口調とは打って変わって、奥さん、あんたの猫は絶対これが好きだと思うよ、のコメント付きで。実際、猫は大変喜び、まるで10日も食事を与えていなかったみたいに夢中になって小皿の中を空っぽにした。ありがとう、こんなに美味しいご飯を有難う、と多分言っているのだろう、私の足元に纏わりつきながらご機嫌だった。それで、先日のあのパテは大好評だったことを店主に伝えると、勿論だ、しかし奥さん、鶏のささみ缶のことを忘れてはいけないよ、と店主は私を戒めることを忘れなかった。この店主は難しいな、と思っているのは多分私だけではないだろう。それでも次から次へと客が来るのは、店の立地が良いからか、置いてあるものが良いからか、それとも案外この気難しいぶっきらぼうな口調の店主を気に入っている人もいるのかもしれない。世の中には色んな人が居るのだから。昨年の秋の終わりに猫が家に来なかったら、この店の敷居を跨ぐこともなかった。猫のおかげで範囲がほんの少し広がったということなのだろう。

明日目を覚ますと2月なのかと思うと、とても不思議な感じがする。2月になったところで何が変わるでもないけれど、一歩春に近づくかと思うと、やはり嬉しいものである。。猫のせいにばかりしてはいけない。冬眠の癖を直す努力をしてみようか。


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コメント

こんにちは、yspringmindさん!
面白い思いっきりのいい絵ですね。
なんの変てつのない格好つけない絵が一番。
考えが無いわけでは、このような絵は描けないでしょうけど。そこを上手く見せないように下手にうまく描く。かわいらしい。
うまく一般受けする絵はつまらない。きれいに描ける画家はいるけど、つまらなーい。枠を越えなければ。どんどん越えて行け!越えて行け!枠から越えて行け!在り来たりなんて面白くない。そこを越えるのは例えば、子供たちだったり、芸術家だったり。
大人になるとちょいとだめですね。
うまく見せようとす
る絵はつまらん。行き着くところに行き着くか、子供の絵。いろんな思いを抱きながら、思いよ届けー!空を越えて行けー!!思いは届きますよね♪
きっと、yspringmindさんも絵を描かれるのではないでしょうか。私も水彩を描くこともありますが、どうしても趣味でもうまくと力が入るのでイヤだなと思いますよ。その点、どうなんですかね?イタリアは美術に歴史もありますし、寛容でしょうし、そういう枠にとらわれない人材が育ちやすいのでしょうか。その人をたたかない気風というか。まあ、一概にはいえませんよね。

2015/02/01 (Sun) 17:27 | つばめ #- | URL | 編集

その面白い店主のいる店、きっとあそこだと思いながら読みました。
無愛想な感じの人ですが、お客さんの連れている大型犬を本当に愛しくてたまらない様子で体中撫で回していました。犬も、飼い主ではない人に対して不自然な程になついていて、大喜びしていました。
あまりに可愛くて幸せそうな二人(一人と一匹?)の姿が印象的で、あの店の前を通る度に思い出します。
きっといいお店だろうなと思っていましたが、やっぱりそうだったと微笑んでしまいました。
ボローニャの細い道は、店も人もどこも面白い。本当に興味の尽きないところです。

2015/02/01 (Sun) 23:21 | camera-oscura #tHX44QXM | URL | 編集
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2015/02/03 (Tue) 06:04 | # | | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。この絵は不思議な印象を私に与えました。作者はどんなことを考えながら描いたのでしょうね。絵にしても写真にしても、何かしらの気持ちが込められていたり、考えが含まれるものなのですよ。
其れにしたって絵に関して言えば、自分なりに納得のいく作品、と思うものが案外人に受け入れられずに、こんなもの、と思うものが認められたりするものです。そうして芸術家は悩むのですよ。私は多い昔に絵を描いていました。でも、大昔に辞めてしまいました。それは残念だったけれど、私は自分表現を別の形ですることを覚えました。またいつか、絵を描くと思います。自然に絵筆を持てる日が来ることを望んでいるのです。

2015/02/05 (Thu) 21:54 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

camera-oscuraさん、こんにちは。其の店の前には小さなバケツみたいなものが置かれていて、中には無数の赤い金魚が泳いでいるのですが、どうですか、同一の店でしょうか。
猫が家に来るまでは、其の店には全く関心がなかったのです。何しろ小さいし、狭い店の中からはみ出すように様々なものが店の外に置かれていて、何なの、この店、みたいな印象ですからね。店の男性は本当に愛想がありませんが、動物に注ぐ愛情は深いようです。こんな感じの店がボローニャには実に多いですね。だから散策中の店観察は止められません。

2015/02/05 (Thu) 22:01 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

鍵コメさん、こんにちは。そうですね、豆まきでしたね。もう何十年も豆まきをしていません。子供の頃、父がまだ元気に働いていた頃、私が子供だった頃、節分の豆まきが楽しくてなりませんでした。
ボローニャ辺りには俗に言う野良猫があまりいません。大抵保護されて、そうして猫を求めている人達の手に渡っていくからなのですよ。うちの猫もそんな風にしてうちに来ました。まだ2か月そこそこのころ、捨てられていたのを保護されて、たまたまそこに見に行った私に引き取られました。縁があったというのでしょうか。少なくと相性はとても良いようですよ。
ところで、猫ちゃんは 幸せを運んできてくれる、というのは本当でしょう。うちは猫が来てから、とても楽しいのです。何がどう楽しいかは分かりませんが、小動物の存在って可愛いものですね。優しく声を掛けると、反応してくれる。それが猫が私たちに与えてくれる幸せなのかもしれません。宝くじなんて当たらなくてもいいから・・・・いや、やはり当たると嬉しいなあ、と思いながら。
ご近所の猫ちゃんに優しくしてくださいね。

2015/02/05 (Thu) 22:09 | yspringmind #- | URL | 編集

こんにちは、yspringmindさん。
そうですね。芸術はそうですね。
いつの時代も。
yspringmindさんの絵は、いさぎよい表現なのかな、丁寧にやさしい表現なのかなと想像します。とうのむかしに筆を置かれたとのこと。そして、他の表現を見つけられたとのこと。
あー、yspringmindさんの走り書きのようならくがきでもいいから、わがままがゆるされるなら見てみたいです。

2015/02/06 (Fri) 15:03 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。今の私は走りがきすらできません。昔はあんなにすいすいと、ペンや筆を持たせたら何時でも何処でも描いていたというのに。

2015/02/06 (Fri) 17:52 | yspringmind #- | URL | 編集

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