11月1日に想う

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11月を迎えて月日の経つ速さを想う。もう11月なのか、と。11月初日の今日は欧羅巴の数々の国が祝日。諸々の聖人の日だ。日本で言えばお盆のような日。家族のお墓参りをして、静かな一日を過ごすのだ。イタリアも例にもれず。しかし祝日が土曜日に重なった不運は喉に刺さったとげのようだ。先月のボローニャの聖人ペトロニオの祝日に次いで二度目のことである。昨夕、クリーニング屋さん夫婦と全く同じことを話した。金曜日だったらよかったのに。月曜日でもよかったけれど。それにしても祝日とは良いものだ。何かほっとする感がある。
近所のバールはその祝日にお祝いごとをしているようだ。別に誰かの誕生日でもなく、店に来る客たちに感謝をする、いわゆる感謝祭である。テラス席にテーブルを並べてドリンクとつまみをを無料でふるまっている。相棒も店主に誘われているらしい。先ほど相棒から電話があって、これから家に戻るから一緒に行こうと誘われた。バールの店主家族は私達と同じ建物に住んでいる。そもそも、バールの店主がこの家の導いてくれたようなものだ。気の良い人である。彼ばかりではない。上の階に暮らす家族だって常識ある人達で感じが良い。階下の人は良くわからない。一度も顔を合わせたことが無いからだ。物音ひとつ立てない。居るのか居ないのか、其れすらわからないのだ。そう言う訳で此処に引っ越してからとても良い。ただ、皆とても豊からしく、次から次へと建物改善のための業者を呼ぶためにお金がかかる。改善作業が一通り終わったら、この慌ただしい出費も一段落するのだろうけれど。
そうだ、感謝祭で思いだした。イタリアにはアメリカのような感謝祭が無いために、この時期は言うなれば空洞なのだ。つまり、一気にクリスマスへと心が飛んでいくのである。だって私は見てしまったのだ。先週、旧市街の塔のすぐ近くの、フランス系インテリアの店に早くも銀色のクリスマスツリーが置かれているのを。これを見て、他に誰か驚いた人は居ないのだろうか。昔なら、12月の声を聞くまでクリスマスツリーは目にすることもなかったのに。

