春の病

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薄曇の日曜日。テラスに出てみたら思っていたような肌寒さはなく、空気は確実に春のそれであった。肌をすっぽりと優しく包むような、私の弱みの首元さえも緩くふんわりと包み込むような。向こうの一軒家の屋根のはるか遠くに見えるなだらかな丘陵。一言で緑色と言ってしまうには勿体無い、微妙なトーンの緑色。それを眺めていたら思い出した。あの頃私は幾つだったのか、いくら考えても思い出すことが出来ないけれど、父がまだ元気で、姉が不治と宣告された病を克服して元気に外に出るようになっていた頃だ。いや、それとも姉が病に掛かる前だったのかもしれない。ある春の日、私たち家族は遠足をした。遠足なんて言葉は今でも存在するのだろうか。私が日本を留守に押している間に沢山の言い回しが消えていってしまったから、解き何処自分の使う言葉が今でも通じるのだろうかと不安になることがある。あれは5月初旬だったか、4月の下旬だったか、桜が既に散ってしまい、花が散った桜の木が緑に萌えてそれはそれでまた美しいと思えるような頃だった。誰の発案だったのか、私たちは母が用意したお弁当や何やらを鞄に詰め込んで遠足に出掛けた。隣町まで電車で行くと、そこからゆうに1時間掛かるような長い道のりをひたすら歩いた。行った先は国立公園で、既に幾度も訪れてけれど何しろ敷地が驚くほど広いので、何度訪れても上手く把握できぬ場所であった。何処で何をしてどんな話しをしたのかはもう覚えていない。覚えているのは午後になると急に寒くなって天候が急変しそうな気配を感じた私たちが慌てて荷物を纏めて帰ってきたことだ。家に到着してすこしすると雨が降り出した。ああ、間に合ってよかった、と言葉を交わす両親の声を背後に聞きながら私は軒下から腕を外に伸ばすと、雨は思いもよらぬほど温かかった。温かい雨。雨が降り出すと気温が急に上がってもんやりした。庭一面から土の匂いと草の匂いが立ち上がった。私の好きな匂いだった。思い出したのはそんなことだった。もうひとつ思い出した。遠足の帰り、地元駅の直ぐ近くの和菓子屋で大好きな桜餅やきんつばを沢山買ったことだ。遠くの丘陵を眺めながらこんなことを思い出したのは、恐らく私が家族のことを恋しく思っているからだ。自ら望んで日本を飛び出して20年が過ぎた今頃そんなことを言うのはお門違いと言うもので、だからそんなことは決して家族に言ってはならぬと思うのだけど、家族の近くに暮らしていたら、そこで美味しい桜餅を買ったから、などと言って母や姉の家を訪ねては時間を共に過ごすことができるのになどと思うのだ。まったく勝手な話である。案外私は家族から遠く離れていることを長いこと寂しいと思っていたのかもしれない。こんなに大きな大人になったと言うのに。薄曇の日曜日に、私は春の病に掛かったようだ。


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コメント

またご無沙汰してしまいました。桜餅を一緒に食べられる距離にいるからと言って自分の思い描くようなようにはなかなかならないと思います。近くにいても時間があわないとか。もちろんヨーロッパと日本の距離というのは絶対的な何かがありますが。私も20年以上今住む国に生きて自分の娘と多分オールドスタイルの日本語を話し自分の中で自分の日本を育んでいると思います。

2012/03/27 (Tue) 08:54 | basilea #V1zXMXvE | URL | 編集
Re: タイトルなし

basileaさん、こんにちは。確かに桜餅を一緒に食べられる距離にいるからと言って思い描くようなわけには行かないかもしれませんね。でもそんなことも可能なのかと思うと、こんなに遠くにいることを少し残念に思うのです。私は長いことホームシックなるものに掛からず、案外私の中で上手くコントロールしているのだとずっと思っていたのですが、春のせいでしょうか、何だか時間が掛かりそうですよ、完治するには。

2012/03/27 (Tue) 22:28 | yspringmind #- | URL | 編集

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