骨董品市

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週末の雨が延期になったらしい。諦めていた土曜日の散策だったが空が晴れているので飛び起きて身支度をするなり外に出た。しかし空が晴れているのはボローニャだけなのかもしれなかった。南の丘のほうを眺めると霧に白く煙っていたから。

11月にしては案外温暖。街を歩く人たちはまだトレンチコートに薄いスカーフという装いだ。Via Santo Stefanoの途中でバスを降りたのはある店のショーウィンドウを見たかったからだ。店はガルガネッリという名のバス停のすぐそばの、高級骨董品店だ。置いてあるものも高級だが店の人の装いもまた高級で、敷居が高くて中に入れない。私はもっぱらポルティコの下に佇んでガラス越しに眺めるだけ。私が見たかったのは金の装飾品だった。幾つもの小さな動物が鎖のところどころに組み込まれている遊び心いっぱいの金のネックレス。先日入り口の右手側のガラスケースの中にそれを見つけたのだ。手の込んだものだった。私がいくら欲しくなっても手が出ないこと間違いなしだった。あら、素敵ねえ。そんな風に思いながら通り過ぎたが、私は自分で思っている以上にそれを随分と気に入ったらしく、ここを通るたびに足を止めてそれを眺めるのが習慣になった。いつか誰かの手に渡るであろうそのネックレスを一度でも多く眺めたいと。しかし怪しまれない程度に。気に入りのネックレスがまだあることを確認すると、私はまた歩き始めた。目的地は七つの教会群の前に広がる月に一度の骨董品市。前回の市からもう4週間が経ったのかと驚きながらポルティコの下を歩いた。今回も骨董品市は大盛況。心なしか出店も多いようだ。冷やかすだけの人が半分。残りの半分は気に入りを見つけて値段を交渉する人たち。こんなものを購入する人はいるのだろうかと常々思っていた16世紀の家の装飾品。この近くに暮らしている風のご婦人が一番幅の広いところが何センチかと訊ねている。1メートル20センチならばいいけれど、それ以上だと置きたいスペースに収まらないからと言いながら。店の人がその幅を図り1メートル20センチ弱だと述べると、ご婦人が値段交渉を始めた。ご婦人は本気らしい。聞き耳を立てていて聞こえたのは私のひと月の税込の収入と同じ値段だった。私はほんの少し気落ちして、その場を静かに離れた。兎に角人が多い。人と同じくらい犬も多かった。行き交う人々のお洒落を横目で眺めながら私はぐるりと一周して、少し疲れたところで少し先の気に入りのバールに入った。ここのカップチーノが一番好きだ。洒落っ気はないが兎に角美味い。そこで10分ほど休憩してからもう一度骨董品市に戻った。私が気になるのは絵画。大きくて人の目を引くような絵画は他の人に任せておいて、私はひたすら埋もれた芸術の発掘だ。それらは絵画ばかりを置くような店よりも何故だか古本を置く店に存在することが多い。随分前にもそんな風にしてリビエラ辺りの海の様子を描いた素敵な絵に出会って購入した。あれ以来、私の感覚をひどく刺激する絵画には出会っていなかった。一時間も歩いて回ったが何の出会いもなく、諦めて市から離れようとした時に視界の片隅に入った。両手を縦に並べたくらいの大きさの、雪が積もる冬景色だが見る者を温かい気分にさせる絵だった。板に描かれた油絵を手に取り、店の人に訊ねた。50年代の絵だそうだ。無名だがとても良いと店の人は付け加えた。絵とは面白いものだ。世間には名の知れた画家の絵はどれも此れも素晴らしいと手放しに褒める人もいるけれど、私はそうは思わない。心を動かすような絵でなければ。いくら名が知れていたって見る人の心にタッチしなければ価値がないと同然なのだ、私には。無名でも心を動かす絵は大変な価値がある。私はしばらくその絵を眺めてから値段の交渉に入った。まあ、交渉といっても元々の値が35ユーロなので交渉の余地もなく5ユーロだけ引いて貰ってそれを獲得した。もうすぐやって来る自分の誕生日の贈り物だ。無造作に新聞にくるまれた絵を受け取ると私は嬉々として歩き始めた。
家に戻って新聞紙も解かずに背の低い箪笥の上に置いておくと、相棒が目ざとくそれを発見した。これはどうしたんだい、と訊く相棒に先ほど七つの教会群の骨董品市で購入したと言うと、よくやったと褒めてくれた。そしてこれに合う額縁を調達しなくてはねと酷く乗り気だ。あまりに気に入った様子に、いや、これは自分の誕生日の贈り物で、と言いそびれてしまったが、まあ、宜しい。同じ家に暮らしているのだから。それにしても気に入った絵が身の回りにあるって何て素敵なのだろう。つまらないことも沢山あるが、この絵を眺めながら楽しく生活できそうだ。

次の骨董品市はまたひと月先。人々の装いも冬のオーバーコートとブーツになっているに違いない。


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