半袖シャツと海辺の生活

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初夏になったと思ったら夏を迎えたボローニャは、驚くほど暑い。肩を出して歩く女性を見かけるたびに、ほんの少し羨ましい。昨年12月終わりに引越しをした際、夏物を丁寧にし畳んで箱の中に詰め込んだあの箱が見つからない。それでも少し前までは良かったのだ。薄い長袖でも何とか我慢できたから。しかしこうも暑くなっては我慢がならぬ。昨日も今日も箱探し。ああ、もうそろそろ見つかってもよさそうなのにと思いながら。今朝は驚くような快晴。窓から差し込む太陽の光で目が覚めた。いつもならもっと眠っていたいと言いながらもぞもぞベッドから抜け出すのに、今朝は暑いとぼやきながら起床した。窓を開けたら涼しい風でも入ってくるかと思ったが、外には一寸の風もなく、道行く人達の様子はまるで真夏のようだった。私は一番涼しいに違いない木綿の長袖シャツに白いパンツをはくと、すばやく素足にモカシンを履いて家を出た。旧市街へ行こう。何しろ昨日はイタリア中の交通機関がストライキで、金曜日と言うのに夕方の寄り道もせずに帰宅してしまったのだから。金曜日の夕方を楽しめなかったことを私はとても残念に思っていたのだ。昨夕の分まで散策を楽しもう、という魂胆だった。この素足にモカシンとも其のうちお別れだ。素足でサンダル。そうだサンダルがしまってある箱も探さなくては、と思いながら、ようやく来たバスに乗り込んだ。目を射るような強いイタリアの太陽の光。サングラスなしでは外を歩くことが出来ない。乗客のどの顔にもサングラスが掛かっていて、それらを眺めるのはなかなか面白い。昔、眼鏡店の宣伝でこんなことを言っていた。眼鏡は顔の一部。確かにそうだ。掛けている眼鏡が似合うかどうかで、それが素敵かどうかで、その人の印象まで変えてしまう。成程ねえ、と思いながら、そ知らぬ顔で人々の顔を眺める。

ボローニャ旧市街には沢山の旅行者がいた。何時になく活気があり、空から強い光を放っている太陽も驚いているに違いなかった。これがヨーロッパ最古の大学である旧ボローニャ大学でアルキジンナージオ宮・・・と説明する女性と彼女を取り囲むアメリカからの旅行者達の横を通り過ぎながら、うんうんと心の中で頷く。それなりに知っていることだけど、こんな風に人が説明するのを聞くのは大好きだ。時々、そんな説明の中に思いもよらぬ発見があったり、新しいアイデアが浮かんだりする。そんな時、人の言葉とは魔法のような効力があると思うのだ。アルキジンナージオ宮の並びの店の前を歩いては歩みを止め、ウィンドウショッピングを楽しんだ。もうじき夏のセールが始まるのだ。もう少しの辛抱だ。と自分に言い聞かせてみたが、観念した。暑い。半袖シャツを買おう。私は店に飛び込んで、あれと此れ、と注文して棚から取り出して貰い、ぴったりのサイズを選び出して驚くほどの速さで買い物が済んだ。我ながら速いと思ったが、店の人も驚いたらしい。決断が速いですね。褒め言葉にも聞こえるが、お客さん、買い物をするときはもう少し品質と値段を吟味しても宜しいと思いますよ、と窘められているようにも聞こえて少し恥ずかしくなった。良い買い物が出来た礼を言って店を出た。正午だった。其の足でカフェ・ザナリー二へ。昔のように通うほどではなくなったが、今でも時々気が向くと此処に来る。冷たいレモンジュースを注文して一息つく。右手に立ってカッフェを頂く若い女性がカウンターの中の店員と親しそうに話しをしている。どうやらこの近所に暮らす人らしく、この店が数年前ボローニャのコーヒーブランド“セガフレッド”に買い取られる前からの常連らしい。そういう客は沢山いる。買い取られたとは言え、店員は昔ながらの顔ぶれで、店内に置かれている菓子も昔と同じ。違うのは扱っているコーヒー豆だけと言っても過言ではないだろう。それで隣にいる若い女性だが、来週半ばから暫く街を離れるらしい。毎年同じで刺激はないけど、好きなのよ、サルデーニャの海辺の生活が。どうやらサルデーニャの海辺に家を持っているらしい。恐らく両親所有の家だろう。店員が言う。私からしてみたらサルデーニャの海辺と言うだけで充分刺激的ですよ。其の言葉に周囲の人たちが一斉に目を見開いて頷く。彼女たちの話に耳を傾けていたのは私だけではなかったらしい。実にイタリアらしく、実にボローニャらしいと思った。彼女たちの愉しいお喋りが終わり、グラスのレモンジュースがすっかりなくなったところで店を出た。暑い。彼女の海辺の生活が始まっても私の夏休みはまだ2ヶ月も先。しかし夏とはなんと解放的で気分が良いのだろう。長い冬の後の夏を満喫しておかなくては。夏の太陽を充分吸収しておかなくてはと、再び元気に歩き出した。


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