月夜に想う

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満月に近い晩。月の光が明るすぎて眠りに着けない。昼間の暑さは6月と言うよりは7月の終わりに近く、人々はお洒落よりもいかに涼しいかを重視して衣服を選ぶ。夕方見掛けた女性は、緑色のひらひらと薄手の緑色の生地のドレスを着ていた。それはあまりにもシンプルで、しかし実に涼しそうで人々の目を奪った。それから白いレース地のブラウスを着たご婦人。袖無しの、襟ぐりの大きく開いたブラウスは恐らくは昔彼女が購入したもので、それとも昔風に仕立てたブラウスで、とても素敵だった。母が昔着ていたようなブラウスだった。

私は母のブラウスを見ながら育ち、何時の日か私もそんなブラウスを好むようになった。母のブラウスは、母の知人が仕立ててくれたものだった。母もまた手先が器用で和裁、洋裁、編み物と何でも出来る人だったが、ひと頃、そう、私が幼稚園から小学2年生くらいの間、母は知人に仕立てを頼むのが好きだった。その知人は遠藤さんと言って、駅のすぐ近くに暮らしていた。母は大抵私の手を引いて遠藤さんを訪ねた。私の手を引いていったのは、母が頼んでいる服を作る生地の残りで子供服を作ろうと思ったからだった。姉の服を作るには足らないが、小さな私の服ならば、と言うことらしかった。中でも一番の気に入りは、白地に水色の縦横の線が入ったものだった。4,5センチ間隔に交わる水色の線が生地の白さを際立たせてとても爽やかだった。母はその生地で四角い襟ぐりの、シンプルな小さな半袖が付いたワンピースを作り、私にも同じくシンプルな、しかし袖の無い、丸い襟ぐりのワンピースを作ってくれた。これは本当に着心地がよくて、涼しくて大好きだった。何よりも鏡に映った自分が涼しそうに見えたのが良かった。遠藤さんは本当に縫物が上手で、こんな感じと絵を描いて持ち込めば、相談しながら感じの良い服を作ってくれた。今思えば、遠藤さんはこの道のプロのだったのだろう。私が小学3年生の時、私は母にねだって遠藤さんに新しい服を縫って貰った。檸檬色の服だった。私が自ら望んで遠藤さんに服を作って貰ったのはそれが初めてで、最後だった。私たち家族はその半年後、住み慣れた町を離れ、遠い田舎町に引っ越してしまったからだ。遠藤さんとはそれっきりだ。それで母は重い腰を上げて、再び自分で服を縫うようになった。

母はどうして遠藤さんと知り合うことになったのだろう。誰かからの紹介だったのだろうか。母の周りにはお洒落な人が多かったから。思えば母は随分贅沢をしたものだ。そして私もまた。

月明かりが明るすぎて眠れない晩。羊を何匹数えたら眠りにつけることだろう。


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