思い出したこと

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何時までも熱が冷めない木曜日の夕方。蝉ががむしゃらに鳴く夕方。でも一日がもうすぐ終わろうとしているこの時間が好き。たとえ涼しい風が吹かないにしても。もうすぐ21時になるが何しろ空が明るいので晩という感じが全然しない。だから夕方と私は呼び、こんな明るい空の夕方が何時までも続けばよいと願う。一年で一番日が長い時期だ。多分22時にもなれば空が暗くなるに違いない。こんな夕方はテラスに椅子を持ち出してのんびりと風に当たるのがいい。ワイングラスに注いだ冷えたスパークリングワインを少しづつ口に含みながら、木の枝が風にそよぐ音に耳を傾ける。私はそんな夕方が好きだ。もっとも今のアパートメントはテラスが存在しないから、そんな夕方が好きだった、と過去形で言うのがよいだろう。しかしそれも今週一杯で、来週になればそんなテラスで過ごす夕方が再び実現する。幸運だ。全く幸運だと思う。

最近、思い出したことがある。私がまだ子供だった頃のことで、私たち家族が郊外の家に住んでいたころのこと。東京の街中から引っ越してきた姉と私には長閑すぎて時間をもてあましてしまいそうだった。しかしすぐに姉は新しいことを家に持ち込んできて、私を夢中にさせた。4歳と7ヶ月年上の姉は、いつも私が考えてもいなかったことを教えてくれた。其のひとつがビートルズだった。ビートルズはすでに解散していたが、姉は夢中だった。学校の帰りに輸入レコードを手に入れたといって母に叱られていたようだけど、しかし母はビートルズを悪く思ってはいなかったらしく、そのうち皆で音楽を聴くようになった。姉はビートルズの歌詞を理解していただろうか。しかし何をさせても賢くて手っ取り早い姉は、まるで外国人のように音楽に合わせて歌っていた。すごいなあ。と私は横で聞きながら、全然意味が分からなくて少し残念だった。そして私を夢中にさせたものはビートルズだけではなかった。アメリカのラジオ局にダイヤルを合わせること。此れは長い間続いた。姉とふたりきりで午後を過ごした子供時代の夏休みが特にそうだった。宿題とか昼寝とか、そんな野暮なことは抜きにして、私たちはそれぞれのことをしながらラジオに耳を澄ませたものだ。あの午後、姉は何をしていただろう。私はといえば窓辺に置いた机の前に座って、時々風で膨らむレースのカーテンが額を擦るのを楽しみながら、手紙ばかり書いていた。遠に暮らす友達に。夏の一瞬に知り合った同じ年頃の人達へ。普段は会うことも出来ない、また来年の夏まで会うことが出来ない人達へ。

何時だったか、私がアメリカに居たころだったか、それともボローニャに暮らすようになってからか、姉が私に訊いたことがある。何故あなたは外国に暮らすようになったのだろう。なぜ外国を好きになったのだろう。何故外国語に関心を持つようになったのだろうと。あの時私はどう答えたか。幾ら考えても思い出せない。でも、今の私だったらこう答える。ねえ、お姉さん、それはあなたが外国の風を家に持ち込んだからなのよ。私はあの風で病に掛かってしまったのかもしれない、と。


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