波の音、塩の匂い。

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外の陽射しは春のようだ。2月の終わりの数日が駆け足で過ぎ去っていった。内心ほっとしているのだ。難関を突破した後の安堵によく似ている。気分一新、さっぱりした気持ちで行こうと思う。ボローニャの街は数日前からルーチョ・ダッラのメモリアルで賑わっている。昨年3月初めに逝った、ボローニャに生まれ育った音楽家のルーチョ。1年経った今でも彼の不在を残念がる人は沢山居るが、実際は悲しむと言うよりも彼が如何に素晴らしかったかを人々と分かち合おうといった前向きな感じで良い。古いボローニャ人たちから時々聞く。ルーチョが旧市街の彼の家の直ぐ傍のカフェに朝食をとりに来ること、ごく普通の市民みたいな感じで新聞を広げてのんびり朝食をとり、通行人と気軽に話し、また家に帰っていくこと。偉そうにすることも無く、近所のおじさん、そんな感じだったこと。そんな普通感覚が皆に好かれる理由だったのかもしれない。私だって近所の知り合いのおじさんみたいにルーチョと呼んでいるのだから、ボローニャ人にとっては更に親しい人、そんな存在であるに違いない。兎に角そういう訳で旧市街には彼の写真がそこ此処に飾られ、彼の歌声が流れている。明日の月曜日にはPiazza Maggioreでルーチョの為のコンサートがあるらしい。平日にも拘らず沢山の人が集まって大賑わいになること間違いなしだ。

それにしても天気がいい。暖かい太陽が3月を待っていたかのように思える。あの分厚い雲の向こうにこんな素敵な太陽が存在していたなんて。毎年のことながら3月になるとそんな小さなひとつひとつが嬉しくて楽しくて堪らない。太陽の恵みを全身で受け止めながら街を歩いていたら、視界の隅っこに何かを捕らえて急に懐かしい気持ちがこみ上げた。気になって歩みを止めて右上のほうを眺めてみたら、あった。洗濯物だった。それも黒い衣服ばかり。そうだ、私は其れを見て瞬間的に思い出したのだ。12年ほど前、ポルトガルへ行った時のことを。3月の、ボローニャはまだ肌寒くて人々が冬のオーバーコートで身を包んでいる頃だった。私は思いついて一週間の休暇をとってリスボンへ飛んだ。其れは実に単なる思い付きで、安い航空券が手に入ったからだった。小さな鞄に一週間分の荷物を詰め込んで到着したリスボンは春の光に溢れていた。そんな風だろうとは想像していたが、想像以上の明るさに脱帽だった。とった宿の大きなガラス窓からリスボンの民家のオレンジ色の屋根瓦が見えた。太陽の光の波のようだった。私は其れを眺めながら屋根までも太陽に制覇されてしまったようだと思い、自分がそんな街に滞在していることをとても嬉しく思った。初めての街。初めて耳にする言葉。でもうまくやっていけそうな気がしたのは、素朴な人々の素朴な思いやりのせいだった。決して華やかな感じは無く、飛び切り豊かそうにも見えない。でも心の中は沢山の宝物で一杯。そんな風に私の目には映ったリスボンの人々。ある日、長距離バスに乗って海の町ナザレへ行った。これも単なる思い付きだった。そうして着いた先はおそらく夏には休暇を楽しむ人で賑わうに違いない、しかし季節はずれで閑散とした、漁師だけが活発に働く海の町だった。海に向かってなだらかな下り坂が何本も走っていて、その間を路地があみだくじのように存在していた。時々すれ違う老女。皆一様に痩せていて背丈が低かった。そして黒い衣服を身に着けていて頭を黒いスカーフで覆っていた。本に書いてあったのは此のことなのか、と思った。連れ合いに先立たれた女たちは皆黒い布で身を包んでいる、それがナザレの女の特徴と書いてあった。よく見るとはたはたとはためく洗濯物も黒い。未亡人ばかりではないに違いないのに、目に付くのはそんな洗濯物ばかりだった。海風が冷たい。けれども風の当たらぬ路地に入り込むと太陽に射られて暑いくらいだった。波の音が聞こえる。塩の匂いがする。時々すれ違う老女たちが見慣れぬ異国人に好奇の目を向けながらも礼儀正しくぺこりと頭を下げてすれ違う様子に私は酷く癒されながら、もう一度戻ってこようと思ったのだ。あれから12年も経った。昨夏リスボンを訪れたのにどうしてナザレへ行かなかったのだろう。私は視界に入ったあの黒い洗濯物を眺めながら思った。急にポルトガルへ行きたくなってしまった。其れもこれもあの黒い洗濯物のせいだ。波の音と塩の匂い、それから太陽の光を捕まえに。


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