ヴィエンナの男

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12月21日、土曜日。ヴィエンナはボローニャのように湿度が無いから、などと私は思い込んでいたらしい。実際は雨も降らなかったのに路面がじっとり濡れていて大した湿度の高さである。路面も濡れていれば路上駐車した車の表面も濡れていた。これが此処の冬らしく、此れについてあれこれいう人すらいない。皆慣れているのだろう。それにしても朝から太陽が出て気持ちがよい。私は朝食を簡単に済ませると元気よく歩き出した。1番のトラムが私を追い抜いていく。此れに乗っていけば3分と掛からずに旧市街にいける筈だが敢えて歩くことを選んだのは、何年ぶりかに歩くこの通りの路面を踏みしめながら散策を堪能したかったからだ。見慣れた教会の前はもみの木で賑やかだった。どうやらもみの木を売っているらしい。近所の人が徒歩でやって来ては、好みの大きさと形のを選んで持ち帰る。その様子が珍しくてしげしげと眺めていたら、おじさんがもみの木を指差しながら何か私に呼びかけた。一本買わないか、と言っているらしい。私は首を幾度も振って買う気がないことを示すと手を上げて挨拶するなり再び歩き出した。その先にはちょっとした橋があって、その向こうは環状道路、そしてその先にはリンクと呼ばれる旧市街を取り囲む道路。もう何年も前に数日居ただけなのに何も忘れていないことを嬉しく思った。

オペラ座の前でトラムに乗った。かと言って目的地があったわけではない。気に入った場所で降りればよいと思っただけだ。市庁舎の近くでトラムを降りた。クリスマスの市で賑やかそうだったから。それでいて其処には行かずに反対方向に歩き始めたのは、向こうのほうから大きな男が歩いてくるのが見えたからだった。黒い毛皮で誂えた頭と耳をすっかり覆うような帽子を被っていた。映画の中のロシア人がよく被っているようなものだった。そして黒のオーバーコートは膝まで隠れるような長いもので、そうでなくても長身の彼を益々大男に見せた。もうすぐすれ違うと言う距離まで近づいたとき、男の顔を見た。深い皺が刻まれた乾いた皮膚。髪はもう銀色で、年の頃は70から80といったところだろうか。しかし年老いた風ではなかった。ゆっくりと歩くその様子は力強くて、単なる大男と言うよりは大物軍人とか、アンドロイドとか、それとも秘密組織の秘密の男とか、一筋縄ではいかない印象の男だった。私はすれ違いざまに何か秘密が書き記された紙切れを黒いコートのポケットからさっと取り出して渡されるのではないかと震えながら、しかし男が酷く気になって目を離すことが出来なかった。しかし男から何を渡されることも無く、そしてただの一度たりとも私を見なかった。何か世間から背を向けているような感じがしてならぬ男だった。何しろ大男で足が長いので、男はあっという間に遠ざかっていった。それもまた私には何か隠し事をしているかのように思えて、男が見えなくなるまで目を離すことが出来なかった。彼は多分、いつもこんな風にして人から見られているのかもしれない。それとも私の想像力が逞しすぎるだけなのだろうか。

天気はよいが気温は一向に上がらなかった。気温は1度、2度といった具合で、息を吐くたびに白い煙が上った。手袋をしていても手がちぎれそうなほど冷たかった。途中で道に迷った。路地から路地へと渡り歩いていたからだ。地図を広げてみたが分からなかった。と横から声を掛けられた。黒いフェルト帽を被って紫色のマフラーを首に巻いた老紳士だった。君は道に迷いましたね、と英語で声を掛けられたのだ。その言い方が実に威圧的だったので私は一瞬気を悪くしたが、こんな誰も居ない場所ではそれすら天からの救いだった。彼は私の地図を眺めながら、なんてつまらない地図を持っているのだと文句を言い、しかし苦労して現在地点を教えてくれた。そして言った。君は運がいい。今日はこんなに暖かいから散歩には最適だ。昨日までの寒さと言ったら! 外など歩いている場合ではなかったよ。それだけ言うとあっという間に何処かへ行ってしまった。ひとり残された私は彼の言葉をなぞるようにして言ってみた。今日はこんなに暖かいから散歩には最適だ。昨日までの寒さと言ったら外など歩いている場合ではなかったよ、とは。私はヴィエンナの冬をなめて掛かっていたらしい。そして気温を上げてくれた太陽の光に感謝して、日向を日向をと選びながら歩いた。

ヴィエンナは不思議な町。人もまた不思議に包まれている。私は益々ヴィエンナの魅力の溝に嵌っていく。


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コメント

yspringmindさん、こんにちは

そうそう、ヴィエンナ、ヴィエンナ!!

私も、20代の頃

ユーロパスを使って、鉄道でウィーンを訪れて

何度、トーマスクックの赤い時刻表を睨みながら

ヴィエンナと、無意識に口ずさむ・・・

あ~、ちょっと思い出して切ないです^^;

もう、クリスマス

1年が、早いですね

素敵なクリスマスを、お過ごしください^^

2013/12/23 (Mon) 23:44 | 高兄 #eP1cGWnA | URL | 編集

良い旅になりそうですね。
yspringmind さんの感じるヴィエンナの魅力、私も楽しみにしています。
寒さには気をつけて、素敵な休暇をお過ごし下さい。

Auguri e Buon Natale !

2013/12/24 (Tue) 14:52 | camera-oscura #wLMIWoss | URL | 編集
Re: タイトルなし

高兄さん、こんにちは。
タ兄さんもヴィエンナへ行かれましたか。20代の頃に鉄道に乗って? トーマスクックの時刻表をにらみながら? いいですね。それはいい思い出ですね。ヴィエンナという響きがそれを思い出させましたか。是非また旅に出かけてくださいよ。
それにしても一年の早いこと。最近は超特急並みの速さに感じますが、それは年齢と正比例しているのかもしれません。高兄さんはまだ急行くらいでしょうか。素敵なクリスマスをお過ごしくださいね。

2013/12/24 (Tue) 18:29 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

camera-oscuraさん、こんにちは。実はもう帰ってきました。クリスマスは家族と過ごさないと問題あり、ですからね。しかし大変良い旅でした。こんな風に自由に飛び出せる事由があることを感謝しています。素敵なクリスマスをお過ごしください。また近いうちに会いましょう。
Buon Natale.

2013/12/24 (Tue) 18:32 | yspringmind #- | URL | 編集

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