ノスタルジー

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大風が吹く。風が吹く日は早く寝るものだと言ったのは母で、それを姉も私も忠実に守った。多分、昔の人が言った言葉だろう。蝋燭なりなんなり、炎を灯していた頃の言葉だろうと想像する。ふとした拍子に蝋燭が倒れてしまったら、風の吹く日はあっという間に火が回って大火事になってしまうから。私はそんな風に解釈していたが、姉はどんな風に考えていただろう。それから本当のところはどんなことが理由だったか、訊かずにいたことを今になって残念に思う。それにしてもこの風で、すっかり気温が下がった。昨日までの春の陽気はもうなく、冬に後戻りしたようだ。春とはそういうものだ。其れでよい、其れでよい、と風に向かって語り掛ける。

昨日、久しぶりに足を運んだ界隈。一時足繁く通った辺りで、あまり変化のない界隈でもあった。小さな店がポルティコの下に連なっていて、細々とながら上手く店を営んでいるらしかった。だからあまり変化がなかった。それが一見姿を変えた。確か衣料品店だった筈だが、あまり記憶にないところを見ると関心を寄せたことが無かったのだろう。わりと間口の広い店で奥行きもありそうだった。一度も足を踏み入れたことが無かったから、そんな風に想像するしかなかった。その店が何時の間にか無くなり、新しい店が入った。今度も衣料品店だが、前のと違って私の目を強く惹いた。私が通過した1990年代のアメリカ生活を思い出させるような印象の店だった。どれがどうと言う訳でもなく、しかし確実に私が愛した小さなことがこの店の中に詰まっていそうな、そんな感じがした。こんな店が確かにあった、私が好きだった二軒のカフェの間に。イタリア人街ということもあり其処に存在する店はどれもイタリアがらみだった。カフェにしてもレストランにしても食料品にしても。そしてその店も同様に、イタリアのブランド品を寄せ集めて狭い店内に並べていた。道に面した部分はガラス張りだったから中をすっかり見通すことが出来た。シックな物はなくカジュアルなものばかりだったが、どれもアメリカのものとは違った感覚で、しかしシンプルで何気ないところがアメリカらしくていい感じだった。派手な色物は何処を見てもなく、古い写真から抜け出したような、懐かしいような、新しいような。だから道行く人が必ず店の前で足を止めた。店はそんな風に仕上がっていた。私には欲しい靴があった。それはシンプルな細身のテニスシューズだった。白いキャンバス地のそれを、素足で履いたら格好がよさそうだった。実を言えば隣に暮らしていたイタリア人のブリジットが、その靴を素足で履いていて、イカスなあとずっと憧れていたのだ。ところが100ドルもした。100ドル! 迷っているうちに熱が冷めてしまったので、貴重な100ドルが財布から出ていくことはなかったけど。カフェ・プッチーニとカフェ・グレコに挟まれるようにしてあった店。繁盛していたかどうかは知らないけれど、私達仲間の憧れを集めていた店。その店によく似ていて、私は心臓が止まりそうになった。有った、こんなところにあった。鼓動が早くなるのを抑えながら、ガラスに額をつけんばかりに中を観察した。あれから20年以上が経った。単なるノスタルジーなのか、それとも願望なのか。気になって仕方がない、この新しい店。中には入らず、そっと店から離れた。次回のお楽しみにとっておきましょう、と言いながら。

大風に雨が加わり、まるで春の嵐のようだ。そんな日曜日。そんな日曜日もたまには良い。


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