冬の雉

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雪が降っている。朝は粒だった雪が其のうち大きな雪片に代わり、あっという間に地面が白くなった。それほど寒くないのに。と思い出す。あまり寒いときは雪が降らないものだと他界した舅が言っていたっけ。黙々と降り続く雪を眺めながらこれは積もりそうだと溜息をついた。久しぶりの本格的な雪にまだ冬であることを教えられ、まだ暫く冬のオーバーコートを手放せないことを残念に思った。季節の合間のコートが恋しい。膝丈までの長いコートではなく、腰が隠れる程度の軽快なコート。ふわふわの薄い絹のスカーフを首に巻きつけて、足元はローファーかスリッポンにするといいだろうか。後どれだけ待てばよいだろう。ひと月か、それともふた月も待たねばならぬだろうか。

ボローニャの地を初めて踏んだのは20年ほど前のことだ。3月の中旬にアメリカの海の町を発ち、相棒の家族に会いにやって来た。4週間滞在する予定で。春は程遠かった。アメリカに長く住み過ぎた相棒はイタリアの季節をすっかり忘れていた。3月中旬は春真っ盛りだよとの彼の言葉を鵜呑みにして来た私は大変寒い思いをした。寒いと言うよりは冷えると言った方がよく、人々の装いは春のはの字も見られなかった。よく晴れて太陽の陽射しに恵まれる日だって。暖かそうに見えるが外の空気はきりりと冷たく、成程3月とはまだ冬なのだな、と思ったのを覚えている。到着して一週間経ったころ、腎臓結石で入院することになった。急なことだった。折角のボローニャ滞在なのに。折角色んなところにも足を延ばそうと思っていたのに。私は病院のベッドの中で毎日呟いていた。黙っていたら10日も2週間も病院を出られそうに無かったので、一週間が経つころ病院を脱出した。痛みは治まったし、伴う高熱と頭痛もなくなったのだ。ああ、私は退院したい、退院したいよう、と訴え続けたところ医者が許可してくれたのだった。その代わり、無理をしないこと、薬を飲み続けること、1日に水を最低でも3リットルは飲むこと、の条件付で、それから退院は本人の強い要望によるものであるという書面にサインもした。私はご機嫌で病院を出ると、ボローニャは春になっていた。暖かい陽射し。小鳥の囀り。入院に費やした毎日を取り戻すかのように、私はボローニャ市内を歩き、ウンブリア州やローマを訪れ、それからシエナやフィレンツェを訪ね、ヴェネツィアを散策した。周囲の心配をよそに。春のイタリアは美しく、特に緑の美しさには脱帽だった。冬の後の美しい春。しかしそのとき私が見た冬は実は大した冬ではなくて、その数年後ボローニャに暮らし始めると、重苦しくて暗くてじめじめと憂鬱な本当の冬を体験することになるのだ。そうだ、3月中旬のあれは決して冬ではなかった。冬が終わって春の始まる不安定な時期だったのだ。

雪は一晩中降るのだろうか。夕方雪の中で見た雉の姿が忘れられない。雪の中に埋もれた何かを啄ばんでいた大きな雄の雉。舅が大好きだった雉。畑で雉の姿を見つけると、車の中から指差して、あ、雉が居る、と舅は喜んでいた。何がそんなに嬉しかったのか分からないが、彼が居なくなった今、私は雉を見つけるとあのときの舅のように指差して喜ぶようになった。夕方の雉。もしかしたら舅は雉に変身して、最近元気の無い私の様子を見に来たのかもしれない。


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