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夕方になると霧に町中が煙る。一体どこから発生するのか、濃い霧に見舞われる。見る見る間に向こうに広がる丘陵が見えなくなり、そのうち一寸先すらも見えなくなるボローニャの霧。この霧を眺めていると時々ノスタルジアに駆られる。

私がアメリカに暮らすようになったのは、今から22年半前のことだ。決めた時が行動の時と、私は鉄砲玉のような性格だったから誰にも止めることはできなかった。後ろを振り返って考えることもしなかったし、そもそも失うものは何もなかったから前だけを見ていればよかった。8月だった。太陽が出れば暑いほどだったが一旦曇ると急に冷え込んで上着を羽織らねばならなかった。朝から酷い霧に見舞われることもあった。出窓のガラスに額をくっつけて眺めていると、霧の粒子が走っているのが見えた。実際、地元の人たちはそれを走る霧と呼んでいたが、全くその通りだと思った。そんな日は街がすっぽり霧に覆われてしまうのだ。そのうち太陽が出るさと誰も楽観しなかった。今日はずっと霧だろう。そう思って諦めるのだ。同じ霧なのに違う匂いの霧がある。そんな霧が朝立ち込めると、驚くような快晴になる。すかーんと高く青い空。それは脱帽としか言いようのない空で、半袖半ズボンで外に繰り出すのがちょうどよかった。そんなご機嫌な日は、道行く見知らぬ人とも挨拶をかわしたくなる。目があえば、やあ、元気かい、と声を掛けられ、目があえば、何て素敵な日なのかしらねえ、と声を掛けた。それは決して可笑しなことではなく、実にこの町らしいことのひとつだった。そのまま明るい夕方と、月光の明るい夜がやって来るかと思えば、海の方から霧の群れが押し寄せてきて何もかもを包んでしまうこともあった。霧。私も町の人たちも霧とうまく付き合っていたように思うけど、本当はどうだったのだろう。夕方の霧が海の方からやって来る様子を出窓のところで眺めるのが好きだった。すべてを包み込んでしまう霧。犬の散歩をしている、隣の建物の美しい北欧系の女性も。向かい側に暮らす音楽家夫婦のヴィクトリアン調の一軒家も。筋向いに見えるグラタン小学校も、なだらかに上り坂になる道も。窓の下にあるドライブウェイすらもすべて霧に包まれるのに、私を包み込むことだけはない。安堵の溜息をつきながら、何もかもがすっかり見えなくなるまで眺めていた。私は霧さえも好きだった。あの町の全てが、すべて残らずを愛していたのだと思う。

誰に頼まれたでもなく、自分で決めてきたくせに往生際が悪い。時間をかけてボローニャを好きになったが、ボローニャの霧は嫌い。何時の日かこの霧までもが好きになれる日が来るのだろうか。


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