葡萄色

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夜明け前に雨が降ったらしい。目を覚まして窓の外を眺めると路面が黒く濡れていた。ああ、また雨なのかとため息をつく。覚えているだけでも5日は続けて雨が降っているはずだった。私は雨降りと同じくらい又はそれ以上の日数を寝込んでいて、すっかり意気地がなくなっていた。いったい何時からこんな風に病が治りにくくなったのか、と。ひょっとしたら此のままずっとこんな風に寝たり起きたりの生活になってしまうのでじゃないか、と。黒い路面を眺めながらすっかり暗い気持ちになった私は、半べそをかきながらもう一度ベッドに潜り込んだ。再び目を覚ますと空が晴れていた。いや、正確に言うと向こうの空が晴れていた。私の頭上にはおどろおどろしい灰色の雲が佇んでいるにしても、風に押されてそのうち青空になるらしかった。窓を開けると生ぬるい風。ついこの間までの冷たい北東の風ではなく、南西からの風だった。

人が働いている平日のこんな時間に遅い朝食をとるのは愉しく、同時に少し後ろめたいような気がする。病なのだから仕方がないが、そんな風に後ろめたく思うのは自分がまだ多少なりとも真面目な証拠だからだと気づく。もっぱら周囲から不真面目と窘められるこの頃だけど、いやいや、まだ私は多少なりとも真面目なのだ、と気をよくした。空になったコーヒーカップと銀色の小さなスプーンを洗っていたら目に入った、葡萄色の小さなキャンドルホルダー。もう15年ちかく私の元にある、女友達からの贈り物。

女友達との出会いは22年前、アメリカの海のある町だった。私よりも先にその町に暮らし始めた彼女は色んなことを知っていて、色んな人を知っていた。小さくて若くてエネルギッシュな彼女。私とは日本人である以外あまり共通点はなさそうだったがそのうち私たちは話をするようになり、互いの家を行き来するようになった。シックで有名な少し離れた界隈から私のアパートメントから歩いて5分とかからぬ場所に彼女が引っ越してきたからだ。この街で私たちが一緒だったのは僅か1年だった。彼女はまるで当り前なように日本に帰って行ってしまったから。大体私のように帰る予定がない外国人は私の周囲にはあまりいなかった。彼女が帰国して3年もすると私もボローニャに引っ越した。あれ程好きだった町を離れて大丈夫なのか、と彼女や様々な友人に心配されながら。そうしてボローニャに暮らし始めたら案の定難関ばかりが前に立ちはだかっていた。それに辟易してローマに仕事を得て飛び出し、再びボローニャに戻ってきたら新たなる難関にぶつかり、私はすっかりへこんでいた。そんな時期。時々小さな郵便物が届いた。それはあの彼女からで、時にはお菓子が、本のコピーが、そしてある日このキャンドルスタンドが届いたのだ。実にあなたらしいと思った、との言葉が添えられていた。片手くらいの大きさで金属の骨組みに透明の葡萄色の大きなビーズが施されていた。それを見て頷いた。ああ、彼女は今も覚えているのか、と。私はあの町に暮らして少しすると言葉のことで少し落ち込み、しかしある日決心するかのように思い悩みを捨てたのだ。その印にピアスの穴をあけた。ピアスの穴をあけるのはごく簡単で、2分とかからなかった。料金もたったの5ドル。私は有頂天だった。それから半年も経たぬうちに貯金の底がつき始め、ずっと探していた仕事も見つからず全く途方に暮れていた。一度日本に帰って出直そうか。でも一度帰ったら再び出てくるのは難しいに違いなかった。かといってこのままで居るわけにもいかず、ため息がついて出た。ある日の夕方、私は気晴らしに歩いていた。洒落た店が立ち並ぶ通りで、女友達たちとウィンドウショッピングを楽しんだ通りだった。あれはどの店だっただろう、間口の小さな店で小物ばかりを山ほど並べていた店。そこで好みのピアスを見つけた。耳穴に引っ掛けるワイヤースタイルのピアス。長さは3cmほどで葡萄色のビーズがいくつも連なったもの。私は一目で気に入り、もうすぐ日本に帰ることになるであろう自分への思い出の品のつもりで購入した。それをつけて友人たちに会うと誰もが褒めてくれた。とても私らしいとの評判だった。だけどそれを購入した理由を言うと、私がここを去れる筈が無いと言って誰もが笑った。そのうちのひとりが彼女で、誰よりもこのピアスを気に入り、誰よりも私がその町を離れられる筈が無いと言って首を横に振った。果たして私は町を去ることなく、知人のそのまた知人の紹介で数日後に仕事を得た。ああ、それにしても。彼女は同じような色合いの似たような印象のキャンドルスタンドを東京の何処かの店先で見て、私に贈ろうと思ったのだろう。私はキャンドルスタンドを窓辺に置いて時々あの頃のことを恋しがった。あれから幾度も引越ししては行方不明になり、少しすると思い出したように出てくる。キャンドルスタンドは今、キッチンの奥に横たわる鼠色の大理石の上に置かれていて、中には灯されることのないだろう海老茶色の卵形の蝋燭。私はそれを眺めながらあのピアスは一体どうしただろうと考えた。結局私の耳は大した金属アレルギーで、そのうち否が応でも穴をふさがねばならなくなった。それで手持ちのピアスは身近な人たちに譲った筈だけど、あのピアスは一体誰に譲っただろう。

