私達の宝物

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日に日に寒くなってゆく。真冬だもの、当たり前。そう自分に言い聞かせながら暗い帰り道をひとり歩く。霧でしっかり濡れた路面は、まるで雨が降ったようにすら見える。旧市街でバスを降りた。木曜日とあって半分ほどの店は閉まっていたが、残り半分は煌々と明かりをつけて商売に励む。私がボローニャに暮らし始めた頃は木曜日の午後は閉店と決まっていた。それも随分過去のこととなり、古い習慣から抜け出して自由に店を営むようになった。おかげで随分便利になった。そんなことを思いながらマッジョーレ広場の近くを歩いていたら、急に光の量が半減した。ぱっと街中の灯りが消えたような気がしたが実際は電気はついていて、しかし確実に先ほどとは違う、何か薄暗い印象だった。誰もが足を止めて周囲を見回す。成程、電気がショートしたらしかった。ついている照明は2本の塔から真っ直ぐ延びる大通りの街灯、そして店内の灯り。しかしそれも最低限の強さで、一時間もしないうちにエネルギー切れで消えてしまいそうな弱々しいものだった。ポルティコの下の灯りは消え、人々は不安そうにその下を歩く。シスレーの店内は完全に電気が落ちて、店員が大慌てしていた。ボローニャでこんなことが起きたのはは初めてではないだろうか。しかし暗くなった街は案外ロマンティックな雰囲気で、100年は前はこんな風だったのではないかと思うと、こんなサプライズも素敵に見えるのだ。

昨晩、友人を訪ねた。3年ほど前に知り合った、私よりはるかに若い女の子。女の子と言っても立派な大人で、しかし私から見れば女の子と呼びたくなるような純粋で素直な人である。その彼女がこのところ体調を崩して寝込んでいると言うので仕事帰りに立ち寄ってみたのだ。彼女を元気づけようと思って。ところが反対に彼女の笑顔に私の方が勇気づけられてしまった。このところ少し落ち込んでいた私の心を、彼女の笑顔がすっぽり包み込んでくれた。笑顔って、なんて素晴らしいのだろう。私は彼女のこの笑顔が好き。この笑顔がある限り大丈夫。きっと元気になるだろう。私は心の中でそう彼女に語り掛けるのだった。それにしても寒い晩だった。冷たくなった頬を両手で覆いながら、白い息をはーっと吐きながら、寒い寒いと文句を言う。こんな時に限ってバスが来ない。冷たくなったつま先を温めるためにその辺りを歩き回っていたらようやく13番のバスがやって来た。バスが旧市街を出て市街地へと向かう頃、運転手の横に立っていた背の高い男が歌いだした。皆に聞こえるような大きな声で。それが酷い音痴で、何の歌だかさっぱりわからぬ。乗客たちは皆目を丸くしてその男の背中を眺めた。酷く調子っぱずれなのに妙に堂々と歌う男。ついに我慢しきれずに運転手が笑い出した。私達はこの酷い音痴のせいで運転手が運転を誤るのでははらはらしながら、しかしこの音痴は大したものだと思うのだった。ようやく分かり始めた。これはサウンド オブ サイレンスではないだろうか。少しも静寂なイメージはなく、あのメランコリックな雰囲気もない。それどころか妙に軽快な音楽にすら聞こえる。周囲の人たちにもようやく分かり始めたらしく、思わずくすくすと笑いがこぼれた。寒い晩で、バスがなかなか来なくて皆が半分怒った顔をしていたのに、何時の間にか笑いをかみしめるような笑顔になり、何だか愉しくなってきた。そのうち男は歌いながら下車し、扉が閉まった途端に皆があははと笑いだした。白い歯を見せて。あの男は下界で笑顔を忘れた人たちの為に送られた、天からの使いだったのかもしれない。人々がそうして柔らかな表情で下車していった。笑顔。私たちの宝物なのだ。


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