手の届かないダイヤモンド

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復活祭の翌日は祝日。この祝日に関しては何時になってもうまく説明が出来ない。だからもう色々説明するのは止めて、復活祭の翌月曜日だから祝日とだけ言うことにしたのは何時の頃からだっただろう。晴れ時々小雨の今日は、家の中に居ても鬱陶しい。窓ガラス越しにでも太陽の光があると無いとでは、気分がこんなに違うものなのかと改めて感じる。こんな日は街を散歩すると気分が晴れること間違えなしだが、今日までゆっくりすることに決めたのだ。そうしたらば、明日から元気に生活できるだろうと。ずっと先延ばしにしていた友人知人たちとの楽しい時間を持てるようになるだろうと。

正直なところ私は随分前から若いお嬢さんではない。かと言ってもう若くないからと思うのは嫌だ。何時までも若い気持ちで居たかったから、現実を直視できずにいたような節があった。それを直視することで、気持ちの年齢までもががっくりと老け込んでしまうと思い込んでいたから。だけどここ数か月のうちに私は現実を見つめる必要に迫られたと言うか、それを受け入れたほうが自分にとって良いであろうことに気がついたのだ。勿論、多少なりとも心の葛藤はあるけれど。そういうことで気持ちが大人になるのだと思えばよく、そういうことで自分の体に優しくできるようになるのだと思えばよかった。何事も考え方次第。とは言え、20代のあの輝くような毎日を飛び回っていた自分を時々思い出しては、あの頃の自分ではない悲しみにも似た溜息が零れてしまうのだ。
私が自分の中で一番よかった時期として思い出すのは、何故かいつもアメリカに暮らした始めて数か月後に友人とアパートメントを探した毎日のことだ。私はダウンタウンの小さなSTUDIOに住んでいたが、一日も早くそこから出ようと考えていた。金銭的なことよりも、私はそのアパートメントを出たほうが良いと何となく感じていたのだ。午後のある時間になると私は友人と街を歩き回った。夢みたいなことばかり言って、現実を少しも直視できなかった若い私達は、時間を沢山無駄にしたはずだが、其れすらも楽しかったのだ。街の中心から離れた海の方へ、豊かな人たちが暮らすエリアへ、再びダウンタウンに戻ってきては、ああでもないこうでもないと地図を広げながら指をさす。パシフィックハイツの高級アパートメントの瀟洒な入り口に貸家のサインを見つけると、狂喜した友人。こんなところに借りるのは、どう考えても無理だろうと窘めるが、友人は言うことを聞かなかったから近くの公衆電話で訊いてみる。そうして現実的ではないことを確認すると、私達はまた歩き出した。もう探すのを辞めようかと思った頃に見つかった、大きな出窓から陽がふんだんに差し込むアパートメントだった。私達は自分たちで探したことで少し自信を持ったようだった。アメリカに暮らし始めてまだ間もなかった私達が、自力で何かをしたことが嬉しくてならなかった。もっとも契約するには、街の反対側に居を構える不動産屋に行かなければならなかったし、難しい契約書を隅から隅まで読まねばならなかったから、単に有頂天ではいられなかったけれど。友人はそうした時にはいつも時間が無くて、私はびくびくしながら不動産屋のいかにも外国人を馬鹿にしたような社員または店主と話をつけなければならなかった。だから、契約が済んで自分たちの荷物を持ち込んだ日の喜びは格別だった。11月の終わりごろだった。12月からの契約なのに、管理人が内緒で入居を許可してくれたのだ。なあに、もうひと月も空っぽなんだからさあ、と言って。あの場所に暮らし始めて、私達は色んなことに遭遇して、色んな経験をして、後に私達は解散して別々の場所へと散って行ったが、私達は確かに何かを共有したのだ。私が何故、その頃のことを思い出すのかは分からない。友人と言っても前から知っていた訳ではなく、友人の友人という、言うなれば単なる知人同士だった私達が、棲み家を求めて足を棒にして歩いたあの毎日のことばかりを思い出す。街を歩くのが楽しかったのだろうか。それとも友人との時間が思いがけなく楽しかったのだろうか。と、思い出した。それは、夢は叶えるもの、という言葉を心に抱いていた頃のことだ。不可能なことなどひとつもないと思っていた。私は若く強く、疲れ知らずだった。多分、私はその頃の自分が懐かしく、恋しく、手の届かないダイヤモンドみたいな存在に感じているのかもしれない。

小雨はいつの間にか止み、薄日が差す。空はこんなに穏やかなのに、人ひとり歩いていない。車一台走っていない。不思議な午後。復活祭の翌日の午後。


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