寒い季節

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夏時間が終わったら急に冬になってしまったようだ。何しろ夜が早くやってくる。仕事を終えて外に出ると闇ばかりが広がっていて、どうしようもない不安に駆られる。いつもと同じ時間なのに、ただ空が暗いだけで。このところ、少々根を詰めて働きすぎているようだ。体力低下が著しく、扁桃腺がアラームを発している。適度に働く業を身につけねばならぬと思う。病気に罹ってからでは遅いのだから。夏前に一度失敗しているのだから。

昨夕、焼き栗屋へ行った。少し体調が悪かったが、たからこそ何か楽しいことをしたかったのだ。勿論そんなことを言えば連れの女性が心配してまたの機会にしようと提案するに違いないから、思い切り元気な振りをして。いつもバスで前を通る、あの緑色に塗られた焼き栗の店。店の数メートル前から香ばしい匂いがした。ああ、いい匂いがする。と、心を弾ませて店に入ると客がひとりも居なかった。店の中にはテーブル席が設けられていて、その奥にカウンターがあった。Buonaseraと元気良く挨拶するとその奥から若い男性がでてきた。私たちは栗を15個と、ほんのり甘い温かい赤ワインを注文した。熱々を食べて貰いたいから少し待って欲しいと言う店の人に同意して、私たちはワインを飲みながらお喋りを楽しむことにした。温かい赤ワインを頂くたびに、またそんな季節がやってきたのだと思う。晩秋なのか冬なのか、どちらとも決めがたいこの寒さに文句を言いながら、しかし温かい赤ワインが出回るのを喜んでいる節がある。多分私は寒い季節も好きなのだ。こんな季節にも何かしらの小さな楽しみを見つけられるのは案外悪くない。たっぷり待たされて出てきた熱々の栗は木綿の布に包まれていた。そうすることで熱が逃げないだけでなく、中で蒸れてますますふっくらと柔らかく美味しくなるからだ。栗は大粒で、丹念に炒られたらしく皮がつるりと剥けた。手で半分に割ると湯気が立ち上り、いい匂いがした。口に放り込むと熱い! 同時に栗の甘みが口に広がり瞬時に幸せな気分になった。蟹が食卓に上るとたとえ友人が目の前に座っていても何故か無口になって黙々と食べてしまうが、焼き栗はその反対だ。私たちのお喋りには拍車がかかり、ますます楽しくなっていく。温かい赤ワインに焼き栗。こんな気軽な雰囲気が大好きだ。その間、幾人もの客が来ては焼き栗も買っていく。どうやらこの店は近所のご用達らしい。此処で食べると言うよりは持ち帰って家族みんなでわいわいやりながら楽しむのだろう。そんな様子を想像するのは楽しいものだ。ほら、焼き栗を買ってきたよ、とどっさり栗が入った紙袋を掲げる家の大黒柱。それを見て喜ぶ妻や子供たち。それともこんな風だろうか。年金生活をのほほんと楽しむ老夫婦のところに息子が栗を持ってやってくる。ほら、栗だよ。温かいうちに食べようよ。どちらにしても楽しそうだ。そういえば昔、うちもそんな風だった。東京に暮らしていた頃のことだ。母と姉と私。私はまだ小さな子供で泣き虫だった。冬の夜が嫌いだったのは、全てを包み込んでしまいそうな黒い空が怖かったからだ。7時ごろ父が帰ってくるのが楽しみだったのは、何か安心するからだった。父がいれば大丈夫。どんな時も大丈夫、と。その父は時々美味しいものを買ってきた。舟和の芋羊羹だったり、葛餅だったり、駅前のマロニエ洋菓子店のケーキだったりしたが、中でも嬉しかったのは甘栗太郎だった。炒りたての甘栗。駅から歩いてくる間に冷たくなってしまわぬようにとしっかりと抱えて持ち帰る父の姿を庭先に見つけるとわくわくしたものだ。熱々のうちに食べたいけれど、ご飯の後にしましょうね、そう母が言うと、お預けされた気分になったものだ。夕食の後の甘栗は楽しい時間だった。遠い、遠い昔の思い出になってしまった。昨夕の栗の集いはとても楽しかった。また近いうちに来るからと挨拶をして外に出た。頬を撫でる風は冷たいが、美味しいもので満たされて気分が温かかった。うん、寒い季節も悪くない。空に広がる闇を見上げながら呟いた。


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