5月、雨の匂い

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外の寒さ。鼠色の空。ボローニャはひと月ほど逆戻りしてしまったようだ。雨が降っていたかと思えば空から眩い光が降り注ぐ。ああ、やっと良い天気が戻ってきたと胸をなでおろしたばかりなのに、外はまた雨。空は気が狂ってしまったのか。私たちはそんな空に左右されて薄着になったり厚着になったり。もうすぐ5月も終わるのだから、そろそろ初夏になってもよさそうなものだけど。

ボローニャに来て18年が経った。相棒にとっても私にとってもこの18年は長かった。様々なことがあって、脱走したい気持ちに何度も駆られた。だからまた一年頑張ったねと、この日と迎える度に小さなお祝いをするのが恒例で、今年もちょっとしたお祝いでもしようと考えていたのに、つい最近まで覚えていたのに、歯を抜いたことで今日まですっかり忘れていた。まともに食事を楽しめるようになったら、美味しい魚料理でも楽しみに行くとしよう。

18年前の5月は暑かった。アメリカから引っ越してきた私たちは家族のところに身を寄せることはなく、旧市街にある相棒の友人のところに転がり込んだ。理由は色々あったけど、あれはあれでよい選択だったと思う。友人は良いところのお嬢さんで、家族の大きな家がすぐそこにあるにも拘らず、大学に入るなり家を出て友人とアパートメントを借りて暮らし始めたのだそうだ。何故、と訊ねる私に自立したかったからだと言った。勉強しながらアルバイトをして生活費を稼ぎながら、小さな時間を見つけては勉強に励んだらしい。家族はそんな彼女に手を焼いたに違いないが、幾つになっても親から離れられない大きな大人が沢山居るイタリアだから、私はそんな彼女を大したものだと今になってそう思う。旧市街のアパートメントは床が大理石でひんやりしていた。外がどんなに暑かろうが家の中は快適で、そんな快適な家の中に居ると外の暑さが想像できず、外に出るなり大汗を掻く羽目となった。建物の古い扉をでて左手に道なりに歩いていくと左右に長い道が走り、そこを右に歩いていくとVia Santa Isaiaに辿り着いた。其処には小さな店が連立していて、私はひとつひとつが珍しくて僅か100mを歩くのに20分も掛かってしまうのだった。相棒にしても同じことだった。故郷といえど長いアメリカ生活から戻ってきた彼にとっても、全てが懐かしく、または珍しく、興味を引くものだったらしい。だから私たちは傍から見たら異国から来た旅行者に見えたに違いない。私たちは毎日のように近くの菓子店に通った。そこでカップチーノと小さな菓子を楽しむと、其の後は何もすることがなかった。その後の私たちの行き先はPiazza San Francescoで、教会の前に広がる広場に置かれた幾つかのベンチに座って今後のことを話し合った。日陰の下に置かれたベンチは先客の老人たちに占領されている為、私たちはいつも日当たりの良いベンチに座った。だから毎日のように陽に焼けて、人に会うたびに海へ行ったのかと聞かれた。面白いことに私たちは其れより先へ歩くことはなかった。少し行けばVia Ugo Bassiがあり、其の先の先には2本の塔があったのに。多分私たちは途方に暮れていたのだ。ボローニャへ行けば何とかなると思っていたが、現実は私たちが思うほど安易ではなかったから。大体、相棒ときたら生粋のイタリア人なのにイタリアの常識や習慣を全然覚えていなかった。私たちはボローニャに多大な憧れと期待を持ち過ぎていたのだろう。と、あの頃のことを思い出して笑う。そうだ、今だからこそ笑えるけど、当時は笑っている場合ではなかった。外国人が少なかったボローニャ。街を歩いているとじろじろ見られて居心地が悪かった。何を言っているのかも解らなければ、自分の言いたいことも表現できず、日に日に外に出るのが嫌いになった。そんな私に相棒と友人は心配して、今日はこちらへ、明日はあちらへと勝手に計画を立てて引っ張り出してくれた。そんな私だったことを、相棒は覚えているだろうか。人間とは変わるものだ。そんな私は何時の日か外へでるのが大好きになり、今はボローニャ市内に暮らしていることもあって時間を見つけてはひょいひょいと出かけていく。友人と約束をしたり、ひとりで散策を楽しんだり、知らない店に飛び込んで新しい知人を作ったり。良い変化だ。自分を褒めてあげなくちゃ。そんなことを相棒が聞いたら、いつも褒めてばかりではないかと言うに違いないけれど。でも、それでいい。自分を沢山褒めて、また頑張ろうと思えるのは良いことなのだ。

ああ、雨の匂いがする。また雨が降りそうだ。私たちの陽気な太陽は何処へ行ってしまったのだろうか。


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