年配の店員

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ヴィエンナに行こうときめた時、私には行くこと以外の何の計画もなかった。つまり行くと決めたものの、何を見たいとか、何をしたいとかなどの希望もなければ計画もなかったのだ。私にとってはボローニャから数日脱出すること、それこそが重要であり、それに伴うこまごまとしたことは旅先に到着してから考えればよいことだったのである。天気が良ければ散策を堪能すればよいし、雨が降るなら美術館を見て歩けばよい。思うに私の旅は何時だってそんな風だ。どの美術館へ行きたいとか、どのレストランへ行きたいとか、どのカフェに入りたいとか、その手の計画はない。その時どきに決めるのだ。そうすれば時間や計画に縛られることもなく、それだからストレスもない。そもそもストレスから解放されるための旅をしているのだ。そういうスタイルの旅が私にはちょうど良い。そう言う訳で旅の下準備と言うものも存在しない。せいぜい飛行機とホテルの予約をすることと、到着先の空港から街に行く交通手段なるものを調べる程度だ。私の悪い癖は、何でも何とかなると思うことだ。何かに直面しても何とかなるさと思っているから、旅の準備をしない。自分の足で歩いて回り、気に入ったところで時間を費やす。そんな場所が見つからなかったらどうするかと言えば、そんなときにはカフェに入って寛げばよい。言うなれば行き当たりばったり。下調べをしたらもっと情報を得ることができて、旅をもっと充実したものにできると知っていながらも。でも、私は同時に他のことも知っているのだ。私と言う人間は、沢山の情報を得るとそれで十分なような気がして旅への関心が減少してしまうのだ。普通の人ならば情報を得れば得るほど関心が高まって、益々わくわくするであろうに。この旅のスタイルは実に私の人生にも反映しているような気がする。行き当たりばったり。先に何があるかわからない。計画などは何もない。なるようになるさ、と。ああ、そんなことを母が知ったら、どんなにがっかりするだろうか。全く親泣かせな娘である。

ところで、計画なしと言いながらも、実はひとつだけどうしてもという店があった。それは街の中心の、車の通らぬ細い通りに面したサンドウィッチの店。4年前の夏に初めてヴィエンナを訪れた際に偶然見つけて入った店だ。外からはその様子は分からないが、重い扉を開けると小さな店内に客がごった返している。場所柄旅行者もいるが地元のご婦人たちが買い物のついでに腹ごなし、若しくは周囲の職場からちょっと来て簡単な昼食を済ますなんて人達も多く、興味がてら入ってみたところすっかり気に入ってしまった。サンドウィッチと言いながらも全然サンドはしていない。様々な種類の具が薄い黒パンの上に乗っている、俗にいうオープンサンドと言うやつだ。ひとつの大きさは手のひらに乗せると小さく感じるほど。こんな小さいもので腹ごなしができるのかと思っていたが、3つ、4つ食べれば小腹の隙間を塞ぐことができる。これに地元の人たちは小さなコップのビールを頂く。その店をもう一度訪れたいと思っていたのだ。記憶というのは曖昧なものだ。自称記憶力の良い私だが、この店を探すのに一苦労してしまった。確かこの辺り。いや、もう一本先の道だっただろうか、と。見つけてしまえば、何だ、こんな近くだったのか、と呆れてしまう程なのだけど。4年振りのこの店はますます繁盛していた。カウンターの前に長い列ができて、カウンターの内側には注文にを受ける店員が4人も忙しく働いていると言うのに列は一向に途切れることなかった。私はドイツ語ができないので英語で注文してみたが、年配の店員は英語が分からなかった。彼女が悪いわけではない。ドイツ語を話さない私が悪いのだ。それで指さしてみたが、何しろガラス越しなので上手く説明ができない。そのうちふと思いついて、昔覚えた片言のハンガリー語を言いながら指さしたら、通じるではないか。年配の店員はハンガリー語を発した私に驚きながらも、ああ、これね、と私の注文の品を皿にのせながら小さなウィンクを投げ返した。彼女は、もしかしたら昔の昔にハンガリーから移り住んだ人なのかもしれない。何かすごい秘密を知ったような気がした。ビールの代わりに温かいリンゴのジュースを注文して、ひとつ空いていた椅子に腰を下ろした。ここではいつも相席だ。足長テーブルについての立ち食いも知らない人同士でシェアする。そういうのがごく普通のことらしいかった。この店で長居は無用。何しろ次から次へと客が入ってきて、何処かに身を落ち着ける場所はないかと探しているのだから。誰もがそれを承知しているから、誰もが案外あっさりと店から出ていく。客同士が共有するルールみたいなものが存在する。誰がそうしろと言ったわけでないにしても。結局2度も足を運んだ。土曜日と、月曜日の昼に。2度目に行った時にあの年配の店員が私のことを覚えていたのは、恐らく東洋人が片言ながらもハンガリー語を話したから。そうに違いない。次に行くときは是非とも片言のドイツ語で注文したいものである。年配の店員をあっと驚かせてやろう。その話を相棒に聞かせたら、大変な呆れ声だった。君はまたヴィエンナに行くのかい、と。