私が相棒と結婚をしたのは21年前のことだ。その少し前に彼はふたりの妹を続けて病気で亡くしたこともあり、クリスマスが嫌いだった。嫌いというよりも、祝う気分ではなかったと言ったらよかったかもしれない。彼の家族もそうだった。だからクリスマスが近づいてもクリスマスツリーを出す気すらなく見えた。クリスマスなんて。そんな言葉を聞いた覚えがある。あれは誰が吐いた言葉だったか。姑だっただろうか。相棒だっただろうか。しかし私は小さくてもクリスマスツリーを家の中に置きたかった。幾度も相棒と話をしたが、しかし彼は決して同意することは無かった。家族を亡くした悲しみは大きい。私にもそれは痛いほど理解できたけど、でも、私は寂しかったのだ。そして悲しかったのだ。私は何か、彼らの悲しみを一手に背負ってしまったような、幸せであってはいけないような、嬉しくてはいけないような、希望を持ってはいけないような。そんな時期が何年もあった。彼らの悲しみはもっと大きいに違いないからと、私はいつも黙って待っていたのだ。いつかきっと、変わる日が来る。彼らが喜んだり楽しい気持ちになったり、感謝したり、幸せだと思ったりする日が。4年前だっただろうか、それとも5年前だっただろうか、ある12月の夕方、相棒が知り合いの年配の男性からクリスマスツリーを貰って来た。買ったはいいが大きすぎてどうしようもないから貰ってくれないか、君のところの居間は広いから問題が無いだろう、と言うことらしかった。確かに、当時私達はピアノーロに暮らしていて、田舎な分だけスペースだけはあったから、相棒は快くもらうことにしたそうだ。知り合いの男性は、このクリスマスツリーが私達のところに納まることを喜んだらしい。何しろクリスマスツリーなのだ。見知らぬ誰かよりも知っている人達の居間に飾られる方がよい、と言うことらしかった。私はその話を聞きながら、しかし相棒がクリスマスツリーを貰ってきたこと、家に飾ろうという気持ちになったことにとても驚いていた。何か、彼の中で変わりつつあるのだろうか。彼の気が変わらぬうちにと、相棒が再び外に出たのをよいことに大急ぎでクリスマスツリーを飾った。彼の知人が言っていたようにツリーはとても大きくて、小柄な私よりもずっと大きかった。居間の角っこに置いてみたら、とても温かい感じがした。そうして相棒は帰ってくると、やあ、クリスマスツリーなんて久しぶりだな、いい感じだ、と言った。それはまるで今まで私が面倒くさがって出さなかったような言い方だったけど、そのことには触れずに、うん、本当にいい感じがするね、と相槌を打った。翌日相棒はツリーの為の金色に光るライトを買ってきた。居間の照明を消して、それを点灯してみたら、ああ、私はずっとこんな感じを求めていたのだ、と思った。相棒は何も言わなかった。彼は今まで私にクリスマスの喜びを与えなかったことを後悔しただろうか。それともそんなことよりも、ツリーを飾る気分になれたことを喜んだだろうか。彼自身もずっとこんな気分を求めていながら我慢していたのかもしれない。どれもこれも私の単なる想像でしかない。何しろ彼は本当に一言も喋らなかったのだから。あれ以来、12月初めの週末にクリスマスツリーを飾るのが習慣になった。未だにてっぺんに飾る星が無い。毎年探しているが何処も彼処も売れ切れなのだ。しかし、ああ、そうだ、今年は早々に探してみることにしよう。例えばあのフランス系の店で。今年こそてっぺんに星を飾ろう。

バールに行ったがつまみと言うつまみは既に無くなった後だった。でも、気の利いた赤ワインの栓を抜いて、振舞ってくれた。君たち来るのが遅すぎるよ。バールで働く若者たちが口を尖らせて言ったので、私も真似して言ってみた。君はいつだって帰ってくるのが遅すぎるよ。周囲の人たちが、あははと笑う。相棒も笑う。私も笑う。それでいい。祝日はそんな笑顔が似合う。


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コメント

あっという間に11月ですね。カナダはサンクスギビングがあり、ハロウィンがあってからクリスマスへの火蓋が切られるような気がします。そしてその時期は年々はやくなっているような・・・

クリスマスツリーにまつわる思い出を読んでいて、少しだけ須賀敦子さんの本を思い出しました。一緒にツリーを飾って楽しめるようになってよかった。今年は素敵な星が見つかりますよう!

2014/11/02 (Sun) 06:17 | mk #- | URL | 編集

読み入ってしまいました。バールの場面で、ああよかったと思いました。すごく楽しそう。

2014/11/02 (Sun) 16:57 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

mkさん、こんにちは。カナダではサンクスギビング、ハロウィンの順ですか。それは初めて知りました。それにしたって11月早々クリスマスの準備は、少々早すぎますよね。
私が初めて須賀敦子さんの本を読んだのは、今から15年くらい前のことだったと思いますが、私も、私も彼女の本を読んだ時に、何か小さな共通点を感じたものです。あれから年月が経って、しかし物事は少しづつ好転していくものです。そう願っていれば。捨てたもんではありません。これから自分たちに似合った星を楽しみながら探したいと思っています。

2014/11/03 (Mon) 23:54 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。長い人生にはいいことも悪いこともあるわけですが、その間には待つという時間も大切みたいなのです。水の流れに乗るのも大切なようです。ただ希望を捨て居ないこと。私はイタリアに来てからそういうことを学びました。バールの時間は楽しいけれど、うっかり風邪を貰って帰ってきてしまいましたよ。

2014/11/03 (Mon) 23:58 | yspringmind #- | URL | 編集

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