懐かしいことを思い出した。毎日眺めていても思い出すことはなかったのに。少しメランコリーになってしまう。

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コメント

ピアス   

中学 高校と厳しい規則の中 いろんな事にチャレンジした青春時代
ピアスだけは 大学入学の時・・・っと

その思いを胸に  ようやく ピアスをあけられる日が来ました

しかし あける時 かなりの勇気が必要でしたね~
小心者だと つくづく思えた時でもありました

それまで 厳しかった父が「何悩む? あければよい」の一言で
次の日に パパパ~っと あけたピアス

あれから あと何年かで30年

いまだに 右側だけが 違和感があります

何故かしら~?


追伸
今日は 久しぶりの休日
・・・だったはずが、夜 急に仕事場へ行くことになり

こちらに お邪魔したら、癒されました~

2013/10/11 (Fri) 07:11 | 春風 #jgTtIlIo | URL | 編集

読んでいるうちにその友だちの素敵さにひきこまれました。いつか私もたくさんの友だちを
思い出しながら暮らすことになるのでしょうか。ミュンヘンにきて同じ時間を過ごした友達が
日本に帰国してしまいそうです。仲が良かった中でミュンヘンにきて初めての別れな気がします。
いつも私が先にその土地を離れてしまっていたので。

2013/10/12 (Sat) 00:27 | ineireisan #pNQOf01M | URL | 編集
Re: タイトルなし

春風さん、ピアスしましたか。私の家はなかなか厳しく刺青とピアスは絶対ダメ、いや、そればかりでなく様々な規制があったのです。それでピアスは家を出てからとなりました。お父様、話が分かりますね。そうなのです、悩むくらいならやめたほうが良くて、私の場合は全くの不安も迷いもなく開けたわけです。しかし、金属アレルギーだったとは、当の本人も知りませんでしたよ。残念でした。
春風さんはお休みの日も仕事へ出たりするんですね。それはお疲れ様でした。仕事を沢山すると同じくらい、人生も満喫しましょうね。

2013/10/12 (Sat) 23:43 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

ineireisanさん、こんにちは。私は良い友人に恵まれたと思います。友は財産ですね。その分、そんな友が遠くに行ってしまうのはひどく寂しいものですね。でも、良い友は離れていても形を変えて繋がっているものです。私と友人は22年たつ今も大の仲良し。私はボローニャに、友人は今はオスロに居て遠く離れているにしても、会えば毎日顔を合わせているみたいに感じます。ineireisanさんとお友達も、形を変えて長いお付き合いができるといいですね。

2013/10/12 (Sat) 23:54 | yspringmind #- | URL | 編集

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