小さな春を探す

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北西の風が吹く。ボローニャの冬にしては珍しい、風の吹く冬の日。薄曇りの、しかし薄い雲の向こう側に確かに太陽の光が充ちていることを感じる明るい空。1月に入ってやっと3分の一が終わっただけだというのに、テラスの植木鉢に小さな鳥が飛びこんで、くちばしで土をついばむ。いい声で歌う鳥。ガラス窓越しに眺めている私と猫の存在に気が付いて、歌の途中で飛んで行ってしまった。また遊びに来てくれるだろうか。そんなことを思いながら、レースのカーテンを閉じた。

昔、私がローマの仕事を辞めてボローニャに戻ってくるにあたって、相棒は旧市街から直ぐ其処の界隈にアパートメントを借りた。私がボローニャに戻ってくる条件のひとつが、住居がボローニャ市内であること、便利であること、旧市街にすぐ行ける場所であることだったからだ。その辺りは昔からそこに暮らしているイタリア人ばかりで、だから私が其処に暮らし始めた時には酷く噂になったものだ。当時は中国人すら、居なかった。私はこの辺りでは珍しい、外国人だったわけである。借りたアパートメントには広いテラスがついていた。普通の居間の倍近くの広さで、4世帯のテラスが寄り添うように存在していた。言い換えれば広いテラスを4世帯で分け合っていた訳だ。私はとにかく噂の主だったから、テラスに出るのが嫌いだった。テラスに出て洗濯物を干したり、植木に水をくべたり、テラスを掃除していると、必ずと言って良いほど上階のテラスや窓から、又は向かい側の建物の窓辺から誰かが見ていたからだ。私がアメリカの生活で好きだったのは、他人にあまり関心を持たないこと、他人をじろじろ見ないことだったから、その正反対の状況に置かれて私は苦痛を感じていた。ある冬の終わりに近づいた晴れた日のこと、テラスに出たら植木鉢の土が掘り返されていた。土は酷く散らされていて、一体誰がこんな悪戯をするのだろうと思いながら掃き掃除を始めた。すると隣の家族のシニョーラが出て来たので挨拶をすると、彼女は目を丸くして、あなた、イタリア語が話せるのね、と言った。どうやら近所の人たちの間では、私はイタリア語のわからない外国人と思われていたらしい。勿論達者でないにしても、生活するのに言葉は欠かせない。どんな人だって、片言ながらも、それなりのその国の言葉を話せるようになるというものだ。しかしこの辺りには外国人が兎に角いなかったから、そして若い人が少なかったから、外国人とは、こんな感じ、みたいなイメージで固められていたのかもしれなかった。彼女は新しい隣人が下手ながらもイタリア語が話せると分かると、その土を掘り起こした犯人を知っている、それはメルロなのだ、と言った。人が居ない時を狙って土を掘り起こすのだそうだ。時には土で体を洗うかのように背中に土を掛けたり、土の中に虫を探したり、掘った穴に体をうずめて休憩したりするのだと言いながら、ほら、こんな感じに、と真似して見せるので酷く可笑しかった。そうしてよく見れば、彼女のテラスの大きな植木鉢の周りうにも土が散らばっていた。やれやれ、と彼女は言いながらも、メルロは悪戯好きだけど、でもね、鳥が遊びに来るなんて素敵じゃない?と言って嬉しそうに掃き掃除を始めた。確かに。鳥が遊びに来てくれるなんて、そんな素敵なことはない。それから私はメルロに土を掘り起こされて植木鉢の周りが酷く汚れていると、嬉しくてならないのだ。此れもすべて隣のシニョーラのおかげである。あの日、彼女と話が出来たのは、幸運中の幸運だった。どんなことも考え方ひとつで変わる。数年後、別の人からメルロが土を掘り起こして困る、と、ぷんぷん怒っている人に出会ったけれど、もしあの日、私がこんな人と話をしていたら、生活の中の素敵が随分少なくなっていたに違いない。能天気とか、お人よしとか、都合よく考えすぎとか人は言うかもしれないけれど、私はぷんぷんして生活するよりも、あははと流して楽しく生活するほうが好きだ。

鳥が土をついばみに来るなんて、テラスで歌を歌うなんて。やはり冬から春へと季節は移り変わりつつあるのだろう。枯れ木に小さな芽が付いたように、鳥も春の予感を感じているに違いない。ところでボローニャ旧市街で昨年末から咲き続けている桜の花。一体どうしてしまったのだろう。


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コメント

十数年前、ボローニャで生活していた時、何か珍しい動物でも発見したかのようにじろじろ見られたことがたまにありました。じろじろと人を見ることはマナーに反する失礼な行為だということは知っているはずだと思うのですが、あまりに不快で、その人に何かご用があるのかと声をかけようかと思ったのですが、そのような人に声をかけるのは無駄な事のように思えたし、その人が教養のある人のようにもあまり思えず、そしてその人が人としてあまりに気の毒な人に思えたので声をかけるのはやめました。
そのような出来事に度々出くわすこともありましたが、マナー良く、親切にされることの方が圧倒的に多かったので、やはり、人の言葉で流れが変わったり、救われるということはあると思います。

東京で生まれ育った私は、小さい頃から街中で外国人を見ていたのと、自分も含め身内が海外に出ている人が多かったので、小さい頃からどこの国の人を見ても驚くことはありませんでしたが、ボローニャの閉鎖的な部分はボローニャの町の特徴の一つなのでしょうかね。

本来の時期を外れて花が咲いてしまうのは地球の昇温が原因なのでしょうか?

