桃と私

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旧市街の中でも食料品市場界隈が面白い。面白いのは一年中だけど、春から夏にかけては特にいい。色とりどりの青果は見ているだけで愉しくなるし、見ているだけでビタミンを補給しているような気分になるのは私だけだろうか。春の苺は近くを歩いているだけで鼻先をくすぐるし、大振りの茄子は見ているだけで愉快になる。夏の終わりに登場するポルチーニ茸やトリュフも勿論いいけれど、私にとっては夏場の青果がやっぱり一番。今は何がいいって、桃。桃である。先日店先を眺めていたら見事な桃に遭遇した。多分明日頃が食べ頃に違いない、色といい形といい私好み。文句のつけようもない。桃につけられた札は、Don’t Touch!  傷みやすい桃だ。触らないでと言うのも無理はない。

イタリアでは店のものをむやみに触るのが大変失礼という風習がある。大型店ならともかく、小売店で商品に触れると店の人に睨まれると思ってよい。私がイタリアに初めて来たときに、前もって相棒から注意を受けたのもそんな背景があるからだ。ねえ、君。店に入っても勝手に触れて吟味してはいけないんだよ。それではどうやって商品を吟味するのかと訊けば、店の人に頼んで見せて貰うのさ、とまるで当然と言わんばかりに相棒は教えてくれた。そうしてイタリアに来てみると、成程、誰も手に取って吟味などしない。青果店などでは食べ頃の美味しいのを手に取ってみたいところだが、それは店の人に重々美味しいのを選ぶようにと言いつけて選び出して貰うのだ。うちのはどれも美味しいんだから大丈夫、と店主は言うけれど、私が細かく注意点を述べているうちに、店主の頭を横切るのだ。この客はなかなか詳しいうえに味にうるさいらしいから、いいのを選ばないと大変なことになるだろう、と。青果の、特に桃のまとめ買いが嫌いな私は何時も必ずこう注文する。今夜食べるのに丁度よい、飛び切り甘くて美味しいのを選んでちょうだい。

そう言えば、私が子供だった頃、夏場になるとよく桃を食べたものだ。それはするすると皮がむける柔らかい桃で、あれは白桃だったのか、黄桃だったのか。母が綺麗に剝いて切り分けたものが四角いガラスの涼しげな大皿に乗ると、私の出番だった。テーブルまで運ぶのが私の仕事だった。ところがある日、あれ程注意していたと言うのに床に躓いてしまった。あっという間に桃が大皿から滑り落ちた。私は泣き虫だったから、床に落ちた桃を認識するなり泣き出した。あれは単に悲しかったのか、桃を落としてごめんなさいという気持ちだったのか、それとも桃を台無しにしたことを子供なりに罪に似た感情を感じたのか。兎に角あの大量の甘い匂いの桃は、私が籠に入れて飼っていた甲虫たちの豪華版差し入れとなった。あれ程あったのに、翌朝観たらすっかりなくなっていた。美味しかったのだろう。私達人間は食べそびれてしまったけれど。あの事件を母や姉は今でも覚えているだろうか。それともそんなことを覚えているのは、張本人の私だけか。

明日は雨になるらしいが、旧市街へ行く予定だ。土曜日と日曜日の分だけの甘い甘い桃を求めて。


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コメント

おいしそうな桃ですね。さわらないで!さわるな?の立て札が必死な感じがします。
相棒さんやイタリアの風習がお店の人に頼んで吟味するというのも、考えてみればそれはそうかなとスーパーで買うことに慣れた者には何か気づかされた気がします。
yspringmindさんのように、今夜食べて甘い桃をちょうだいとこちらの店でも言ってみたいものです。店主によっては、みんな甘い!と言われかねなくもなさそうな。昔、八百屋で大根を見ていたら、みんな同じ!と言われどきどきしましたので。

2014/07/26 (Sat) 07:30 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。桃など触ろうものなら、こっぴどく叱られるに違いありません。それにしてもイタリアの青果店では、こんな感じに注文すると自分のプライドにかかわると言わんばかりに真剣に選んでくれるのです。次の時に、この間のすっごく美味しかったわよ、と言われるか、全然美味しくなかったじゃない、と言われるか。他の客の前でどんな評価を得るかでますます繁盛するかどうかが決まるのですからね。イタリア人は単純で愛すべき人たちなのですよ。

2014/07/26 (Sat) 18:29 | yspringmind #- | URL | 編集

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