人間づきあい

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快晴続き。しかも今日は昨日よりも暖かかった。此の分で行けば案外春は早くやってくるのかもしれない、と希望をたっぷりこめて話す人々。しかし明日はもう雨降りで、ぐずついた天気の一週間になるらしい。まだ1月だもの。まだ春を語るのは早すぎる。

昨晩、友人達に誘われて夕食に出掛けた。最近良く誘われては何処かに出掛けることの多い、うちから数えて40kmも北のほうに暮らしている恋人達である。店に行ってみると彼らのほかに4人居た。彼の弟夫婦と彼女の友達カップルだった。相棒は弟夫婦を良く知っているらしく、すんなりと話に溶け込んでいったが、私の方はそうも行かない。自己紹介から始まって、今時日本人に驚くことも無いと思うが、兎に角大変興味をもたれてしまい質問ずくめなのである。そういえば私がボローニャに来たばかりもそうだった。初めて見る東洋人にすれ違う小さな女の子は驚いて泣くし、老人はまるで不思議なものを見たみたいに歩みを止めて硬直するし、若い人達だって日本と中国の違いすらわからず、私は行く先々で何時だって注目の的で質問攻撃だった。仕事を得てローマに移るとそこは別世界で、誰も日本人に驚く人など居なかった。質問攻撃は4人のイタリア人たちと一緒に暮らし始めたときだけだった。それが済むとすんなりと私を受け入れて、特別な目で見られることもなく、まるでずっと此処に居た人間のように生活に溶け込んだのだった。兎に角昨晩は17年ぶりくらいの質問攻撃だった。確かに私は違う文化を持つ国に生まれた外国人なのだけど。私に言わせれば耳慣れぬフェッラーラ県のアクセントたっぷりのイタリア語を話す彼女の友達カップルのほうが、ずっと異国人に思えた。ボローニャの生活が当たり前になってきた頃、ボローニャのアクセントが耳に染み付きそれを耳にするのがごく当たり前のことになった。そして時々別の町に行って違うアクセントのイタリア語を聞くと、ああ、ボローニャの外に居るのだなと実感したものだ。ボローニャを歩いていても、別のアクセントが聞こえてくると、ははあ、彼らはミラノから来たのだなとか、ヴェネト地方の人らしいとか、耳を澄ましながらアクセントの違いを楽しんだりするのである。さて、初めて会う人達と過ごす時間は楽しくもなかなか緊張するものだ。話の関心の持ち方や話し方の癖、慣れない話のリズムや、それから昨晩のように沢山質問があろうものなら特に。しかし良いこともあった。弟夫婦の奥さんだ。私より年上のようであるが、初々しいお嬢さんのような雰囲気を持つ彼女は、私がアメリカで知り合ったスイス人の女の子に良く似ていた。顔立ちだけではない。相手への気の使い方や話し方、笑顔までが良く似ていた。あなたがスイス人みたいに思えて仕方が無いといったらば、彼女はボローニャ生まれのボローニャ育ち、ばりばりのボローニャ人なのよと言って笑ったけれど。夕食を終えたのは夜中。その後うちの近くのカフェに行って2時間も音楽を楽しみながらお喋りした。小さな緊張の上によく話をして、夜更かしをしたからくたくたになった。でも。人間づきあいは楽しい。生活から人間づきあいが無くなったらきっと味気ないものになるだろう。今年はこんな風に色んな人と会ってみると良いかもしれない。掛け布団を目元まで被り、眠くて重い瞼を静かに閉じたまま、そんなことを考えていた。


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