ヴィエンナは素敵。知れば知るほど素敵の小箱が開かれていく。飽きるなんて、当分なさそうだ。


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コメント

すきな街に、すきな食べ物屋さんがあると心強いし、楽しいですね。
言葉が通じるって素敵ですね。
私は、数少ない海外旅行で、カタール空港で軽食を取ろうとレジで注文したのですが英語が通じず、レジのにいちゃんに列の後ろに並べと言われ、結局やっと通じたハンバーガーを食べることに。なにがどうだったのかわかりませんが、まあいい思い出です。

2013/12/25 (Wed) 16:16 | つばめ #- | URL | 編集

長居できないお気に入りのお店というのも、実にさっぱり、すっきりしていてよろしいですね。サンドウィッチは、オープンでもクローズドでも何でも美味しいです。のせる、はさむ材料に不可能なものはないのではという楽しみがあるのは格別です。『食事』の場というとても重要な場で、美味しさに感動するだけでなく、人と心が通い合い、心をときめかす何かがある、そういうお店は素敵なお店ですね。

良いお年をお迎え下さいませ。


2013/12/25 (Wed) 17:12 | Alpes #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

つばめさん、こんにちは。私にとって食べ物屋さんの存在は大きいのです。行く先々に気に入りの店を一軒くらいは見つけます。そしてその店に行きたいがためにもう一度町を訪れるなんてこともたまにあります。
言葉は素敵です。言葉を使って人と交わるのが好きです。> すきな街に、すきな食べ物屋さんがあると心強いし、楽しいですね。それが決して完璧でなくても、共通の言葉を使って伝え合うことができるのはやはり素敵以外の何物でもありません。しかし数少ない外国旅行でカタールの名が出てくるとは。私はボローニャに暮らしたらどんなに沢山のヨーロッパの町を訪れることができるだろうと思っていましたが、実際は片手ほどの町しか知りませんよ。

2013/12/26 (Thu) 01:16 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

Alpesさん、こんにちは。もしこの店が長居できる類の店だったら、これほど魅力を感じなかったかもしれません。何かこう、潔いと言うのでしょうか。店員も客もてきぱきとしていて気持ちが良い、というのが印象です。それから相席というのも楽しいです。ここに座っていいですかと訊けば、必ず勿論よ!と返事が返ってきます。だから私もそう訊かれれば、勿論ですとも!と答えるのです。そんな店だから隣のテーブルの人とも話が弾む。隣のテーブルの4人家族はどうやら地元の人らしく、クリスマスショッピングの途中の休憩のようでした。沢山買い物をしたんだよ、とお父さんが紙袋をいくつも見せてくれました。楽しいひとときとなりました。

2013/12/26 (Thu) 01:23 | yspringmind #- | URL | 編集

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