風の日

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今日は今シーズンのカルチョ(サッカー)の最後の日。ボローニャはカターニャに敗北して、セリエB行きが決まった。このゲームでボローニャの将来が決まるとあって誰もが息を止めるようにしてテレビの画面にのめり込んでいたから、この敗北が重い空気を生み出してバールの中の雰囲気が、酷く、悪い。あまり調子が良くないどころが全然調子が良くなかったボローニャだから、セリエB行きの可能性を誰もが考えていたけれど、しかしそれが現実となるとなかなか受け入れ難いと言うものだ。私が相棒と知り合った20何年か前、ボローニャはセリエCだった。でも、とんとんと階段を上るようにしてAに来たじゃないかと人々を慰めてみるが効果はない。君はそんな昔のことをよくも覚えているなあ、と呆れられるだけ。この絶望感はしばらく続くだろう。たかだかカルチョ(サッカー)ごときで、と思うかもしれないけれど、ボローニャの人達にとってボローニャがセリエAから姿を消すことは、私達が想像するよりもはるかに痛手なのだ。暫くの間は、相棒をそっとしておいたほうが良いだろう。傷心の少年といったふうだったから。

大風が吹き荒れ、背の高い木々がゆさゆさと揺れるの窓辺から眺めるのが好きだ。その様子はまるで木が何かを考えているふうにも見え、若しくは何かを私に語り掛けているようにも見える。私と木は昔から相性がよく、だからむやみに木が切り倒されたるする様子を偶然見かけたりすると、酷く心が痛むのだ。自分の腕が切り落とされてしまったような、心臓の一部をえぐり取られてしまったような。
昔、私と相棒が暮らしていたフラットの前にプラタナスの木が間隔をおいて植えられていた。場所はサンフランシスコ市内でもなかなか長閑な場所にあって、海から車で10分ほどのところにあった。少し小高い場所にあったその界隈は、エアポケットに入り込んだみたいに長閑で静かだった。誰もが自然を愛して、庭に大きな木を植えていた。フラットの前と言っても私達の所有物ではなく、街路樹であった。幅広の歩道と車道の間に植えられたそれらは、庭を持たない私達フラットの住人にとって大切な木だったと言って良かった。事実、雨があまり降らない時には住人の誰かが水をくべて枯れないように努めたものだ。プラタナスの木は背が高く、夏の日差しを私達から守り、海風にそよぐ葉が私達に涼を運んでくれた。そうだ、私達は皆、プラタナスの街路樹を愛していた。ところがある日、市の職員がやって来て木を切り始めた。私は外に飛び出して抗議したが、取り付く島もなかった。他の住人のドアを叩いてみたが、誰もが仕事に出掛けているらしく、私はひとりで抗議を続けながら切られていくのを見ているしかなかった。大きな幹を残して、他のすべてを切り落としてしまった。残った大きな幹は腕を捥ぎ取られて直立不動するしかないといった様子で、私は悲しみの海で溺れそうだった。夕方、次々に帰宅する住人が直立不動するプラタナスの木を見て嘆き悲しんだ。そうして私達は市に文句を言ったが、何を言っても遅すぎたと言って良かった。そうだ、枝という枝は切り落とされてしまったのだから。こんな風に切り落とされた木は、死んでしまうかもしれない。私達はそう考えて休みの日になると住人の誰かが梯子を持ち出して、切り口のトリートメントをするようになった。それはまるで自分の庭の木を手入れするような感じに。私達はこの街路樹に愛情を注いでいたことを再発見した時期でもあった。翌年の春、上の階に暮らす私達は切り口に小さな芽が幾つもついているのを発見して狂喜した。新芽が出た!新芽が出た! 私と相棒はそう言って外に出ると、次々と住人が飛び出してきて、まるで待望の赤ん坊でも生まれたように私たちは抱き合って喜びを分かち合った。あの木は再び命を吹き返した。最後に見たのは10年前。豊かな葉が海の風にそよいで、きらきら輝いていた。私達が大好きだったプラタナスの街路樹。今日も風にそよいでいるのだろうか。

大風が吹く。こんな日、燕たちはどうするのだろう。私の5月の楽しみである夕方の子燕たちの飛行練習は、今日は中止だろうか。


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コメント

ysprigmindさんの木へのやさしい気持ちが伝わってきました。今もその木が風にそよいでるといいですね。
私も思い出の木があるかなと思ってみました。ポプラの古木は土地を広げるときに切られてしまったなとか、結構土地を改良するときに切られた木が多いです。ときに、人の手の入ってない大木や朽ちたような古木を見ると圧倒されます。よく神社にありますが。自分のおじいさん、おばあさんに会ったような気になります。
つばめの子供は少しぶーちゃんでかわいいですよね。しっぽも短いような。

2014/05/13 (Tue) 15:08 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。多分人にはそれぞれ木との思い出があるのではないかと思うのですが、それは私の思い込みでしょうか。でも、木って黙って人の近くに存在している、案外優しくて心強い存在だと思うのです。
つばめさんの思い出のポプラの古木は土地を広げるときに切られてしまったそうですね。そういう木、たくさん存在するんでしょうね、世界中に。
子燕は、何だか着慣れないタキシードを着ているみたいに見えて面白いです。いつか旅立つ日が来るなんて、少し寂しいですね。

2014/05/13 (Tue) 22:35 | yspringmind #- | URL | 編集

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