雨降り

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楽しみにしていた土曜日の夕方のお祝いごとは延期になった。洗礼式の主役である4か月の赤ん坊が数日前に水疱瘡に罹ったからだった。何しろ小さな赤ん坊なので体に負担が大きいらしく、ついに入院とまでなってしまった。遠方から親戚友人が集まったところでこんなことになり、主役の両親はさぞかし残念だっただろう。だけど一番大変だったのは主役の赤ん坊で、赤ん坊の健康を心配する両親、つまり私の友人たちを慰めるのが、私にできる精一杯のことであった。それにしても4か月の赤ん坊が水疱瘡に罹るなんて。今まで聞いたことが無い。水疱瘡とはもう少し大きくなってから罹るものだと思っていた。何にしても、早く治るとよいけれど。

そんな訳で今日は一日中、家に居た。幾度も大雨が降ったから、出足をくじかれたと言ってもよかった。雨の様子を見ていたら、日本の梅雨を思い出した。ひたすら真っ直ぐ降り続ける雨。私が母と喧嘩したあの6月にもそんな雨が降っていた。それはもう14年ほど前のことで、珍しく6月に帰省した。梅雨時とは知っていたが、雨に濡れた紫陽花を鑑賞するのも良かろうなどと我を盛り上げてでの帰省だった。先に喧嘩と言ったけれど、母とは喧嘩をしたわけではなかった。何かこう、私が母にとってはまだ小さな子供のままであることを、長く遠くに暮らしていることで受け入れられなかったと言うか、理解しがたかったと言うか。私にしてもそんな母を寛容に受け入れるほど器が大きくなかったので、ちょっと仲たがいしたら母は臍を曲げてしまい、それから長いこと母は私と口を利かなくなったのだ。長いこと。そう、大変長いこと。兎に角その6月はそんなことがあったので、それでなくとも嫌いな雨が、それでなくとも苦手な梅雨が、酷く身に沁みて惨めな気持ちでボローニャに帰って来たのだ。あれから私は母と仲直りをしたし、今は何のしこりもなく仲良く話をするけれど、私はもう6月の帰省だけはするまいと心に決めたのだ。あの雨に濡れた紫色の紫陽花の群れ。あんなに悲しい気持ちで紫陽花を眺めたのは後にも先にもない。今日の雨は忘れていたあの日を思い出させて、ちょっぴり私をブルーな気分にさせた。

雨が止んで空が少し明るくなったので、気分転換に外に出た。外に出たと言っても行先は此処から1分もかからぬ場所にある、私の新しい住居。家の中の不要品を全て取り払い、シンプルに住み易くするようにと先週から作業が始まった。電気の配線や、何やら。今日は家じゅうの壁の色を塗ると言っていたので、進み具合を拝見しようと思ったのだ。作業しているのは相棒と友人。壁を無る作業を一度したことがあるが、口で言うほど簡単なものではない。そのくらい私にもできると大きなことを言っての参加だったが、その晩から腕が上がらぬほど筋肉が炎症して、それから腰から足にかけてガタがきて、ひたすら上ばかり見ていたので頭の後部が痛くなって、要するに早く言えば全身がひどく傷んで2日間寝込まねばならなかった。あれは女性がする作業ではない。あれ以来、私はいつもそう言って壁塗り作業を断っているのである。私が視察に伺った時、作業員たちはキッチンの壁を塗っていた。白かと思えば、いいや、氷色だと言う。え、氷色? などと問えば話が長くなって仕事の邪魔をすることになるので、あら素敵、氷色なのね、とだけ言っておいた。そういえば私は何色が良いかと訊かれていなかった。いや、てっきり白く塗るとばかり思っていたのだ。どうやら彼らはそんな気はさらさらないようで、これから他の壁をどんな色に塗るのだろうかと楽しみであり、少々不安でもある。成るべくシンプルでリラックスできる色が良いのだが、なにしろ作業を手伝わぬ身分なので、黙って見守ることにしよう。私はあれこれ言いたいことを我慢して、家を出た。

空の色が再び暗くなりだしていた。今にも空に敷き詰めた雨雲が破れて雨が降ってきそうだったので、近くのバールでカップチーノを楽しむのを諦めて帰ることにした。雨が降って喜んでいるのは、木々だけに違いない。家に戻ってコートを脱いだ途端、大雨が降りだした。乾き始めていたアスファルトの路面は再び黒く濡れ、満開の蔓薔薇の花びらが散っていく。明日は、明日はどうだろう。もう雨は、しばらく降らなくてもいいよ。と、窓ガラス越しに空の上に居るに違いない神様に伝言した。


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