彼女のこと

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外の太陽。春の気配に誘われて窓を開けたら、冷たい風が吹いていた。南向きの窓から見える空は高く青く、こんなに楽しそうな色に溢れているのに。ふと思いついて北向きの窓から外を眺めてみたら黒い雲が空一杯に敷き詰められていて、風に乗ってゆっくりこちらに向かっているところだった。そうだ、明日はまた雨なのだ。ひょっとしたら昼過ぎから雨になるのかもしれない。此の不安定な気候は3月特有のもので別に珍しいことではない。しかしそれによる不調を訴える人は随分多く、たとえ春の始まりの象徴とは言え、一日も早く通り過ぎてくれればよいのにと私たちは願うのだ。

ボローニャに特別な思いがあるといえば嘘になる。かといって何の感情もなく仕方が無く此処に暮らしているというのでもない。きっかけがどうであれ長々と此処に暮らしているのは、それなりに受け入れているからであり、居心地の良い空間を自分なりに作り上げ自分の町になりつつあると言っても良く、だから時々人に君は何処の人なのかと訊かれるとボローニャと答えるようになった。イタリア国籍もなく、イタリアに一生居るかどうかも判らない。ボローニャ暮らしは私の長い人生のまだごく一部でしかないのに。そんな今日、彼女からメールが届いた。私が彼女と会ったのは随分昔のことだった。アメリカに暮らし始めてから数ヶ月たったころだ。彼女は若く、猫のように柔らかい豊かな長い髪を大切にしていた。私とはどんな共通点があっただろうかと今思い出しても思いつきもしないけど、兎に角同じ時代の同じ町で暮らしを共有していたというと良かった。あれは春のことだ。でも何月だったかは思い出せない。春の花が咲いていたとしか思い出せないからだ。彼女は私が暮らすアパートメントの近くのレジデンスに住んでいた。そんなこともあり時々路上でばったり会うことが多かった。ある日、直に日本に帰るのだと言った。嬉しいような淋しいような。自分でも良く分からない心境だといって彼女は笑った。此の町に暮らしたくて家を飛び出してきた私だったから、淋しいは理解できるにしても嬉しい気持ちは理解できぬと思ったものだが、あれは私があまりにも若かったからに違いない。私より幾つも若い当時の彼女のほうがずっと精神的に大人だったのかもしれない。彼女と最期に会ったのは彼女が空港に向かう朝だった。朝早いから見送りは来なくてもいい、と言っていたが早起きしてでももう一度会っておきたかった。タクシーに乗り込む彼女にまだ何処か出会おうと約束して、遠ざかるタクシーに手を振った。21年前のことだ。あれから私たちは時々思い出したかのように手紙を書いた。そして10年前、彼女は夢中になって働いて溜めた資金と共に長年したためていた彼女の夢を追う為にイギリスに渡った。夢を追って。其れは素敵なことだけど楽しいことばかりではなかったに違いない。私がアメリカでそうであったように。世の中がメールの時代になると私たちの連絡手段もメールになり、時々近況を交換するようになった。途切れてばかりの私たちの関係。出もまた思い出してはメールを書いた。今日、彼女から吉報が届いた。ようやくイギリスに定住する権利を得たというメールだった。10年間かけて自力で得たその権利を、私は彼女の為に嬉しく思いながらふと思った。いつか誰かが彼女に訊いたら、君は何処の人なのかと訊いたらば、なんと答えるのだろう。好きで好きで住み着いたその町を彼女は自分の町と呼ぶのだろうかと。

外の風。もう直ぐ降り始めるに違いない雨。無理がたたって扁桃腺が腫れてしまった土曜日に肩を落としながらも、異国に暮らす彼女のことを嬉しく思う。


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コメント

私も自分がボローニャの人であるとまだ言えない、宙ぶらりんな感覚です。
主人がカラブリアはコセンツァの人で、義両親も当時はまだ健在で。日本とコセンツァを行き来していた時間が長かっただけに、新生活はボローニャで、と聞かされたときは「え?ボローニャなの??」とビックリしたものです(笑
今でもカラブリアに「帰る」と言いいたいし、頻繁に帰りたい。ボローニャの冬の薄暗さや夏の日差しの弱さはキライ。ココが終の棲家なのかもわからない。でも、そろそろBo在も3年になろうとしているから・・私もボローニャの人なのかな? 不思議な感覚です。

私、この帽子屋さんの冬物の帽子が大好きなんです。残念ながら本店(?)の方は閉店してしまったようだけど、コチラで頑張ってもらいたいなぁと秘かに応援しているんですよ。

2013/03/25 (Mon) 11:28 | erieri #CC8yxnZE | URL | 編集

そんな出会いもありますね。どこが故郷かなんて、よく語学学校で話題にされたネタだったけど、それに心の中で馬鹿にしながらも、はっきり答えられない自分がいました。

2013/03/25 (Mon) 19:08 | inei.reisn #pNQOf01M | URL | 編集
Re: タイトルなし

erieriさんにとってはコセンツァが家に思えるようですね。コセンツァは居心地が良いですか。確かにボローニャの冬は陰気ですね。私も此の冬ばかりはどうにもこうにも。抵抗しても無駄と知りつつ、ボローニャに居る限りは此の冬と仲良くやって行かなくてはならぬと知りつつも、受け入れられない!
でも、ほかに帰るところないんですよね。というか、此処に自分の生活に必要なものが全てあるので、やはりボローニャが自分の家というのが正しいようですよ。
ところで此の帽子やさん、3月末頃から新作を置くようになるとのことです。ガッレリアの店も良かったけれど、本当は此処が昔ながらの店なので、こちらで頑張って貰えるのは案外嬉しいのです。

2013/03/26 (Tue) 19:12 | yspringmind #- | URL | 編集
Re: タイトルなし

inei.reisnさん、私の故郷はもとをただせばやはり日本なのですが、今は風に飛ばされて何処へでも飛んで根を生やす草木の種のように自分を感じています。最も年々腰が重くなり、昔のようにひょいひょいと何処へでもいけるような軽快さは無くなりましたけど。自分を縛り付けずに自由で痛いですね。

2013/03/26 (Tue) 19:16 | yspringmind #- | URL | 編集

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