2015/01/12 (Mon) 08:18 | アルプス #- | URL | 編集

こんにちは、yspringmindさん。
ほんとに、同と人ですよね。yspringmindさんのやさしさはこをとお通ったやさしさなんですね。わたしだったら、逃げ出してしまいそう。この歳になってやっと逃げ出せないことがあると知って、かなりの衝撃を受けているこの頃。
アメリカは寛容ですか。

2015/01/14 (Wed) 11:10 | つばめ #- | URL | 編集

yspringmindさん 、こんにちは。
今日はリヨンも太陽がまぶしいくらいで、気温も11度ぐらいまで上がっていました。
田舎の家は家人が祖父母から相続した家なのですが、最初のころ村の食料品何でも屋に 買い物に行くと 私は居ない人扱いされてましったっけ。。。そんなことも思い出しました。

ここ数日 フランスは シャーリー エプドの襲撃事件や それに対する 歴史的な規模のデモの話題でもちきりです。隣人と話しても、家庭でもやはりその話が主体です。決定的に団結力や同調性にかけているとわたしには思える フランス人の見せたあのデモには 私も感銘を受けましたが、自分の意思を表明して 現実を変えていこうとする、言論と思想の自由を何物にも変えがたい基本権利とするフランスと 対極にある 一部の狂信者 果たしてどの程度の影響力があるのか。そんなことも考えさせられました。
異なった人種、文化が共生するには、やはり 対話する努力を怠ってはいけませんね。

外から 鳥の声が聞こえてきます。春は確実に着かずいているのですよね。

2015/01/14 (Wed) 14:16 | kimilon #036/uE16 | URL | 編集
Re: タイトルなし

アルプスさん、こんにちは。十数年前のボローニャは、確かに珍動物みたいにじろじろ見られましたね。多分彼らは好奇心が強くて、知りたくて知りたくてならないのでしょう。例えばイタリア人の多くは噂話が大好きですが、目の前に見たこともない異国人が歩いていたら、礼儀も忘れてしまうのかもしれませんね。そう言えば18年ほど前、店の中でイタリア人母娘が私の方を見ながら何かこそこそ話をしていた、あの日のことを思い出しました。ちょっと不快だったので、え?なんでしょう、何か問題でもありますか、と言ってみたところ、娘の方が恥ずかしそうに、あなたの真っ直ぐなつやつやした髪は本当に美しいわねと話していたのですよ、と答えたのでびっくりしました。確かにあの頃の私の髪は真直ぐでつやつやしていたけれど。(今はすっかり艶が無くなりました。) 私がこの母娘だったらば、直接相手にあなたの髪は何て美しいんでしょう!と言うけれど。イタリア人は案外内気なのかもしれませんね、そういうシーンには。其れとも外国人だから言葉が分からないと思ったのかもしれません。案外アルプスさんの場合も、なんて綺麗な外国人なのだろう、と眺めていたのかもしれませんよ。

桜の花にしても、テラスの菫の花にしても、一体どうしたんでしょう。私には十分寒くて毎日凍えているというのに。

2015/01/14 (Wed) 23:52 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。色んなことがあって嫌なことも沢山あった筈なのですが、後になって振り返ってみれば、あんなに嫌だったのが可笑しく思えるほど小さなことに思えます。あの頃はあれほど嫌だったというのに。
アメリカが寛容かどうかは私には分かりませんが、個人に自由、つまり義務を果たしている限り、個人の自由も与えられているというのか。私が私らしく生活できる国でしたよ。

2015/01/14 (Wed) 23:58 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

kimilonさん、こんにちは。‟今日はリヨンも太陽がまぶしいくらいで” と、気持ちの良い空が目に浮かぶようなフレーズをありがとうございます。気温が11度とは、リヨンはボローニャよりもずっと北なのに、温かいのですね。羨ましいこと。田舎の何でも屋さんでは居てもいない人扱い・・・とても理解できる状況ですね。そう言う場面にぶつかると、私は少々う悲しい気分になりました。
フランスはシャーリー・エプドの襲撃事件とデモで大変でしたね。フランス人は決定的に団結力や同調性に欠けていますか。私はフランスをまだ見たことが無く、またフランス人とも付き合いがまだないものですから、とても興味深くコメントを読ませていただきました。少しづつ普通に戻りつつあるのでしょうか。しかし衝撃的な事件でしたね。
言葉はとても大切。言葉を交わすことでうまく行くことは沢山あります。逆に、それを怠るとうまく行かないことばかりなのかもしれません。
春が待ち遠しくて、指折り数える毎日なのです。

2015/01/15 (Thu) 00:08 | yspringmind #- | URL | 編集

yspringmindさん おはようございます。
アメリカには住んだことがないので、yspringmindさんのアメリカでもの生活への感じ方 興味深く読ませてもらっています。 ヨーロッパはアメリカに比べると 多少は閉鎖的なところがあるのかもしれませんね。
そうはいっても どこの国にも 保守的な人とそうでない人はいるわけで、フランス人も協調性がある人もいるかもしれません。一般論で物事を語るのは良くないことでした。反省しています。
自分だって《日本人は》 とか 《日本人だから》 とか言われると あまりいい気はしませんもの。
さあ 今週も後2日で週末。 いい天気だといいなあ。週末が。

2015/01/15 (Thu) 08:37 | kimilon #036/uE16 | URL | 編集
Re: タイトルなし

kimilonさん、こんにちは。確かにどの国の人も共通項はいくつかあるかもしれませんが、根本的には個々で違いますね。私も一般論で日本人はとか、君たち日本人は、とひとくくりにして言われるのが嫌いですよ。それからもうひとつ嫌いなのは君は日本人なのに、と言われること。どうやら日本人女性のイメージがかなり偏って固定されているようなのですよ、イタリアでは。そんなこと言われたってねえ。日本人女性だって、強くて、はっきり意見する人は、沢山いますよねえ。

2015/01/17 (Sat) 19:26 | yspringmind #- | URL | 編集

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