冷たい風

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久しぶりに冷たい風が吹いた。朝方晴れていたからすっかり喜んでいたのに、春めいた土曜日になると思って。ところが季節は逆戻りしていて、道行く人々は冬のコートで身をくるんでいた。こんな時期が一番危ない。風邪を引くのはこんな時だ。油断してはならないよ、と自分に言い聞かせて帽子を目深に被った。旧市街に並ぶ店は今が一番微妙な時期だ。冬のサルディが終わらない店もあれば、早くも春ものを置く店もある。中には春ものを飛び越えてサンダルを置く靴屋もあって、ふと足を止めてしまう。いくらなんでも早すぎる、と思いながらも早くそんな季節になればよいと思って。私の気に入りの店は今も冬物だけ。春の軽いコートが店先に並ぶにはあと2週間はかかるに違いない。冷たい風が吹くだけにとどまらず、時々小雨も降る。人々の表情が今ひとつ浮かないのは、そんな天気のせいだろう。時々空を見上げては、ふーっと溜息をつく。春よ、早く来ておくれ。私達を愉しい気持ちにしておくれ。そんなことを願いながら、ポルティコの下をこつこつ歩く。

最近体調がすぐれない。こんな天気のせいかもしれないし、心身ともに大変疲れているのかもしれなかった。どちらにしてもこんな時は自分を思い切り甘やかすのが良い。昔、日本では忍耐や我慢が美とされていたようだけど、私の哲学にはそれらの言葉はない。だからと言って好きなことだけすればよいとは思わないけれど、少なくとも体調が悪い時に無理をする必要はないだろう。そうだ、と思いついてANNA MARIAへ向かった。この店には幾度か来たことがあった。大通りに面した大きな店ではない。入り組んだ界隈の古い印象の店だ。私の女友達に連れられて入って以来大好きになった。昼食時とあって賑わっていた。ひとり客の私は店の奥の小さなテーブルに着いて大好きな手打ちパスタを注文した。この店は決して安くない。安い店ならほかにも沢山あるけれど、何しろ手打ちパスタが素晴らしく、懐が温かい時は此処に限る。気の良い店員が向こうの席に着いた男性客たちに話しかけるのが聞こえた。やあ、お客さん、あなたはボローニャの人ではありませんね。あなたの髪はボローニャ人にしては整い過ぎているからすぐに解る。その声が大きかったので周囲のテーブルの客たちからくすくすと笑いが零れた。男性客は笑いながら、トリノから来たと言った。ひとりの昼食もこんな話に耳を傾けていると、結構愉快なものである。一皿目と野菜の一皿を平らげてからカッフェを注文したら、謝肉祭の季節の菓子が一緒に出てきた。店の奢りということらしかった。実を言えば私はこれが大嫌いで、しかし折角の好意なのだからと一口食べてみたら、あら美味しい。今まで食べたどれよりも美味しかった。生地を薄く延ばして油でからりと揚げたものに粉砂糖を掛けたもの。地方によって呼び名が違うがボローニャではスフラッポレと呼ぶそれ。あまりに美味しかったので勘定を済ませながら店の人に如何にこの店のスフラッポレが美味しかったかを伝えていたら、それまで近くに立って他の店員と話をしていた毛皮のコートに赤いメガネフレームの年配の女性が話しかけてきた。あら、あなた、この美味しさが分かるのね。他の店のものと違うって分かるなんて、嬉しいわね。どうやら彼女はこの店の常客らしかった。彼女もこれが嫌いだったがこの店のを食べてから大好物になったそうだ。私は人差し指を立てて、お友達を沢山集めてスフラッポレと甘いワインだけのお喋りの夕べを開くのはどうかしら、と提案すると彼女はそれが大変気に入って、手入れが良くされた肌理が細かい指を複雑に交差させながら、あなた、冴えているわよ、と言って私に大きな笑みを投げかけた。また会いましょうね、と言う彼女に、そうね、またここで会いましょうね、と挨拶をして店を出た。

美味しい食事は私を幸せにする。体調は悪いが食欲があるのだから心配は無用だ。それにしても外の風はさらに冷たくなって、ややもすると雪でも降ってきそうな寒さにすら思えた。そのうち空から大粒の雨がばらばらと落ちてきて、追いかけられるようにして本屋の中に逃げ込んだ。


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コメント

いいですね。
私もその会に参加したいです。
ピクルスと辛いワインがいいのですが。
yspringmindさんのブログに登場する女性は粋で素敵なひとが多いですよね。自分だけの楽しみを持っている感じの。そういう人と会うと、私は元気がでます。

2014/02/23 (Sun) 02:24 | micio #O/XG6wUc | URL | 編集

私は、夜、輝く月を見て、この月は世界を見て来てるんだなと思ったりするのですが、同じ空の下、yspringmindさんのようにはじめてあった人と心を通わせたりしてらっしゃる方もいるんだなと楽しくなります。また、その経験を読ませてもらったり、結構、素敵な世界に自分はいるんだなと思えることがありがたくもあります。指をたてて提案する仕草はかっこいいですね。

2014/02/23 (Sun) 07:20 | つばめ #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

micioさん、こんにちは。なかなか良いアイデアでしょう?と思ったらmicioさんは甘い物よりピクルスに辛いワインの方が好みなようですね。そういう会は結構あります。今度どうぞ。
私の周囲には私がはっとするような考え方を持つ人、特に女性が多いです。自分は何が好きか知っている人達。何をしたいかを自覚している人達。わたしもね、そういう人に出会うと俄然元気になるのですよ。

2014/02/23 (Sun) 17:36 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私は人と話すのが好きで、初めての人でもあまり物おじせずに話しかけたりもするので時々知人たちに驚かれるのですが、世界にはそんな性格の人たちが案外沢山いるらしく、そういう相手に出会うとこんな話をして一瞬の出会いを共有します。多分どれもこれも自分次第。と、ここまで書いておいてなんですが、日本に居た頃の私は内気で知らない人とこんな風に話などできなかったのですよ。だから、すべて自分次第なのです。そう思うと世界は限りなく広がっていくと思いませんか。
指をたてて提案する仕草は、大変イタリア風だと思うのです。うふふ。

2014/02/23 (Sun) 17:42 | yspringmind #- | URL | 編集

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