
月の美しい夜に、金木犀の匂いが漂う。それはなんと素敵なことか。どんなに待ち焦がれていたことか。
もう随分前のことだ。私が思春期から大人へと辿る時期を過ごした家の庭の、陽当りと風通しが良い、言わば一等地とも呼べる場所に金木犀が植わっていた。毎秋、植木屋さんが来ては庭中の植木という植木を剪定してくれていたから、おかげで植木はどれも元気だった。中でも金木犀は何しろ一等地に植えられていたこともあって、当然のことながら元気で、毎年夏の終わりに、若しくは秋の初めに無数の橙色の小さな花をつけて、良い匂いを漂わせていた。私はその匂いが大好きで、その匂いを嗅ぐことが出来る季節が待ち遠しくてならなかった。あれは何時のことだっただろう。海の向こうに暮らしている同じ年頃の男の子からの手紙を心待ちにしている時期があった。今でいう長距離恋愛なんてものは存在しなかったし、そもそも私達は恋愛などしていなかった。ただ、互いに気になる存在だった。ひょっとしたら、私達のどちらかが、それとも双方が、少しなりとも淡い恋心を隠し持っていたのかもしれないけれど、其れよりも私達はいい友達で、そうだ、やはり私達は互いに気になって仕方なかったのだ。手紙を郵便受けの中に見つけた時の嬉しかったこと。夏の暑さはほとんど姿を消して、高く青く澄んだ空に金木犀の匂いがした。
明日は満月らしい。うちのカレンダーには満月の日が記されているから、間違えない。だから今日は満月の手前ということになるけれど、しかし何という美しさ。夜空からポロリと落ちてきそうな真珠色の月を見ていると、すべてが成るべくして成ったように思えてくる。私が相棒と出会ったことも、ボローニャに暮らすようになったことも。大切な人との別れも、新しい人との出会いも。ありのまま、すべてを丸ごと受け入れてもいいような気分になるのは、多分、金木犀の匂いのせいだ。人の心を柔らかくしてくれる、金木犀の匂いのせいに違いない。
