宝石のような時間

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朝の雨が嘘だったように思えるような晴天。高く青い空には私をわくわくさせる白い入道雲。微風にゆっくり流されていく様子を眺めるのが子供の頃から好きだった。頭上の入道雲が北のほうに流されていくのを見届けると、頭上に次の入道雲が現れて其れをまた目で追う。私が好きだったのはそれだけではない。微風にそよぐ木の枝。さらさらと音を立てて葉が揺れると其の隙間から太陽の光が漏れてきらきら光る。地面に出来る木の影が美しく、ずっと眺めて居たかった。それから昼寝時に風に膨らむレースのカーテン。膨らんでは萎む其れはまるで浜辺に寄せる穏やかな波のようだと思った。昼寝が大嫌いだったから私は眠っているふりをして、実はそんなカーテンを眺めながら空想の世界をさまよっていた。そんな私を大人たちは空想好きな女の子と呼び、時には空想ばかりしていてと嗜めた。だけど私にはとても素敵な時間だった。心が静かになり、私を前向きな気持ちにさせたものだ。私にとっては宝石のような時間だった。あの頃で時間が止まってしまったら、どんなに良かっただろう。周囲の大人たちは別として、そんな私を理解してくれるのは父であり、母であった。あれから何十年も経ち、私はこんな遠くに来てしまった。でも、ちっとも変わっていない。私は昔から好きだった様々を、今も大切にしているのだから。

こんな遠くまで来て、しかも何十年も経っているのに忘れないことが沢山ある。其のひとつを先日思い出した。子供の頃に住んでいた家から歩いて15分も行ったところにあった場所。其処は数軒の店が寄り添うように営んでいて、母はよく私にお使いを頼んだものだ。私は確か5,6歳だったから15分も掛かったけれど、大人の足なら10分と掛からなかったに違いない。小さな私が籐の買い物籠をぶら下げて歩く姿は、傍から見れば滑稽だっただろう。しかし私ときたらお使いを頼まれたことで一人前の子供になったような気分だったから胸を張って歩くのだった。目的の店はお豆腐屋さん。バスタブほど大きな水槽が店頭にふたつあって、右の水槽には出来立ての豆腐が水に浮かんでいた。絹ごし豆腐と木綿豆腐。すき焼きの日は木綿豆腐だったが、大抵絹ごし豆腐を注文した。時には水槽の中にひとつも豆腐がなく、子供ながらしまったと思うのだが、店主が出来た出来たと言いながら奥から大きな豆腐を板の上に乗せて運んでくると、大きな四角いナイフでちょいちょいと切って袋に入れ、小銭と交換に袋を手渡してくれた。私はお豆腐屋さんが好きだった。豆腐の匂いが好きだった。さて左手の水槽だが、中には金魚が泳いでいた。小さな赤い金魚が幾匹も。すいすいと水の中を泳ぐ姿はとても素敵で、ずっと眺めて居たかった。お豆腐屋さんへ行くと帰ってこないと母が言ったことがある。うん、金魚が居てね。と言うと、母がお豆腐屋さんに同行して気に入りの金魚さんを数匹買ってくれた。そうして我が家に金魚がやって来た。ぴかぴかの新しい水槽の中で泳ぐ小さな金魚ばかり眺めている私に、外で遊ぶのも楽しいとか、オルガンの練習もしなくてはねと嗜めるのだった。そんなことを思い出してみると、私の子供時代はなんて幸せだったのだろうと思うのだ。勿論今も決して不幸ではないけれど、あの幸せはまるで穏やかな太陽の光や風に揺れてきらきら光る草のようだったと思える。私の大切な思い出。

さあ、準備しなくては。歯医者へ行くのだ。腐れ縁の親知らずに別れを告げるのだ。嬉しいようで怖い。正直言えばとても怖い。そうだ、歯医者の椅子に座っている間、あのお豆腐屋さんのことを思い出してみよう。のんびりした気持ちになれるだろう。


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