自分を表現する

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夜中のうちに夏時間が始まった。夏時間のある生活をするようになって20年以上が経つけれど、初めの数日は何となく波に乗れない。これは夏時間がある国に生まれなかったからなのかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。何処の家にもひとりやふたりくらい僅か一時間の時間差について行けぬ人が居るらしい。うちでは私と相棒のふたりともだから100パーセントの影響と言う訳だ。かといって夏時間が嫌いなわけではない。それどころか夏時間大いに歓迎なのだから、単に変化に順応する能力に欠けていると言うとよい。夏時間になったおかげで19時半でも空が明るい。夕方空が明るいとテラス席に座って食前酒など楽しみたくなる。何やら楽しくなりそうだ、と私がにやにやしていると、咳がすっかり治ってからにしておけと相棒から忠告される。そうだ、早く咳を治さなくては。延び延びになっている愉しいプランを実現させるためにも。

昨日の午後、髪を切ってご機嫌で大通りを歩いていたら、ねずみ男のように灰色のフードをかぶって路面に絵を描く芸術家を発見。私がフィレンツェに通っていた頃は、そんな人を頻繁に見つけた。駅から歩いて来てヴェッキオ橋へと続く人通りの多い辺りで、そういった路上の芸術家たちをよく見かけたのには理由がある。その辺りは車が通らないし、兎に角旅行者が多いから、足を止めて路面に描かれた絵を鑑賞してくれる確率が高かったし、心づけを置いていく人も多かったからだ。昼休みや夕方の帰り道にそんな人たちを見かけるのが当たり前だったようだ。そうしてフィレンツェに行かなくなると、そんなことをすっかり忘れてしまった。ボローニャにはそういう路上の芸術家が存在しなかったからだ。いや、存在するのかもしれないけれど、少なくとも私は彼らに遭遇することが無かった。私が見かけるのは、大抵音楽を奏でる人たちだった。これは一体何の絵なのか、動物なのか、政治家を動物化したパロディなのか。私達は足を止めてその絵を凝視しながら出来上がりを待った。そのうち人垣が大きくなって、しかしまだまだ仕上がりそうになく、私はその場を離れてしまった。彼は来週もいるだろうか。そんなことを思いながら。自分の何かを表現する技を持つ人は幸せだ。自分の考えや気持ち、哲学とか。画家は仕上がった絵を鑑賞する人が想像もできないくらい一筆一筆に思いを込める。音楽家はそんな小さな事は良いではないかと他人が笑うかもしれないに拘って、何日も何週間も同じフレーズを練習する。苦しいかもしれない。でも、そうして自分を表現しようとしていること自体が、私からすれば幸せなことに思える。私には何があるだろう。そんなことを時々思う。これから先もずっと、そんなことを考えながら生きていくのだろう。答えが見つからないかもしれないけれど、自問することが大切だと思う、私には。

久しぶりにワインで乾杯した。夏時間の為に。そして相棒の誕生日の為に。私は誕生日が大好きだけど、相棒はそうでもないらしい。それともそんな振りをしているだけなのかもしれない。

ああ、3月が駆け足で通り過ぎようとしている。


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コメント

結構人々が足を止めて見てますね。なんだか幸せな写真ですね。年齢も考えもちがう人たちが路上の絵に集まってる。実は私もフィレンツェでマリア像を描く人を見かけました。芸術家っているんですね。ほんとはみんななにかしらの芸術を持ってるはずですがどこかに置いてくるのだろうか。

2014/04/01 (Tue) 15:48 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。この写真の後、益々人が集まって大人気でした。路上の芸術家はどんな気分だったでしょうか。やはり嬉しかったでしょうね。私も、人は皆何らかの形の芸術を内に秘めているのだと思います。それをどんな形で表現するか、表現できるかできないか。そう考えたら何だか嬉しくなってきましたよ。

2014/04/01 (Tue) 20:41 | yspringmind #- | URL | 編集

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