秋深まる

Immagine 143 (Small)


10月も終わりに近づき、霧の予報が出るようになった。晴れでも雨でも曇りでもなく、霧。こんな予報が出るようになると秋が深まりを実感する。私が暮らす丘の辺りではボローニャ市内で見られないような濃霧に見舞われることがある。朝起きる頃はそうでもないのに家を出る頃になると一寸先が見えないような濃霧。毎日通っている道だけど5メートル先も見えないような朝は全くお手上げで、のろのろと車を走らせるにしても何処にいつものあのカーブがあるのかが分からない。前を走る車も、飛び出してくる雉や鹿の姿も見えない。手探り、と言うのがぴったりで一種の恐怖に近い感じである。今朝もそんな風かと思えば朝から雨が降っていた。静かな雨は冷たい空気を伴ってやってきた。冬のような寒さは無いが湿っぽい空気が不快なので暖房をつけた。前の冬以来つけていなかった暖房が、家中を暖めながら冬が近いことを囁いているように思えた。ボローニャ旧市街にも晩秋のような眺めが満ちていて、大きな銀杏の木の葉が深い黄色に色づいていたり、道端に木の実が転がっていたり。それから店のショーウィンドウには美しいスタイルのマネキンが冬のコートを纏っていたり。そんなひとつひとつに気を留めながら街を歩くのが好きだ。そんな時間を持てるのは一種の幸運だとも思う。私がボローニャに腰をどっしりと下ろし始めたのはこの頃だった。アメリカの、海のある穏やかな町からボローニャに引っ越してきたがなかなか生活に馴染めず、仕事のオファーを貰ったローマへとひとりで飛んでいってしまった私だった。そのうち相棒もローマに暮らし始めるに違いないと密かに願うように期待していたが、ようやくその気が全く無いことが分かってボローニャに戻ったのだ。戻ったけれど数日後には息抜きと称して懐かしいアメリカの町へと飛んでいき、ひと月ばかり息抜きしていた私が、よーし、ボローニャで頑張ってみよう、と気持ちを入れ替えてボローニャの生活を始めたのが丁度今頃なのである。だから私がボローニャに暮らし始めたのは引っ越してきたあの日よりも、アメリカから戻ってきたあの日なのだと思う。兎に角毎日じめじめしていた。街路樹の木の葉が路面に沢山落ちていて、その上を踏みしめるようにして歩いた。私と相棒が暮らし始めたアパートメントには広々としたテラスがあったので様々な植物を置いていたが、時期に隣の夫婦に見習って植木たちを隅に固めて冷たい風から守らねばならなくなった。テラスには掃いても掃いても木の葉が沢山だった。近くの街路樹から飛んでくるプラタナスの大きな葉だった。当時私は職についていなかったので毎日が週末だった。自分が仕事に向いている人間であることを発見した時期でもあった。勿論、することは沢山あった。イタリア語を学ぶよい機会でもあった。家の中で出来ること、するべきことは沢山あったが気持ちがいつも外に向いていた。幸運だったのは、旧市街まで歩いて10分ほどのところに暮らしていたことだった。朝、相棒を送り出すと、さささと家の中を片付けると、歩きやすい靴をはいて家を出た。一番初めの十字路を右に曲がってお菓子屋さんの前を素通りして自然薬局の前も素通りして、いつもの八百屋の前も素通りして、真っ直ぐ真っ直ぐ歩いていった。時々近所のおじさんが後ろから自転車で追い抜いて行き、やあ、歩いていくのかい、と私に声を掛けた。私はイタリア語があまり話せなかったから、こんな時は大きな声で、Sì (うん)と答えて大きな笑顔を作ればよかった。それだけでおじさんには私が徒歩を楽しんでいることが伝わるのだった。秋のボローニャは淋しげに見えた。もっとも旅行者で賑わうローマから戻ってきたばかりだったから、そんな風に感じたのかもしれなかったけど。あの頃、ボローニャには旅行者と言うか、外国人がほんの一握りしかいなかったから歩いていると酷く目立っているような気がしてならなかった。何時か誰もが私をじろじろ見なくなる日が来ればいいのにと願いながら歩いていた。あれから十何年も経って、確かに誰も私のことをじろじろ見なくなった。何時の間にか外国人が沢山暮らすようになったボローニャで、私の存在は全然目面敷く無くなったのだ。へえ、何時か本当にこんな日が来るようになるとはね。最近私はそんなことを時々思う。これが時の流れというものだろうか。ボローニャで大波に流されそうになったり溺れそうになったりして情緒不安定だった私とずっと付き合ってくれた相棒は大変だったに違いない。相棒に何か小さなご褒美を贈ってみようか、今までの感謝を込めて。


人気ブログランキングへ

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する