言葉の魔法

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9月が好き。9月という響きが好き。9月という言葉には爽やかな色が良く似合い、ほっと安堵の溜息をつかせるような感じがある。それから9月の気候もよい。少し前までの蒸し暑さは無く、剥きだしになった腕が一瞬涼しすぎるときすらある。涼しげな木綿のシャツに長袖のカーディガンを羽織って、足元は勿論ナイロンの靴下など履かずに素足によく馴染む柔らかなモカシン。まだ足首が少し見えるような丈のパンツスタイルで街を歩くのが丁度良い。ああ、一年の半分以上がこんな気候だったら素敵なのに、と昔はよく思ったけれど、しかし季節があるというのも良いものだ。強い陽射しの暑い夏があるからこそ、9月の有難さが身に沁みる。9月の素敵さを満喫できると言うものだ。そんなことが分かるようになったのだから、私も少しは精神的に大人になったに違いない。携帯電話に音声メッセージが入っていた。どうやら私が電話の呼び出し音に気が付かなかったらしく、電話の主がメッセージを残したらしかった。それはボローニャ旧市街の、最近気に入りの衣服の店からだった。実にシンプルなもの、あっさりとしていて、一瞬そっけなさ過ぎるようなものばかりをより好んで揃えているような店だ。一年前のいつだかに開店して、そのそっけなさが思いのほか受けたらしく、今時の不景気にしては客入りのよい店である。それから価格がまた素敵。こういう店があると本当にありがたい。勿論、私には他にも幾つかの気に入りの店があるけれど、夏や冬のサルディを利用せずに気軽に購入できるのはこの店くらいなのである。それで音声はこう言っていた。“取り寄せ予約していたカーディガンが入荷しました。濃紺のシルクのカーディガンのことです。”私はそれを聞きながら実は別のことを考えていた。

数日前の夕方に立ち寄った、久しぶりのフランス屋の主人との話。それは少々疲れた夕方で、早く家に帰りたいような、しかし喉が妙に渇いて、でも水や炭酸水なんてものではなく、そうだ、スパークリングワインを飲みたい、と思いついた夕方だった。フランス屋は夏休みから戻って間もなくで、店の人達もまた半分くらい夏休み気分が抜けない様子だった。外のテーブル席はまだ半分も埋まっていなくて、仕事も生活もゆっくり始めましょう、みたいな空気が漂っていた。店には居ると店主がいて、夏休みは楽しかったかと私に訊いた。楽しかった、もう少し日本に居たかったと答えながら、そうだそれが本心だったと改めて実感した。このくらいで丁度いい、なんて11日間の短い帰省を正当化していたが、いいや、もう少し居たくて後ろ髪を思い切り引かれながら帰ってきたのだ。私は店主に爽やかなスパークリングワインを注文した。店主は冷えたボトルを引っ張り出して栓を抜くと、足の長いシャンパングラスにそれを注いだ。頂いてみると爽やかで華やかで、性格のさっぱりした余裕のある大人の女性のような印象だった。それを店主に伝えると、面白い表現だと喜んでくれて、そばに居たほかの客が自分もそれを頂きたいと注文した。店主は自分のグラスにも少し注ぐと、成程、と頷いて笑った。余裕のあると言うのはどんなことかと訊かれたので、金銭的な余裕でもあり気持ちの余裕でもあり、少々のことにはたじろきもしない、いや、内心焦っても涼しい表情で微笑むことが出来るような余裕だと答えると、益々面白いと言いながら、その続きを話して欲しいとせがんだ。だから私はこの続きは無くて、ま、そんな女性になれたら素敵なんじゃないかなと思ってと告白すると、皆が声を上げて笑った。そうだね、そんな人になれたら素敵だね、と。私たちが頂いたのはプロセッコとシャンパンの中間くらいの白ワインだった。でも、シャンパンと言われて出されたら、素敵な口当たりのシャンパンだと、誰もが口をそろえて言ったに違いなく、言葉とは魔法のようだと思った。

ところで例のカーディガンは実際はシルクではなく、シルクと綿が半々のカーディガン。此れも言葉の魔法。確かのシルクのカーディガンと呼ぶと素敵なのだ。


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