特別な日に

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数日前、久しぶりにワインを頂くために旧市街の店に立ち寄った。ちゃんとした名前はあるが、私は何時も簡単にフランス屋と呼んでいる。確か3週間ほど店が閉まっていた筈だ。雨上がりの旧市街の道を足元が濡れぬようによけながら歩いていくと、フランス屋の中には先客が居た。年の頃は60歳くらいの女性と、彼女より若いと思われる男性。このふたりの関係は、恋人同士か夫婦、そのどちらかに違いない。今どきは自分よりもすごく若い男性と結婚する女性が増えてきた。誰かが勝手に作り上げた昔流スタンダードなルールや考え方が成り立たなくなりつつある。私はそのことが面白くて仕方がない。どんどん壁を破るといい。何でもありなのだ。周囲に迷惑を掛けたり、傷つけたり、悲しませたりしなければ、こうでなくてはいけない、などというルールみたいなものは打ち破っていくといい。其れが良いことであればどんどん進めればよいし、そうでなければ改善すればよいだけのことなのだ。それで彼らはカウンターに凭れながらなみなみとシャンパンが注がれた足の長いグラスを傾けながら店主とお喋りをしていた。店に入って来た私に気がついた店主が顔だけこちらに向けて愛想よく挨拶してくれた。そして言うのだった。シニョーラ、ちょっと待っていてくださいよ。店主の手元を見ると店主は牡蠣を開けているところだった。それはどうやらシャンパンを頂いている先客たちの注文らしかった。この店で牡蠣を頂けるなんて思ってもいなかったと言う私に、美味しいものは何でも食べられるようにしなくてはねと店主が言った。話によると木曜日に新鮮な牡蠣が手に入るらしい。そうして牡蠣を乗せた小皿が先客たちの前に置かれた。どうやら彼らはいつも牡蠣を頂くらしく、うん、今日のもとても美味しいと言いながら、それはそれは美味そうに頬張った。そうしてようやく手の空いた店主は私に注文を訊くこともなく、今日はこんなワインの栓を抜いたのだ、きっと気に入る筈なんだ、と言いながら、ワイングラスに注いで私の目の前に置いた。深い赤。見るからにコクの有りそうな赤ワインだった。口に含んでみると、多分、この店で頂いた中で一番だった。言葉にするのも忘れて親指を立てて見せると、店主はうん、と大きく頷いて満足そうだった。何処の何とかと言う赤ワインで、と沢山説明してくれたのに私はちっとも覚えていない。説明のし甲斐の無い客とは私みたいな人間のことだと思いながら、しかし何と美味いのかと全く関心するのだった。そのうち店は混み始めて、店主は私達とお喋りをしている場合ではなくなった。この店は、全くうまくやっている。これから秋冬に向けてますます繁盛するだろう。寒い季節はやはりワインが美味しいのだ。明るい空の夕方の冷えた白ワインもいいけれど、私はやはり寒い季節の赤ワインがいい。先ほどのワインがあまり美味しかったので一本、そしていつものチーズを注文した。いつものチーズ。此れも何度聞いても覚えられない。フランス語の名前は本当に難しいのだ。私がいつものチーズと呼ぶので店主もいつものチーズで理解するようになった。ワインは少々値が張ったけれど、こういうのは特別な日に栓を抜くのが良い。例えば数日前に金木犀の大きな鉢をテラスまで運んでくれた相棒の友人が来る日や、例えば暫くローマ近郊に暮らしていた劇場役者が来る日など。其れとも2か月も先の自分の誕生日でも良いし、何でもない普通の日に相棒と仲良く食事を楽しみたい晩でもいい。どれもこれも普通のことだけど、普通でいて特別なのだ。

キッチンの隅のワインラックにこっそり忍ばせておいたフランスワイン。早くも相棒が目敏く見つけて、どうしたのだ、どうしたのだ、とうるさい。特別な日に栓を抜こうねと言って、元の場所に戻したけれど、うっかりすると姿を消してしまいそう。たとえば相棒の友人が来る夕方など。妻の帰りを待たずに食前酒などを楽しんでしまうなら。


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コメント

最後がおもしろかったです。

2014/09/07 (Sun) 11:34 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こういうことって本当にあるんですよ。

2014/09/07 (Sun) 22:07 | yspringmind #- | URL | 編集

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