敷居の高い店

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謝肉祭(カルニヴァーレ)の日曜日。驚くような晴天になった。こんな晴天は久しぶりで謝肉祭を楽しむ人々にとってはこれ以上嬉しいことはないだろう。うちでは謝肉祭の日曜日だからと、これでもかと肉を焼いた。相棒と姑の機嫌を損ねない程度に肉料理の昼食会に参加したが、しかし昼からお腹が重い。私はここ数年、あまり肉を食べなくなった。決して嫌いなわけではないが、昔ほど肉への執着がなくなったようなのだ。何でも少しずつ均等に、そして食べ過ぎないのが肝心。さもなければ日本人らしい姿を維持することは難しいのである。かといって痩せているのも宜しくない。長身ならばともかく、私のように背丈の低い人間が痩せていたら此処では存在感がないからだ。子供扱いされてしまう。だから自分なりに標準を決めて其れを維持する、それが正解なのである。言うのは簡単だが維持するのは難しい。うん、結構難しいのだ。

昨日ポルティコの下の店に目を留めた。ここはStrada Maggiore、ポルティコの下には小売店が連なっている。昔から続けている店もあれば、最近古い店が閉じて新しくなった店もある。新しい店を見つけるたびに私は大きな溜息をつく。ああ、あの店も終わってしまったのか、と。それで私の目に留まったその店は、昔からずっとある店で、しかし何だか様子が違う。何十年も前から小さな店ながらも高級散髪屋、高級美容院、爪の手入れなどもする高級サロンみたいなものとして続いていた此処は、店先にレトロ調の装飾品や写真を飾っていて前を通る人達の目を楽しませてくれている。私が此の店を見つけたのはボローニャに暮らし始めて直ぐのことだった。関心はあるが中に入る勇気が無い。何か敷居が高い感じがしたのだ。ガラス戸を押し開けるとご婦人の毛皮のコートやら何やらが置かれていて、古い大きなラジオが幾つも飾られている。その奥に髪を切る部屋がある。私がショーウィンドウ越しに眺めるときは大抵客が椅子に座っていて店主が髪を切っていた。姿勢の良いその高い男性、それが店主なのだろうと私は勝手に想像していた。想像するしかなかったのだ。何しろ私にはガラス戸を押し開ける勇気が無かったのだから。17年も経ってはじめてガラス戸を押し開ける勇気を得たには理由がある。ショーウィンドウの直ぐ向こうに感じのよい女性が座っていて、私と目が合うとにこりと笑ってまた下を向いた。彼女は本を読んでいるらしかった。奥の部屋には誰も居なかった。客も居なければ店主も居なかった。彼女は暇をもてあましているようだった。ふと店内を見回すとひとつの壁だけがオレンジ色に塗られていた。もしかして新しい店になってしまったのだろうか。そんな不安が横切って、私はついに店に入ったのである。ガラス戸をあけるといつものように毛皮のコートがあった。ということは。先ほどの女性が本を読むのを止めていらっしゃい、と言った。すみません、この店は昔のままなのでしょうか、それとも新しい店なのでしょうか。ゆっくりと私が話を切り出すと、女性は昔のままだと言った。それにしても何だか様子が違うけど、ほら、壁の色も違うし、奥で髪を切っていた男性も居ないけど、と私が訊くと、髪を切っていた男性は彼女の旦那さんで4年前に亡くなってもう居ないこと、壁は気分転換に最近塗ってみたのだといって小さく笑った。今度は何も訊かないのに彼女が話し始めた。彼女は14歳の頃から此の店に居ること。40年も続いていること。昔は此の店も大変流行って洒落たご婦人や紳士が次から次へと髪を切りに来たが、此処10年のうちにめっきり客が少なくなってしまったという。其れというのも旧市街への車の制限や、それから大きなモールが郊外に出来て人々の足が郊外へ郊外へと向いてしまったからだそうだ。店は今ではそれでも縁を切らずに通ってくる人達だけで生計が立てられているようだった。そうね、前は煌びやかな感じで敷居が高くてとてもガラス戸を押し開けて入る勇気も無かったわ。そう言う私に彼女は目を大きく見開いて、そんな様子を覚えていた私に驚いたようだった。まあ、あなた。嬉しいわ。昔のことを覚えてくれているなんて。そう言って昔を懐かしがった。私は彼女の読書の邪魔をしたことを詫び、また遊びに来ることを約束して店を出た。古い店が閉まっていくにはこんな理由があるのかと知って、淋しく思った。近いうちに爪の手入れをして貰いにいってみよう。彼女の店が何時までも続くように、小さな協力が出来るように。私の気に入りの古い店が何時までもあの場所に存在できるように。


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