哲学、みたいなもの

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陽射しは強いし気温も高いが、気持ちの良い風が吹き渡る土曜日。首元を涼しい風が通り抜けるたびに私はほっと小さな溜息をついた。一体何時から暑さに弱くなったのだろう。子供の頃は夏が大好きで、人々が昼寝をしている暑い盛りに家をこっそり抜け出して原っぱを走り回っていたのに。十代後半になっても夏が大好きだった。暑ければ暑いほど好きだった。雨が降って一瞬気温が下がったりすると、夏の一瞬を無駄にしてしまったようにすら思えたのに。あれから随分年月が経ち、そんな夏の暑さが苦手になった。と言っても、冬が苦手なのは子供の頃からかわりが無い。単に体力が低下したと言うことだろう。そんなことを考えながら近所のクリーニング屋さんへ行ったら、驚くほどの猛暑が待っていた。今日は特別暑いわねえ、と言いながら店の奥から女主人が出てきた。違う違う、特別暑いのはこの店の中なのよ、と答える私に、彼女は大笑いした。ああ、そういえば今日はそこの窓を開けるのを忘れていたわ、と言いながら。私は早々に用事を済ませて店から脱出した。3分も居なかったのに大汗をかいてしまった。ああ、びっくりしたと言いながら私は丁度やって来たバスに乗って旧市街へ向かった。

いつもはバスや車が走る大通りも週末は通行止め。人間が大腕をふって歩ける日だ。犬を連れた若者たちや子供をつれた夫婦者、旅行者、買い物を楽しむ人達が満ち一杯に広がって歩いていた。と、すれ違った人が足を止めて私の名を呼んだ。振り返ってみると知人で、小さなふたりの男の子を両手につないで立っていた。まあ、久しぶり。と言いながら一体どのくらい久しぶりなのだろうかと考えた。上の男の子が生まれて以来である。訊けばもう5歳だそうだ。そんな実感は無かったのに、どうやら5年もの年月が経っていたらしく、年月が経つ早さを痛感した。確実に歳を取っているはずなのに、私に其の実感はあまり無いのは子供が居ないからかもしれない。知人は子供の成長を見ながら年月が過ぎていくことを実感するのかもしれない。知人と挨拶を交わして再び歩き始めながら私はそんなことを思った。そういえば、私の中は昔からちっとも変わっていない。拘束されない生活を求めて、自由な発想の受け入れを求めてアメリカへと飛び出したあの頃と少しも変わっていない。それを私は嬉しく思う。私の中の大切な部分。お金で買うことの出来ない私の大切な哲学、みたいなもの。歩きながらもうひとつ思い出した。あと2週間で夏の休暇になると思っていたら、まだ3週間も先だったこと。昨日仕事仲間に諭されて、酷くショックを受けたら笑われた。2週間後に休暇に入るのは僕。君にはまだ3週間あるじゃないか、と。そうだったのか。がっかりだが仕方が無い。もう少し頑張ることにしよう。

それにしても街の景気の良いこと。不景気で定価でものを買わなくなった市民が、夏のサルディを待っていましたと言わんばかりに買い物をしている。そんな人々もあと少しすれば街を脱出して、旧市街は昨夏のようなもぬけの殻になるのだろう。それも良い。それが実にボローニャの夏らしいと言うものだ。そう、あと3週間。そうしたら私もボローニャから脱出だ。


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