暖かい1月、新しい手袋。

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もう、土曜日になった。今週は忙しいと言う訳でもないのに、時間が経つのが驚くほど速い。どうしてだろう、と考えてみたけれど、理由のひとつも見つからない。嬉しいのは連日の快晴。気持ちの良い空なのに、相棒が酷い風邪を引いて寝込んでいるために、うちの中がぱっとしない。早く治ると良いけれど。何しろ自分は若いから、なあに、すぐに治るさ、と過信して、体を少しも休めない。だから恐らくしばらく治らないだろう。若いのは気持ち。しかし体力は確実に落ちているのだ。ねえ、君。20年前と同じだと思っていてはいけないよ。それをどうやって彼に自覚させるか。それが問題だ。

妙なほど暖かい一日。16度にも上がるとは、いったい誰が予測できただろう。まるで春のようだ、と道ですれ違う人々が口々に言っているのが耳に飛び込んでくる。そうだ、道端にも小さな花が咲いている。冬眠していたてんとう虫が目を覚まして家に飛び込んできたのも、春と間違えてのことに違いない。
そんな暖かい土曜日の前日に、私は革の手袋を購入した。今の家に引っ越してきた時に、確かに見た覚えがある気に入りの黒革の手袋が、見つからないからだった。引っ越しを終えて箪笥にすべてのものを収め終わった時に見た覚えのあるそれが、いくら探しても見つからず、しかし必ず見つかるからと思って新しいのを購入せずにいたけれど、このところの寒さに辟易してついに新しいのを調達する決心をしたのが昨日の夕方だった。真っ直ぐ家に帰ろうと思ったが、いや、しかし金曜日なのだからと、寄り道をすることにしたのだ。日が長くなったとはいえ、仕事を終えて旧市街に辿り着く頃には空はすっかり暗く、橙色の街灯が浮かび上がる旧市街の様子はとても美しい。其れを見るたびに、私は中世へと一瞬のタイムトリップするのだ。冬が嫌い、寒いのが嫌いとは言え、この美しさがあるならば冬を何とか乗り越えられるというものだ。そんな人がボローニャの何処かにもう一人くらいいるに違いないと思いながら私は広場を斜めに横断して、公証人の館の一部を利用した、手袋の店に向かった。冬のサルディが行われているこの時期だから、他の店で安く手袋を手に入れることは十分可能な筈だけど、私は敢えてサルディとは無縁の、手袋の店に行くことに決めたのだ。それは何故かと言えば、サイズが豊富で、手に馴染む柔らかい上質の革の手袋が其処でなら見つかると知っていたからだ。そしてもうひとつ。店の娘さんはどうしているだろうかと、店の前を通るたびに思っていたからだった。私は、始めは店先を眺めるだけの常連だった。冬になると店はいつも混み合っていた。客人が4人も入れば一杯になってしまうような店だから、入りきれない人は入り口の外で順番を待っていた。それにしたって決して安くはないこの店の手袋を順番を待って買い物をする人達。とても興味深かった。昔ながらの店の作りで洒落っ気などはひとつもない。今風の手袋もなければ、流行を意識したものもない。話によれば1930年代に始まったこの店に冬になると手袋を求めて通うボローニャ人は、沢山いるのだそうだ。それにしたって客がはけない。その理由は、私が初めてこの店に入った時にわかった。初めて入ったのは、10年くらい前のことだ。5年間のフィレンツェ通いを辞めて、ボローニャの職場に通うようになって時間にも気持にも余裕が出来たところで、自分へご褒美を施そうなどと思ったのがきっかけだったかもしれない。ご褒美はどんなものでも良かった筈なのに、この店の手袋をと思ったのは、長いこと私がこの店の柔らかい革で仕立てられら手袋に憧れていたからだろう。その日は客がひとりも居なくて、私は其の店の娘さんにゆっくり手袋を見せて貰うことが出来た。娘さんは私と同じか、若しくはもう少し年上の、落ち着いた、良い印象の女性だった。押し売りする感じはみじんもなく、私の手をちらりと見ただけで丁度よいサイズの手袋を奥から出してきたので驚いたものだ。あれもこれも試してから、三つほど選び出して迷う私に、シニョーラにはこの手袋が良く似合います、と言って助けてくれた。私はそれを大切にしていて、冬が終わると丁寧に手入れをして、冬がやって来ると奥から出して喜んで使っていた。なのに、数年後、何処かで落としてしまった。それで新しいのを購入しに行くと、娘さんは更に落着きを増して、とても丁寧に親切に接客してくれた。急がせることもなければ、強引に売りつけることもない。でも、客人が迷っていたら、正しいアドヴァイスを述べてくれる。だからひとりの客に時間が掛かる。でも、それを知っているから待たされる客も、じっと待っていられるのだ。
さて、昨夕店に行くと、娘さんはもう娘さんと呼ぶよりも主のような気品と落ち着きを持って迎えてくれた。柔らかいトーンの声も、良い印象も昔のままで私はこっそり安堵の溜息をついた。柔らかい革の、内側に絹を張った手袋。其れだけの注文を言うと、娘さんはやはり私の手をちらりと見て、店の奥に消えていった。そうしていくつかの手袋を手に持って戻ってきた。どれもこれも美しく、着け心地の良い、理想的な手袋だった。其の中からふたつまで絞ったが、どちらに決めるのが難しい。こんな時、人は両方購入するのだろうか。もしそんなことが出来たらば、どんなに素敵だろうと思ったけれど、それはあまりにも贅沢と言うものだった。それで娘さんに訊いてみた。あなただったら、どちらにしますか。すると娘さんはまるで自分が買い物をするような表情をした。私ならばこちらの焦げ茶色のものにします。何故って、この手袋の革はとても上等なんですから!それに使えば使う程、手に馴染む革なんですから!と嬉しそうに言った。それで私はそれを手にして、これにすると言うと、娘さんは更に嬉しそうに、よい選択ですよ、シニョーラと言った。少し予算オーバーだったが、満足だった。娘さんが薦めてくれた手袋は、確かにとても柔らかくて素敵だったし、それにもうひとつの手袋は更に高額だったからだ。もうひとつの手袋があれ程の値段がついていたのは、デザイン料だったに違いない。何しろ名の知れたブランドのものだったから。

