桃とポルチーニ

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今暮らすアパートメントのテラスは南西と北東に備え付けられたふたつを合わせても以前住んでいたピアノーロの家のテラスの半分にも及ばない。それは仕方のない話した。あれはあの辺でも数少ない広いテラスで、そもそもあの家に決めたのもテラスが目的だったのだから。あのテラスは庭のないうちにとってみれば地面でこそないけれど、庭と同じ存在だった。そのテラスの中でも一番日当たりが良くて風通しの良い場所に金木犀を置いていた。今頃になるといい匂いを放ち、テラスへと続く大窓を開けるのが楽しみでならなかった。その金木犀の鉢は引っ越しの中で一番厄介な存在であった。のびのびと枝を広げていた金木犀。さんざん悩んだ挙句、このまま置いて行こうと相棒は言ったが、宥めすかして説得して、最後は無理やりお願いしてボローニャに連れてきた。今金木犀はアパートメントの敷地の一角に置かれ、太陽をふんだんに浴び、緩い風にそよぐ。あの時そんなことを言ったのも忘れて、相棒は言う。いい匂い。今年は花を沢山つけて今までになくいい匂いだ、と。そして人が匂いに誘われて訪れるたびに解説する。これは僕の妻の木でね、金木犀と言うんです。イタリアにはあまりないんですよ。ひどく自慢げな相棒を横目で見ながら、私は笑いが零れて止まらない。この木は本当に人気者。そういう私も大した自慢げなのだけど。

9月下旬ともなると晩が早くやって来る。勿論それも冬に比べたら大したことではなく、だいたい仕事を終えて外に出る時間の空がまだ明るいのだから文句などはひとつもない。ただ思うのだ。確実に夏は終わって秋になったこと。時々驚くほど暑い日があるにしても。私の大好きな桃も時期に青果店から姿を消すだろう。それと入れ替わりに艶々の栗が登場して、それからポルチーニ茸が恭しく籠の上に並べられるのだ。私がローマ生活に終止符を打ち相棒の元に戻って再びボローニャに暮らし始めたのはこんな季節だった。後にしたローマの午後はまだ暑くて、長袖など来ている人は誰もいなかった。それなのにボローニャときたら半袖姿は探すほどしかなくて、ここが北に位置していることをそんな形で感じたものだ。私たちがアパートメントを借りたのは旧市街から歩いて10分ほどの場所だった。バスも頻繁に通っていたが雨の降らぬ日の昼間は歩くほうが好みだった。家の近くには小売店が連なっていて、旧市街とは反対方向にあるコープへ行かずとも大抵のものが手に入った。姑は小売店で買い物する私にそれとなく言うのだ。高いのにとか、何とか。でも私は小売店が好きだった。何故なら買い物するのにいやでも言葉を交わせねばならなかったからだ。それからいいものが並んでいる。野菜にしても果物にしても。それからその数年後に店を閉めてしまった鶏屋さんの肉、そして卵。そんな新鮮で味の濃いものはコープでは見つけることができなかった。鶏屋さんの他に私には贔屓の店があった。青果店でバスの停留所背後にあった。いつも人が順番を待っていた。だから自分の番が回ってくるまで10分も待たねばならなかった。待つのが嫌いな私がそれでもじっと待つことができたのは、この店の青果が驚くほど美味しいからだった。待つ価値あり。長く待たされてうんざりした時は、そんな言葉を思い出して、もう少しの辛抱だからと自分を宥めたものだ。ある秋の日、店の中に幾種類もの茸が並んでいた。ひとつは日本のシメジによく似ていて、ひとつはえのきに違いなかった。そしてポルチーニがあった。自分の順番が回ってくるなり店の人に質問した。これはポルチーニでしょう? すると髪の短い店の娘が大きな目を更に大きく開いて、そうよ、と答えた。色んな食べ方があるわよ。パスタに絡めるのもおいしいし、網でそのまま焼くのもいいけれど、私はやはり衣をつけてからりと油で揚げたのが好き。彼女はそんな風に調理方法を教えてくれた。私は彼女が言った油でからりと揚げるポルチーニをどうしても食してみたくなり、思い切って大きいのをひとつ購入した。ほら、いい風味でしょう?店の娘がそう言いながら、柔らかな紙につつんでくれた。あの晩のポルチーニはとびきりだった。聞きかじりのまま試してみたポルチーニを揚げたもの。いうなれば天ぷらだけど、衣が薄いので天ぷらとは少し違う。サクサクした歯ざわりはちょっと言葉では表現できない。結局私たちはあのアパートメントに10年暮らし、そしてピアノーロに移った。必然的に私はあの店に行くことはなくなり、店のことも彼女のことも思い出すこともあまりなく7年ほど過ぎた最近、あの界隈に用事があって店の前を歩いていたら小さな店内できびきび働く彼女と目が合ったすると客の注文の林檎を袋に入れる手を休めて言ったのだ。あら、あなた、覚えているわよ。急に姿を見なくなったから故郷に帰ってしまったのかしらと思っていたのよ。元気そうねえ。私を覚えていたとは驚きだった。それはね、あなたが家で唯一の日本人客だったし、それにあなたくらい桃が好きで桃が出回り始めてから終わるまで買う客はいなかったもの、そりゃあ覚えているわよ。それに10年くらい通ったでしょう、うちの店に。私の驚きの顔を見て彼女がすかさずそう解説した。私は思わず、あっはっはっと笑い、彼女も店の奥にいた彼女旦那さんも笑った。また時々立ち寄ってよ、と言って手を振る彼女に、うん、また近いうちに来るわ、と答えて立ち去った。それにしても私の桃好きをこんなところで覚えている人がいたとは。ふーん、それにあの店、今も繁盛しているのね。近いうちに立ち寄って、そうだ、奮発してポルチーニでも購入することにしよう。


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コメント

素敵な話。本当に人とつながるのは難しいね。。

2013/09/28 (Sat) 09:31 | inei-reisan #pNQOf01M | URL | 編集
Re: タイトルなし

inei-reisanさん、こんにちは。人と繋がるのは難しいです。簡単に出来る繋がりは壊れやすいです。だからこそ人間付き合いは奥深くて面白いのかもしれませんよ。

2013/09/29 (Sun) 19:17 | yspringmind #- | URL | 編集

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