鼻の尖った魚

Immagine 040 (Small)


数日続いている頭痛。薬を飲んでも治らないので飲むのを止めたくらい粘り強い。頭痛が他の不都合も引き起こし、今朝はついに根負けした。こういう時は張り合わずに素直に引き下がって寝るのが一番。折角早起きして朝食まで済ませたけれど、素直にベッドに戻ってもう一眠りした。そうして人々が仕事をしている時間に目を覚まし、ゆっくり身仕度した。体調は宜しくないが一眠りしたぶんだけ体が軽い。今日一日を乗り越えれば明日は祝日だからと自分に言い聞かせて家を出た。雨が降っていた。しかも意外なほど強い雨。折角の祝日が台無しにならなければ良いけれど。4月下旬。日本に暮らしているなら新しい学校や学年が始まり、職場には新しい人達が入ってきて、誰もが自然とわくわくする頃だ。そういう生活が当たり前だったのが随分昔のことになり、私にとってはいつの間にか長い夏休みを終えて人々が街に戻ってくる9月が新しい気分の月になった。しかし面白いもので古い習慣とは何時になっても消えるものではないらしく、今でも4月になると新しいことを始めたくなる。先日街を歩いていたら店先が油絵の道具でディスプレイされていた。旅行会社のショーウィンドウで、春のパリをイメージしたものらしかった。絵の具に汚れた絵筆に懐かしいものを感じながら、しかし私ならば筆の柄をこんなに汚すことはないだろうと思った。こんなに汚れることはつまり自分の手も絵の具で汚れるだろうし、一日が終わるたびに奇麗に洗い落とさなければ絵筆が直ぐに駄目になってしまうからだった。絵筆にしてもパレットにしても様々な液体を入れる小壺にしても、絵を書く人は大抵道具を大切にするものなのだ。それを私たちは愛着と呼ぶのかもしれないけれど。私はショーウィンドウを眺めながらそんなことを思った。・・・それともマティスはそうではなかったのだろうか。歩き始めて少したってからそんなことを考えた。素晴らしい作品を残した人達はどうだったのだろうか。途中で絵を描くのを辞めてしまった私はそんなことを考え、だから私は絵をやめてしまったのかもしれないと思った。本当のところはよく分からない。ただ、そんなことを考えながら私は自分の古傷に触れて少しセンチメンタルな気分になった。私は塔の前を横切り少し行ったところを左に曲がり右に間借りしているうちに、いつもの店の前に来た。いつもの店と言うのは額縁屋だ。新しい額縁を作ってもいるが、古い、骨董品と呼んでも良いほど古い額縁を修復してくれる店である。店と言うよりも工房と呼ぶほうがぴったり来る。ガラス戸の入り口の向こうにはいつも女性が仕事をしていた。たぶん彼女は額縁の修復師でこの場所の持ち主に違いなかった。ふんわりウェーブの掛かった肩までの髪。年の頃は私より少し上かもしれなかった。私は一度ここに入ってみたかったが、興味本位で入って彼女の邪魔をするのは嫌だったから、いつも道端から中を覗くだけだった。いつの日か私は彼女に額縁の修復の手ほどきをして貰いたいと思うようになり、しかし工房の前まで来ては勇気が無くてガラス戸を開けることが出来なかった。それでいていつかきっとと思いながら。ところが工房のガラス戸に魚の絵と共に書き込まれていた。新しい工房。・・・新しい工房! 中を覗いてみたが彼女の姿は無く、今までと少し違う雰囲気が漂っていた。私が額縁の修復に関心を持ったのは勿論それ自体に大変関心を持っているからではあるけれど、私は彼女のひたむきに修復する姿が好きだったのだ。何時だってそうだ。待って待って、待っているうちに機会を逃がしてしまう。昔はそんなではなかった。思い立ったら吉日、みたいな性分だったのに、いつの間にか待ちすぎるようになった。はあー、と大きなため息をついた。彼女が居なくなってしまったことと、私のこの待ちすぎる性分に。4月。この機会に何とかしなくてはいけない。新しいことを始めるだけではなくて、自分改革しなくては。描かれた鼻の尖った魚を眺めながら、そんなことを決意した。私は強い雨の中、既に出来始めた水溜りを上手に避けながらそんなことを思い出していた。


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