私は知っている。箪笥の中から見つからなかった黒革の手袋が近いうちに出てくるであろうことを。探している時は見つからないものなのだ。探し物とはそういうものだ。まあ、いいさ。黒革の手袋と焦げ茶色の手袋。ふたつあっても良いではないか。それにしたってこんなに温暖では、手袋の出番がないというもの。困るなあ。そう呟く私に相棒が笑う。君は寒いのが大嫌いなくせに。



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コメント

こんにちは、yspringmindさん。
私もそういった感じのお店をフィレンツェで見つけたのですが、手を見せただけでぴったりのサイズを探しだしてくれたのはびっくりしました。しかもはめるのを手伝っていただいたりして。
私は女にしては、ごつい手をしているのですが。笑
プロですよね。
でも、翌日もう一回行こうと思って探したのですが、迷路のような道でわからなくなってしまい。
あれは夢だったのではないかと、今でも不思議に思っています。手袋を眺めながら。

2015/01/18 (Sun) 02:14 | micio #O/XG6wUc | URL | 編集

こんにちは、yspringmindさん。
暖かなんですね。
よかったですね。
気持ちよさそうな皮の手袋ですね。

2015/01/18 (Sun) 13:22 | つばめ #- | URL | 編集

プロフェッショナルですねぇ。ここに行けば必ず、確かな物が得られるという信頼感を与えてくれる、そんなプロフェッショナルなお店は貴重です。こういうお店は、客の迎え方というのが実に洗練されていて完璧なんです。自分の仕事に誇りを持ち、確固たる信念を持ち、自信に満ち溢れていて、知識が豊富で何もかもを熟知しているというのに、それをひけらかすこともなく、素人の客を上から目線で見ることもなく、的確なアドヴァイスをして、客にへつらうこともなく、常に客と対等、というスタンスをもって接してくれるプロフェッショナルなお店は心底信頼できますね。長いお付き合いになり、喜んで惜しみなく相手にお金を支払うことができます。
どんなに良い確かな物があったとしても、傲慢で感じの悪いお店に大切なお金を支払うことは嫌ですもの。

2015/01/18 (Sun) 14:12 | アルプス #- | URL | 編集

上等な物を 気持ちのよい接客のお店で買い物するのは 人生の楽しみの一つですよね。そんなお店で私も手袋が買いたいなあ。今の私の手袋は少し黄色が買ったレンガ色の子羊の皮の手袋です。手触りが良いのではめるたびにうれしい気持ちになるのですが、お手入れを怠けたせいで お疲れです。いつか ボローニャで手袋のお買い物。やりたいことリストに加えました。

2015/01/18 (Sun) 21:58 | kimilon #036/uE16 | URL | 編集
Re: タイトルなし

micioさん、こんにちは。手袋専門店の人は、本当に素晴らしい観察力ですよね。目で手のサイズを測る力があるというのでしょうか。本当にちらりと見ただけだったのに。そう、彼らのような人をプロと言うのですよね。
でも、フィレンツェの店は道が分からなくなってしまって、もう一度行くことが出来なかったそうで残念でしたね。イタリアの旧市街の道は何処も迷路のようですから、旅行者にはなかなかミステリアスなのですよ。
夢だったのではないか、と思いながら手袋を眺めるのも、ロマンチックで良いではありませんか。

2015/01/18 (Sun) 22:14 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。ボローニャは妙に暖かくて、私はとても嬉しいけれど、調子が狂うと皆が言っています。確かに。少々暖か過ぎるようですよ。
新しい手袋は、とても柔らかくて気に入っています。ちょっと奮発してみました。

2015/01/18 (Sun) 22:16 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

アルプスさん、こんにちは。店構えがとても地味なので、他の町の人は素通りしてしまうけれど、ボローニャ人は足を止めてショーウィンドウを眺めずにはいられません。この店で手袋を購入して、失敗した試しがありません。それにこの娘さんの接客が気持ちがいいので、手袋は此処で買うと決めているのです。少々高めだけれど、手袋の割引は絶対にしないけれど。専門的にやっているのに、強気でないところがとても良いです。ボローニャでいいものを売る店は幾つもありますが、押しつけ口調の接客をする店には自然と行かなくなるものです。その点、この店は、パーフェクトなのですよ。

2015/01/18 (Sun) 22:24 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

kimilonさん、こんにちは。私は例えば上等でもエルメスまでは手が出ないのですが、身分相応程度の上等な手袋を手に入れることは良いことと思っているのです。接客の気持ちの良い店では、良いものを買物するだけでなく、心まで豊かになったように感じますね。
kimilonさんの手袋は、少し黄色がかったレンガ色の子羊の皮、だそうですが、其れもとても柔らかそう。其れに不思議な色ですね。私が行く店には、そう言った微妙な色は無いかもしれません。いや、それはフランス風の色なのかしら。イタリアにはそんな色の手袋は存在しないのかもしれませんね。
あら、手袋さん、お疲れ気味ですか。可愛そうなので、お手入れしてくださいね。

2015/01/18 (Sun) 22:32 | yspringmind #- | URL | 編集

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