冬が嫌い。昔からそうだ。

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楽な生活とは直ぐに身に沁み込むものらしい。たっぷり2週間、呑気な生活をしていたから、いつもこんなリズムで生活していたのかと改めて驚くほど、早く感じる。朝、決まったに起床して、短い時間で朝食をとる。そんなことですら違和感を感じるほど、私は2週間の休暇中、のんびりと生活していたようだ。驚いているのは何も私ばかりではない。猫もまた、私の早起きに目を丸くして驚いている。そうして朝の早い時間にブーツを履き、冬のコートを羽織って出掛けていく私の後姿を眺めながら、確かに冬の休暇が終わったことを感じているのかもしれない。そんなだから、この土曜日かどんなに待ち遠しかったことか。

私は冬が嫌い。昔からそうだ。これは何処の町に暮らしても同じことだ。19年前の今頃、私はローマに暮らし始めた。いや、ローマに暮らす友人の家に、相棒の古い友人ルイジの家に居候していたというのが正しい。相棒とルイジはサンフランシスコの1980年代初期を共に過ごした仲らしかった。互いに若く、互いに奔放に生きていた、と彼らから聞いている。ルイジはどんな時にもアイロンのかかったカッターシャツを着ているので有名だったらしい。一方、相棒は肩に届くほどの長い髪で鼻の下にダリ風の髭を生やしていることで有名だったらしい。一見いい加減な男に見える相棒だが、実は大変面倒見がよくて、困っている人が居ると助けに行き、だから周囲の人たちは困ると相棒のところに助けを求めに行ったのだそうだ。ローマの友人ルイジは、相棒に何かしらの助けを求めて面倒を見て貰った人のひとりらしかった。だから私がローマで仕事をすると決まった時に、アパートメントが見つかるまでうちに泊まらないかとルイジの方から誘ってくれたし、君の相棒には本当に世話になったからと言って、温かくもてなしてくれた。とは言え、私は一日も早くアパートメントを探して自分らしい生活を始めたかった。何故ならルイジは恋人と共に暮らしていたからだ。私は彼らの生活リズムを乱したくなかったし、私を温かくもてなしてくれるルイジを見て、恋人が少しなりとも心配するのは良くないと思ったからだ。それでルイジと恋人に協力を求めて、新聞広告を読みあさり、何軒もの貸部屋に電話をした。そうして私は1月末に一時的にでもと思いながら、旧市街に暮らす老女の家の部屋に住むようになった。ボローニャから見ればずっと南で暖かく明るい印象のあるローマであったが、しかし毎日空は鼠色で、これからの生活を象徴しているように思えてならなかった。個室なだけでも有難かったのに、私はひと月でその家を飛び出してしまった。老女は若かった頃には裕福な人しか暮らせなかったであろうその界隈だったが、今ではひどく荒んで安心して外を歩ける雰囲気ではなかったからだ。そう思うようになったのは、老女の息子の一言からだった。息子と言っても既に私よりはるかに年上だったが、僕が子供だった頃は優雅だったこの辺りも今では安心して生活などできない、とふと溢したからだ。老女の家には確かに多数の部屋があったから、それらを貸してと言うのは理解できたけれど、どうやら部屋を貸しているのは老女がそれらの住人に守られるようにとのことだったらしいと分かって、そして夜9時の門限にも閉口して私は其処を後にしたのだ。まだ外気は冷たくて、ローマとは言え冬のオーバーコートを離せない2月の終わりに。仕事を得てローマに暮らすようになったものの、私は此処に来てよかったと思ったことはまだなかった。定住する場所がなく、すべてが中途半端で。唯一の救いは、仕事があることだったかもしれない。さて、その家を後にして住み始めたのがイタリア人4人との共同生活の家だった。個々に部屋が与えられているものの、私が、この私が、私を含めて5人の共同生活に馴染めるのかどうか大いに不安だった。ただ、それでもそこに住もうと思ったのは、どの人も若く、何かしらの好奇心を持ち、それぞれの夢を持ち、私に良い印象を与えてくれたからだった。それから家の有る界隈も良かった。数分歩いたところに大通りがあって、其処に連なる個人商店の楽しいこと。中でもカストローニと言う名の店は、私を酷く舞い上がらせた。カッフェが美味しいのは勿論のこと、美味しいものが棚と言う棚にぎっしり詰まっていた。ちょっと敷居が高そうな店だったここに同居人のひとりが誘ってくれたことから、私は店に通うようになった。仕事が休みの日はカストローニに立ち寄る。此れがあの頃の私の楽しみだった。美味しいバールやカフェはローマのあちこちに存在したが、此処に立ち寄ることが私の休みの日の儀式みたいなものだったかもしれない。それに知らない人ばかりのローマで、此処に通うことで店の人が顔を覚えてくれて親しげに挨拶してくれることも、私には礼を言いたいほど有難かった。そしてローマの春は突然やって来た。まだ3月に入ったばかりと言うのに街路樹のリラの花が咲き乱れて。それで私は初めてこの町に来てよかった、と思ったものだった。冬が早く終わる町。あの頃の私にはそんなことですら感謝だった。
こんな小さな事も時々思い出してみるとよい。そうしたら、色んなことに感謝できるのかもしれない。安心して暮らせる家があること。相棒と一緒に暮らせること。決まった日にお給料が銀行口座に振り込まれること。美味しい夕食を頂けること。猫がうちに来たことも感謝すべきことのひとつなのだから。

クリスマスツリーを仕舞った。トラディショナルな習慣から言えば1月6日エピファニアの祝日の翌日に仕舞うものであるが、仕事から帰って来てこの作業をするのはしんどいからと、延ばしに延ばして今日になってしまった。飾りをひとつづつ外し始める私に、猫が問う。何をしているのだ、と。次の12月までツリーとはさよならだと教える。猫は家の隅っこに丸くなってしまった。猫はこのツリーを自分への贈り物だと思っていたのかもしれない。都合が悪い時はツリーの下に逃げ込み、機嫌が良い時はツリーの中腹の枝から枝に体を横たえて昼寝をしていたから。がらんとした居間を見回して思う。さて、猫はこれからどんな風にして独りぼっちの時間を過ごすのだろう。一緒に愉しみを探すことにしようか。


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コメント

バレエの帰り道の墓地の隣にもみの木が山積みになってたのです。そうか、片付ける日も決まってるんですね。yspringmindの学生時代のお話は、また私をなんとなく元気づけます。そのころのイタリアもきっともっと面白い日本人がいたのでしょうか・・?

2015/01/11 (Sun) 09:47 | inei-reisan #pNQOf01M | URL | 編集
Re: タイトルなし

inei-reisanさん、こんにちは。片付ける日は決まっていますが、その日に片付けられる人は少ないかもしれませんね。ドイツでは何時まで飾っておくものなんでしょうね。国によって違うかもしれませんね。
私がイタリアに来たばかりの頃は、居間とは少々外国人の在り方が違っていたようです。移民も少なかったし。しかし面白いと言うことならば、私よりも更に10年前にイタリアに来た人達は面白く、個性的な人が多いように思えます。ええ、私、そう言う人たち沢山知っているんです。

2015/01/11 (Sun) 20:01 | yspringmind #- | URL | 編集

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