春の頃

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空が不機嫌な一日。太陽に暖められた春の空気に慣れてしまった最近は、今日のように曇り空で一向に気温が上がらないと決して寒い訳ではないのに寒い寒いと文句を言いたくなる。勿論、そんな人は私だけで、周囲の誰も言わないけれど。バスの停留所の手前に美しい桜が咲いている。見るからに日本の桜だと思っていたが、これは日本の桜とは全然違うと人に言われて驚いた。そういえば日本の春をもう20年も堪能していない。どんなのが日本の桜の花かすらも忘れてしまうくらいの歳月が経ち、うーん、良くないなあ、と思いながら、しかし暫くは春に日本へ帰るチャンスはなさそうだ。

春の頃とは私にとって大変魅力的な時期である。人はどんなものを求めるのか知らないが、私はいつだって草餅だった。私は大の甘党で、苺のショートケーキも大好きだけど、ひとつだけしか選べないというのなら絶対草餅なのだ。私が思春期を過ごした町は何しろ自然満載で、蓬が密生するような場所すら存在した。それは母の知人である藤原さんの家の前に在る空き地。多分、藤原さんは蓬を発見した時、ここに家を持ったことを幸運と感じたに違いなかった。藤原さんはよく家に訊ねてきたが、ある日の夕方のことは忘れない。何やら大きな丸い風呂敷包みを手に提げてやって来たのだ。お嬢さんたちは洋菓子の方が好きかもしれないけれど、と言いながら風呂敷包みを解くと、中には丸い大皿に行儀よく並べられた、見るからに美味しそうな草餅が出現した。それは今まで見たこともないような緑色で、私はそれを見て歓喜を上げた。あら、お嬢さんは草餅が好きなの? と驚く藤原さんに私は好きなんてものではない、大好物なのよ、と言って母に窘められ、そして藤原さんに笑われた。家の前の空き地に蓬が生えるので毎春作るのだと言う藤原さんが、私は素晴らしい和菓子職人のようにも見え、母はどうして草餅を作らないのだろうと多少なりの不満を覚えたものだ。聞けばなかなか手が掛かるらしく、洋裁、和裁、編み物を教えていた母には、草餅づくりに掛ける時間は無かっただろうと理解できるようになったのは随分後になってからのことだった。本物の蓬を使った藤原さんの草餅は、歯ごたえがあって良い匂いがした。中には甘さを控えた大粒の小豆の餡が入っていて食べ応えがあった。確か10個以上あった筈だが何しろ皆が草餅が好きなので、瞬く間になくなってしまった。藤原さんは数年続けてこの豪華なおすそ分けをしてくれたが、ある年からぱたりと作らなくなってしまった。前の空き地に家が建ったからだ。それは残念なことで、暫くの間、新しくたったその家の前を通るたびに恨めしく思ったものだった。あんな素朴で蓬の香り高い草餅には、二度と巡り合えないに違いない。私はこの季節になるとあれからもう何十年も経つと言うのに、藤原さんと草餅のことを思い出して酷く懐かしい気分になるのだ。あの町には、もう私の家族は住んでいない。10年も前に売り払ってしまったから。年をとった母は便利な場所が良いと考えて、そして庭の草むしりはもう出来ないと自覚して、マンション生活を選んだからだ。数年前、皆で昔暮らしていた町を訪ねてみた。それはもう私の覚えている町ではなく、空き地など何処にも存在しない住宅地になってしまっていた。蓬が生える隙間もない。野兎も雉も居ない。あの頃あんなに田舎だったけれど、その辺りを田舎と呼ぶ人はもういないのだろう。

散歩をしていると時々蓮華やカモミールの群生を見かける。そんな時は足を止めて目で探すのだ。蓬は生えていないかな、と。


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コメント

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2014/04/04 (Fri) 04:46 | # | | 編集

草餅が食べたくなりました。よい香りがしてきそうですね。子供のころ確かに、ほんわかした菜の花色に守られたような時が確かにあったなーと思います。あの頃は別に何が欲しいとも思うことなくぼーっと1日すごしてたなと思い出しました。
私どものところでは、桜は早くもちりはじめています。咲いたと思ったら同時にちるような早さです。

2014/04/04 (Fri) 17:46 | つばめ #- | URL | 編集

草餅
先週 母の庭でヨモギを摘んで
祖母が作っていたのを思い出しながら
作りました

うまくいきません

大変な作業でした

祖母が亡くなった翌年の春 一度だけ
思い出しながら作りました

毎年 春には草餅を食べていたので
春には草餅・・・

こんなにも こんなにも ヨモギと上新粉のバランスが大変だったとは

おばあちゃん  今更ながらですが

ありがとう。

2014/04/05 (Sat) 04:28 | 春風 #jgTtIlIo | URL | 編集
Re: タイトルなし

鍵コメさん、こんにちは。有難うございました。こちらボローニャは雨空ですが日本はどうでしょうか。お花見日和となりますように。

2014/04/05 (Sat) 17:38 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。美味しい草餅が出回る春に日本に帰省できたらどんなにすばらしいかと長いこと案を練っています。一週間でも良いから、帰ってみると言うのも良いかも知れません。私も子供の頃はなんでもない毎日が案外幸せでした。原っぱに咲く菜の花、白爪草で花輪を作ったり。幸せな時代だったと言うことでしょうか。
それにしても日本の桜の花は、何故もこう散るのが早いのでしょう。一瞬のことだから尚更美しく見えるのかもしれませんね。

2014/04/05 (Sat) 17:43 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

春風さん、こんにちは。庭で蓬を積むことが出来るのですか。それは何と言う幸運。ああ、本当にうらやましいです。
お祖母さまが草餅を作っていたそうですが、食べるだけの側には作る人の工夫や何やらは分からないものですね。しかし美味しい美味しと喜んで食べてくれる家族の顔を見て、お祖母さまはきっと嬉しかったででしょうね。
そして今は孫が思い出しながら草餅を作る。空の何処かから覗きながら、応援しているのかもしれませんよ。
今度は春風さんから娘さんたちに手作り草餅の美味しさをお伝えください。

2014/04/05 (Sat) 17:49 | yspringmind #- | URL | 編集

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